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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
幕間の章:聖女の糸
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2:酷い思い上がりやね

 二〇一八年十二月三十日──午前九時半過ぎ。

 渋沢が病室に入ると、ガールフレンドはベッドに腰かけ、テレビ画面を眺めていた。見たところ、すでに荷物は纏め終えているようだ。あと三十分足らずで退院時刻となるのだから、当然ではあるが。

「ごめんな、わざわざ付き添いに来てもろて。ぜんぜん一人でも帰れるねんけど、一応、家族か誰かおった方がいいって言われて」

「構へんよ。お父さんたちにもお願いされたからな。それより、あの事件のニュース、観とったんか?」

「うん……やっぱり、気になって……」

 無理からぬことだろう。彼女は先の事件の中で、友人を一人喪った。のみならず、彼女自身もまた、彼を殺害した犯人──の、有力な候補とされている──男のせいで、入院生活を余儀なくされていたのだ。

「……なあ」渋沢は少し迷いはしたものの、やはり自分の考えをぶつけてみることにした。「お前、瀬戸くんが昔見とった悪夢のこと、知ってるか?」

「悪夢?」

「ああ。瀬戸くんは小学校高学年くらいから中学三年まで、よく同じ夢を見て魘されとったらしい。彼から聞かされてへんのか?」

「何も……」

「ホンマか? ホンマは悪夢のことを知った上で、彼を()()()()()()()()()()()んだんとちゃうか?」

「嘘やないって。……なんでそんなに疑うん?」

「それは……」

 反対に尋ねられ、しばし答えに窮する。礼は不思議そうに、軽く首を傾けたまま、彼を見上げていた。

 渋沢はその視線を見返し──覚悟を決めた。

「今から言うことは、あくまでも俺の想像であって、大した根拠はない。それに、もし事実やったとしても、あの事件とは無関係かも知れん。そのつもりで聞いてくれ」

「う、うん。……わかった」

 どこか不安げな瞳で、頷く。

「瀬戸くんの悪夢がどんなものやったか、俺も詳しく聞いたわけやない。ただ、彼のことをよく知る人によると、『女性の下着を盗んだことがバレて、糾弾される夢』やったらしい。意外やろ? 瀬戸くんのイメージと下着泥棒なんて、全く結び付かん。にもかかわらず、彼は小学校高学年くらいの頃から、中学三年になるまでの間、何度もそんな悪夢を見とったそうや」

「何度も?」

「ああ。それで、俺なりに考えてみたんや。その夢が、何を暗示(しめ)しとるんかを。──夢の解釈として一番わかりやすいんは、『抑圧された願望の表れ』って奴らしいな」

 瀬戸の実家を訪ねる道中、田花が口にしたことだった。もっとも、その時は「金縛りに遭う女」の方に対し、「願望の表れ」説を用いようと試みたのだが。

「もしかしたら、瀬戸くんの場合もこれやったんかも知れん」

「つまり、瀬戸くんは、その……女性の下着に興味を持っていたってこと?」

「ある意味ではな。けど、それはおそらく、性的な欲求やとか、異性の体に対する憧れやとか、そんな平凡なもんやなかった、と思う。──いや、ある種憧れではあったんやろうが、男が抱くのとは、別種の感情やったんやないかな」

「どういう意味なん? なんか、むっちゃややこしい言い方しとるけど……」

「悪いな、説明が下手クソで。要するに、俺が言いたいのは──夢に現れた下着ってのは、彼の()()()()を暗示してたんやないかってことや」

 その瞬間、礼は驚愕の表情を浮かべた──そしてすぐさま、苦しげに歪めた顔を、俯けてしまう。そうした彼女の反応見て、渋沢はようやく確信することができた。自分の直感は、間違ってはいないのだ、と。

「お前、やっぱり知ってたんやな? 瀬戸くんが、()()()()()()を抱えとることを」

「……なんとなく。直接本人からそう聞いたわけやないけど……ただ中性的って言うのとは、明らかに違ったから……」

「だから、瀬戸くんにあんな格好をさせたのか。彼に言うた『第二のリリ』って言葉も、彼の望む性が女性やとわかっとったから、出て来たもんやった。このリリってのは、()()()()()()のことやったんやな?」

 礼は、しょげたように頷いた。

「きっと、似合うと思ってん。瀬戸くんの中に眠る本当の性別を解き放ってあげたら、もっともっと、美しくなれるって……。彼がリリなら、自分はガーダになれる気でおった。酷い思い上がりやね」

 彼女はそう自嘲したが──ワンピースを身に纏った瀬戸が、超越的な美を体現していたのは、紛う方なき事実である。

 天才と言う言葉を用いると、かえって陳腐なように感じてしまうが……やはり、礼は天才に違いない。渋沢は改めて、彼女の芸術的感性(センス)を痛感させられ、俄かに寒気を覚えた。

「……怖いな。やっぱり」

「えっ?」

「何もあらへん。すごい奴やなって、感心しただけや」

「そうなん? ようわからんけど……。でも、ちょっと意外やな。寿志、リリ・エルベのこと知ってたん?」

「いや、緋村に教えてもろたんや。昨日の夜、電話した時にな。リリ・エルベってのは、世界で初めて性転換手術を受けた人なんやってな」

 “リリ・エルベ”ことエイナ・ヴェーナは、一九三〇年、人類史上初めての性転換手術に臨んだ。それにより、男性器と精腺を切除し、男ではなくなった彼は、その後も完全な女性となるべく、五度にも亘り手術を受け続ける。

 本物の女性器を得、女性として男性とセックスをし、子供を産むこと……。それが、彼の希いだった。

 当時、エイナには妻がいた。同じくイラストレーターとして活動していた、ガーダ・ヴェーナだ。エイナにとって、彼女は伴侶であると同時に、最も心強い()()()だった。ガーダはその妻と言う立場にありながら、女性になることを望んだ夫を──デンマーク国王により婚姻関係を無効化されたあとも──、五度目の手術ののちに彼が力尽きるまでの間、支え続けた。

 そもそも、彼の中に眠っていた女性の心──リリを本格的に呼び覚ましたのは、他ならぬ彼女だった。ある人気女優の肖像画を作製している途中、急遽都合の付かなくなった彼女に代わり、ガーダはその日描く予定だった下半身のモデルを、夫に努めさせたのだ。

 これが全ての始まりであり、以降、エイナは頻繁に女装するようになる。女の姿でパーティーに現れては、出席していた男たちを魅了していった。

 また、妻の方でも、女装した夫の放つエロティシズムに魅せられたと見え、初めてモデルにして以来、彼の絵を──謎の美女リリ・エルベのヌード画を描くようになった。この「女装画」は大いに好評を博し、ガーダは一躍一流セクシー画家として名を馳せることになる。彼女の描く「未成熟な()()」は、当時のパリのデザイナーたちに多大なる影響を与えたそうだ。

「瀬戸くんは、きっと自分の心の性を自覚しとったんやと思う。だからこそ、中学三年のある時期を境に、悪夢を見なくなった。──いや、実際は変わらず見とったのかも知れんが、いずれにせよ、魘されることはなくなったんやろう。彼は、それを受け入れたんや」

 おそらく、秀臣の贈った「気にすることはない」と言う言葉によって、悪夢を克服することができたのだろう。

「瀬戸くんは、ホンマに女性になることを望んどったんかな?」

「さあ、そこまではわからん。ただ……」

 その機会は永遠に奪われてしまった。そう言いかけて、渋沢は言葉を呑み込む。そんなわかりきったことを口にしたところで、状況は変わらない。

 瀬戸は大学を辞めてから両手首だけとなって発見されるまでの間、どこで何をしていたのか。そして、彼を惨たらしく殺害した犯人は、本当に繭田春也なるチンピラだったのか。そうした疑問に答える術を、渋沢は持ち合わせていない。

 二人とも押し黙ったことにより、テレビの音が、鮮明に聞こえるようになる。先ほど礼が観ていたのとは別の報道番組で、ちょうど事件に関する特集が始まったところだった。

 壮年の男性リポーターがマイクを持ち、築何十年と言った古いアパートの敷地の前に立っている。どうやら春也は、そのアパートの一室を借りていたらしい。

 深刻げな顔付きのリポーター曰く、

『敷地内には監視カメラは一切設置されておらず、ご覧のとおり、こちらの道は人通りが多くありません。警察は他のアパートの住人や、近隣住民に聴き込みを行っているそうですが、事件当時の人の出入りを知ることは、困難かも知れません』

 とのことだった。

 ──瀬戸くんの遺体が発見された場所、か。

 何気なくテレビ画面に目を投じた渋沢は、胸のうちでそう零した。

「繭田って人が、私の背中を押したそうやけど……どうしてそんなことしたんやろう?」

 彼と同じ場所へ視線を向けながら、礼はそんな疑問を口にした。

「緋村が言うには、『遺産を奪う計画の妨げになる恐れがある』って言う理由で、軍司さんと会わせないよう、首謀者が指示したそうや」

「ふうん、妨げね……。その話も、昨日聞いたん?」

「ああ。瀬戸くんの実家を訪ねた時のことを報告したついでにな。他にも、さっき話した俺の考えも聞いてもろたよ」

 答えつつ、渋沢は思う。

 もし、本当にまだ事件は終わっておらず、真犯人は別にいるとしたら……その正体を暴き、全ての謎に答えをもたらす役目は、あの男にしか務まらないのだろう、と。

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