『流浪園殺人事件』①
いうまでもなく、カインの刻印である。
アカザ・クリスティ(清水俊二訳)『そして誰もいなくなった』
恥の多い生涯を送って来ました──と言うのは、言うまでもなく『人間失格』からの引用である。中学三年の時分だったか、始めてこの作品を手に取り、先の一文を目にした瞬間、まるで天啓を授かったかのような感覚に撃たれたことを、今でも記憶している。
これまで言葉にしたくともできず、漠然と抱え込んで来た感情に、カタチを与えられたとでも言おうか……自分のくだらない生涯は、実にこの一言に尽きるのだと、すぐさま確信することができた。
──そう、私は恥に塗れた人生を送って来た。ほとんど狂気だったと言っていいだろう。私はこの世界に産声を上げたその瞬間から今日に至るまで、ずっとずっと狂い続けていたのだ。
そして、その狂乱の極致──一世一代の大発狂とも言うべき所業が、先日野戸島を舞台に演じられた殺戮劇に、相違ない。
私は今、ここに告白する。
この私──繭田春也こそが、先に発生した猟奇的殺人事件の、真犯人であると。
実を言うと、私は半年ほど前から、ある女の犯罪に加担していた。
彼女の名は神母坂鮎子。恐ろしいほどの美貌と、「予言癖」と言う世にも珍かな宿痾の持ち主だった。
鮎子は逆恨みとしか思えない理由から、惨劇の舞台となった奇妙な別荘──流浪園と名付けられたその屋敷の前当主である、榎園誉歴氏の遺産を奪取しようと、目論んでいた。
私は彼女の提案を、二つ返事で承諾した。……が、しかし、この二十五年の人生の中で育まれて来た私の狂気は、そのようにチンケな犯罪では、すでに満たされなくなっていた。
金など、どうだっていい。無論、社会で生きて行く上では欠かせない物には他ならないが、私はこれ以上、私の命を維持するつもりなどなかった。
私はいい加減、我慢の限界だったのである。かねてより抱き続け来た宿願を果たしたくて果たしたくて、堪らなくなっていた。
──人を、殺してみたい。
──それも、普通の殺人などではない、なるだけオゾマシク、且つ美しい芸術的犯行を、成し遂げてみたい。
それだけが、私に残されたたった一つの希い──この世に産まれて来た、唯一の理由にさえ思われた。
そして、私はこの抑え難い衝動を解き放つことに決めた。鮎子の指示に従う傍ら、密かに自らの計画を練り始めたのだ。
※
あまり詳しく書くと長くなってしまう為、大幅に省くが、私は鮎子の知らないところで、ある青年と接触していた。
瀬戸藍児──誉歴氏の指名した相続人にして、私が「成り代わる」ことになっていた青年である。
そもそも鮎子の計画とは、私が彼に成りすますことで、彼が相続することになっていた遺産を、掠め取ってしまうと言う物だった。非常に稚拙な企みと言わざるを得ないが、こちらとしては、むしろ好都合だった。
私は彼女の指示により、すぐさま瀬戸と同じ顔に整形する手術を受けた。そして、そのダウンタイムの苦痛を乗り越え、問題なく日常生活を送れるようになった頃、さっそく自らの策を始動させたのである。
瀬戸との接触に成功した私は、鮎子の企みを、余すとこなく彼に打ち明けた。その上で、「共に遺産の強奪を阻止しないか」と持ちかけることが、私の犯行の第一段階であった。
これに関しては、存外容易にクリアすることができた。瀬戸は完全に、私を味方だと錯覚したようだった。
私の芸術を完成させる為だけに、屠殺されるとも知らずに……。
先ほど私は鮎子の計画を「稚拙」だと言ったが、私の方に関しても、似たようなものかも知れない。と言うのも、私が用いたのはトリックとすら呼べぬような、非常にシンプルな小細工だったのだから。
私は瀬戸を、自身の替え玉として利用した。
彼を殺し、死体に私の着ていた服を着せることにより、殺されたのが私──の扮していた瀬戸藍児であると、錯覚させようと目論んだのだ。
実際に死体は瀬戸の物なのだから、ある意味間違ってはいない。いや、そもそもの話、私が瀬戸に成りすましていたこと自体が、間違いなのか……。
ともかく、私は犯行に必要な準備を着実に進めて行き、いよいよ決行の日を迎えた。
私と鮎子のもう一人の共犯者──我が継父である繭田英佑と共に島に渡った私は、流浪園に着いて早々、ある仕事に取りかかる。
屋敷の二階に飾られていた二種類の剥製を繋ぎ合わせ、コンサバトリーめがけて投げ落としたのだ。これは我らが首謀者からの要望であり、どうも榎園衣歩に自らの「予言」を信じ込ませる為の小細工であったらしい。
まったくもって児戯としか言いようのない行為だが、とにかく鮎子の指示どおり、私と父は大急ぎで「黒い死」を作り上げた。
さて。
私にとっての本番はここからである。
瀬戸には予め、一日目の深夜──午前三時頃に島へ来るよう、指示してあった。他の人間が確実に寝静まっており、尚且つ余裕を持って犯行に臨むことのできるようにと考えた結果、この時間になったのだ。
私は密かに屋敷を抜け出し、砂浜へと向かう。私が到着してすぐ、彼を乗せた船が到着した。
この船は、金で雇っていたある男の持ち物で、運転手を務めてくれたのも彼だった。彼は金さえ支払ってもらえば大抵のことは請け負うと言う、非合法の便利屋であり、私の犯行において不可欠な、秘密のアシスタントだった。
瀬戸を連れて来た時点で、報酬の半額を彼に支払い、
「残りは明日の夜に」
私はそう耳打ちして、船を送り出した。
無事に落ち合うことのできた私たちは、連れ立って崖道を歩き、流浪園へと戻って来た。
しかし、屋敷には入らずに、その横を通り過ぎて、直接コンサバトリーへ向かう。
私はそこで、彼を殺した。
「見せたい物がある。ほら、そこの地面に何か書いてあるだろ?」
コンサバトリーの中へまんまと彼を誘い込んだ私は、そう言って、ベンチの下を見るように仕向けた。そして、自分でも惚れ惚れするような早業で、露わになった白い頸──男のクセに、いやに艶めかしかった──目がけ、注射器を突き刺した。
瀬戸は悲鳴を上げることなく、実に静かに地面をのた打ち回っていた。彼が完全に動かなくなるまで、私はその姿を観察して楽しんだ。
初めての殺人の余韻に浸る間もなく、私は充てがわれた屋敷の部屋へと戻った。次の獲物を狩る為に。
部屋に帰って来ると、鮎子が椅子にかけて私を待っていた。
彼女には予め、
「今回の計画について相談したいことがある。宴会だかバースデーパーティーだかがお開きになったら、コッソリ俺の部屋に来てくれ」
と、伝えてあった。ちょうど入れ違いになったようだ。
「こんな時間に、どこへ行っていたの?」
眠たげに目を擦りながら、億劫そうに尋ねて来る。
何と言って誤魔化したのか……もう忘れてしまった。あるいは、彼女の問いには答えなかったのかも知れない。
ただ一つ確かなことは、私の手によって一体の美しい死体──死美人とも呼ぶべき肉塊が、生み出されたことだ。
私は死美人の肉体を恭しい手付きで抱え上げると、部屋に備えられた浴室へと運び、そこで彼女の首を切り落とした。鋸の刃を動かす度に、脂の混じった鮮血が流れ出し、むせ返るような鉄の匂いが浴室に充満する。私はしばし、そのえも言えぬ芳香と、両手に伝わる肉と骨との感触に、酔い痴れた……。
ペットボトルの水で血を洗い流し、私は切断した鮎子の首を、仔牛の体に縫い付ける作業に移る。この屋敷には、前当主の趣味らしく、至る所に動物の剥製が飾ってあった。この仔牛も、元々は標本室の中に展示されていたのを、持ち出した物だ。
また、その際、同室内にあった人骨標本の手から林檎の模型を拝借していたのだが、これは死の展示場への招待状として、鮎子の部屋に転がしておいた。
針仕事を終え、完成した幻獣の死骸──件の亡骸を標本室へと遺棄した私は、またしてもコンサバトリーへ。再び血煙と戯れるべく、瀬戸の首に鋸の刃を、当てがった。
が、しかし、死後幾らか時間が経っていた為か、さして血は流れず、芳醇な鉄の香りを堪能する望みは叶わなかった。甚だ遺憾ではあったものの、こんなことで文句を言っていても始まらない。
鮎子同様、切断した死体には、剥製を縫い付けた。こちらは首ではなく体の方に、成牛の頭を繋ぎ合わせた。
この屋敷の近くにはかつて迷宮があったと言う。そして、誉歴氏は遺産の半分に加え、この流浪園をも瀬戸に譲るつもりだった──と、鮎子から聞いていた。ならば、流浪園の新たな主となるはずだった瀬戸には、ミノタウロスの見立てが相応しいはずだ。
何より、彼と私とでは、整形手術なぞでは誤魔化せない相違点があった。
その一つが、髪質である。
日頃の不摂生が祟り痛んでしまった私の粗末な頭と違い、瀬戸の天然の毛髪は、見事なまでのキューティクルを保っていた。たとえ髪の長さを短くしていたとしても、完全に誤魔化しきれるかどうか、怪しいものである。
そうした理由もあり──いや、むしろこの違いを隠蔽する目的で、瀬戸には牛頭人身の怪物へと、生まれ変わってもらうことにした。




