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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第一章:珍奇の園
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3:『アダムとイヴによって見付けられたアベルの肉体』

「見事に徒労に終わったわけやね。オマケに、呑みに行く予定やった友達にはドタキャンされてまうし、踏んだり蹴ったりやったわ」

 そう結んで話を終えた井岡は、冷めているであろうブレンドに口を付けた。

「それはいいが、なんでそんな話を聞かせたんだ? もしかして、俺がくだらないことで電話したせいで、尾行が失敗したって言いたいのか?」

 遅すぎる昼食を終えた緋村は、咥えたマルボロに火を点けつつ、お得意の軽口を言う。

「別に、そんなつもりないって。まあ、ちょっと間ァ悪いなぁとは思ったけど。──それより、よかったら知恵を貸してくれへん? この間みたいにさ。瀬戸くんのあの発言は何やったのか、エゾノって言う人とはどんな関係なのか、そして彼は今どこで何をしとんのか……とにかく謎だらけやねん。頼むわ」

 この要望に対し、ヘヴィスモーカーはあからさまに難色を示した。咥え煙草のまま、心底嫌そうに眉皺を刻み込む。

「なんでそうなるんだ。俺は便利屋でも、ましてや探偵でもねえ」

「わかっとるけど……でも、緋村くんって、最近色んなトラブルに首を突っ込んでは、片っ端から解決して回ってるやん?」

「人を詮索好きの変人みたいに言うんじゃねえよ。別に自分から面倒ごとに関わろうとしてるわけじゃない。向こうの方から勝手にやって来るんだ。ちょうど、今のお前みたいにな」

 そこまで邪険に扱うこともないと思うが、彼からすれば、もう厄介ごとに巻き込まれるのはご免なのだろう。

 今年の夏、とあるサークルの合宿中に起きた凄惨な殺人事件に遭遇して以来、緋村は──そして何を隠そうこの僕も──大小様々なトラブルに巻き込まれる機会が激増(ふえ)ていた。誰かの依頼を受けたり、意図せず遭遇したりする度に、彼は不承不承推理を巡らせ、真相を解き明かして来たのだ。

 が、それにしても、異常なほど周囲で事件が頻発している。まるで、あの夏の事件の幻影が、僕たちに呪いをかけたかのように。

「似たようなもんやろ。なんやかんや言うて、結局いつも謎を解いとんのやから。まあ、どうしても嫌なら、無理にとは言わんけど」

「そうだな、大人しく諦めろ。──あるいは、俺の隣りで暇そうにしてる変人にでも頼むんだな。こいつは気色悪いほど物好きな人間で、こんなんでも文芸学科に所属しているんだが、純文学なぞよりも、人が殺されてその謎を解くような、物騒な話が好きらしい。しかも、読んだり書いたりするだけじゃ飽き足らず、実際にそう言った事件が転がっちゃいないかと、常に下ばっか見て歩いているようなド変態だ。きっと、ダラダラ涎を垂らすほど喜んで、お前の探偵ごっこに付き合ってくれるだろう」

 酷い言われようである。しかし、いちいち取り合っていたらキリがない為、ド変態は黙っておくことにした。

「ホンマ、そんなセリフようスラスラ言えるわ。あと、若庭(わかば)くんがミステリ好きってことくらい、私だって知っとるから。そもそも、だからこそ意見を聴いてみようと思ったんやし」

「なら、俺のいないところでやれよ」と、緋村は尚も悪態を吐いていたが、井岡はそれを黙殺し、悠々とカップに口を付けた。

「まあでも、今回は緋村くんの言うとおりにしようかな。二人に迷惑かけるのも申し訳ないし。うん、これで終わりにするわ。ごめんな、変な話聞かせてもうて」

 意外ほどアッサリと引き下がった井岡は、誤魔化すように話題を変える。

「そんなことより、もうすぐクリスマスやね。緋村くんたちは、何か予定あるん?」

 自分で言い出しておいて「そんなこと」か。少しだけ呆れてから、考える。

 しかし、どれだけ記憶を辿ってみても、哀しいかな、そんな物は一つもなかった。

「特にはないよ。──なあ?」

「一緒にすんじゃねえ」嫌そうに顔をしかめ、煙を吐き出す。

「じゃあ、君は何かあるのか?」

「ああ、あるとも。バイトって言う大事な予定がな」

 確かに大事だ。

「寂しいクリスマスやなぁ。て言うか、どうせなら二人で過ごしたらええやん。友達とおった方が楽しない?」

「何の罰ゲームだそりゃあ。こんな辛気臭え奴といたら、キリストの誕生を祝福する気持ちが失せちまうだろ」

 元よりクリスチャンではないどころか、根っからの無神論者のクセに。あと、こっちだってそんな聖夜は願い下げだ。

「だいたい、そう言うお前はどうなんだ?」

「私? そらもちろん、彼氏と過ごすで?」

「ちっ、自慢かよ」

「彼、奮発してくれてな。普段行けんような高いお店を予約してあるんやって。今から楽しみやわ。なんでも、ドレスコードのあるお店らしいから、ちゃんとした服着てかなあかんねん」

「そんな服持ってたのか。知らなかったな。古着屋で調達して来たのか?」

 短くなった煙草を消した彼は、すぐにまた新しい物を取り出して咥えた。

「そのお店、全席禁煙らしいで? 緋村くんには絶対無理やね」

「うるせえ」

 そう言って火を点ける様子は、偏屈な老人のようで少し可笑しかった。

 井岡も一緒になって笑っていたが、不意に腕時計へと目を落とし、

「おっと、そろそろ出た方がええな」

「もう行くの?」と、腰を浮かせた彼女に尋ねる。

「うん。実はこのあと、人と会う約束になっとって」

 立ち上がった井岡は、隣りの席に畳んで置いてあったモッズコートを羽織り、ニットキャップを被る。

「コーヒー、ご馳走さま」

 電話での約束どおり、会計は緋村が持つようだ。代筆一回でコーヒー一杯とは安上がりである。

「それじゃあまた、大学かどこかで」

 そんな言葉と屈託のない笑みを残し、彼女は出入り口へと向かった。

 店を出る間際、井岡はこちらを振り返り、軽く手を振る。僕はそれに同じ動作で返した──のだが、緋村は違った。何故かむつりと黙り込んだまま、相手の方を見ようともせずに、煙草を燻らせていた。

 彼女の姿が店の外に消えたのを見送ってから、僕は尋ねる。

「何をそんなに不機嫌になっているんだ? 自慢されたのが気に食わなかったとか? まあ、気持ちはわかるけど……でも、学生の身分で高級レストランでデートだなんて、僕は大して羨ましくないかな。身の丈に合っていないように思うし、何より金をかければいいってものでもないだろう」

「別に、羨ましがってねえし、不機嫌にもなってねえよ。つうか、そっちこそ何語ってんだ?──俺はただ、考えていただけさ。エゾノって名前を少し前にどこかで聞いた気がしたんだが、なんで聞き覚えがあるのかってな」

 思い出せないのがもどかしいらしく、再び記憶の襞を探るように、黙り込む。

 その間に、僕はスマートフォンを取り出し、取り敢えず検索してみることにした。ルロウエンなる場所について。

 どう言う漢字を書くのか少しだけ悩んだが、不思議とすぐに思い付いた。「流浪園」と打ち込んでみると、やはり正解だったのか、一件だけ検索にヒットする。

 それは「カイン」と名乗る人物のSNSで、日常的な呟きや写真の他、イラストやデッサン、油彩画などの画像が、数点投稿されていた。そのほとんどが自分で描いた物のようで、そうした作品の見出しには、決まって「落書き」と言う文言が付されている。

 また、このページが検索結果に出て来たのは、どうやら次の一文が理由のようだった。


『明日、久しぶりに我が家の別荘“流浪園”に行って来ます。弟と幼馴染を祝う為に』


 四年前に投稿されたその呟きには、一人の男の写真が添付されていた。洗面台の鏡に向かって立ち、自撮りした物だ。男の年齢は二十代半ばほどか。パーマを当てた目にかかるくらいの長さの茶髪や、前髪から覗く整えられた眉毛など、やや気障ったらしい印象を受ける。上等そうなファー付きの黒いダウンを羽織っているのだが、体が痩せすぎている為、酷く不釣り合いに感じられた。

 また、血色も悪く、灰色の顔には目の下に隈を拵えており、大きなマスクをしていても、頬骨が突っ張るほどやつれているのがわかった。

 彼は、病人なのだ。

「ああ、そうか」

 緋村の呟きで、我に返る。

「思い出した。テレビのニュースで観たんだ。榎園(えぞの)製薬って言う老舗企業の社長が、持病で亡くなったってな。確か、一ヶ月くらい前だったか」

 記憶が蘇ったことでスッキリしたのだろう。彼は晴れやかな顔で言い、またしても新たな煙草を取り出した。それは結構なことだが、一ヶ月前に一度目にしただけのニュースなど、よく覚えていたな。

「なるほど。でも、その亡くなった社長とやらが、井岡の話に出て来た『エゾノさん』の父親とは限らないだろ」

「別に、聞き覚えがあったってだけさ」彼はそこで、僕の手にある物を一瞥し、「で? そっちは何か出て来たのか? 調べてたんだろ?」

 僕は答える代わりに、スマートフォンを差し出した。

「……ふうん、カインね。だからこのプロフィール画像なのか」

「プロフィール画像?」

 そこまでは見ていなかった。少し身を乗り出し、一緒になって画面の中を覗き込む。

 そこに表示されている画像──一目見てブレイクの作品だとわかる──に、僕は見覚えがあった。

「気付いたか? あれだよ」

 片方の口角を釣り上げた彼は、僕の背後を顎で示した。そちらを見てみろと言うことらしい。

 言われたとおり振り返ってみると、彼が何を指しているのか、すぐに理解できた。

 そこに飾られていたのは、ブレイクの絵画の一つ。四人の裸身の男女をメインに、寂寞たる荒野(あれの)の景色が、特有のタッチで描かれている。

 中でも、苦悶の表情を浮かべ、指が食い込むほど強く額を抑える男の姿が、見る者に強烈なインパクトを与える。今まさにその場から逃げ出さんとする彼を、別の男が批難するように睨み付けており、その傍らには、芸術的なフォルムで体を折り曲げた女。彼女は跪き、白く横たわった死体に縋り付いているのだ。

 その死体──三人目の男を殺したのは誰か? 無論、背後に怯えた目を向けて駆け出した、「彼」だ。

「『アダムとイヴによって見付けられたアベルの肉体』だ。タイトルの示すとおり、旧約聖書のカインとアベルのエピソードを題材にしている」

 平板な口調で解説し、彼は持っていた物をこちらに返す。

 カインとアベル。旧約聖書における人類史上初の殺人事件──その加害者と被害者だ。

「カインは初めて人を殺した人間であるだけでなく、初めて神に嘘を吐いた者でもある。(ヤハウェ)にアベルの居場所を問われたカインは、こう答えた。『知りません。私が弟の番人だというのですか』と」

 原初の殺人者は果敢にも、造物主の問いにシラを切ったのだ。

 無論、その嘘は即座に露呈する。と言うか、この時点でヤハウェはすでに、アベルの身に何が起きたのかを察知していたらしい。

 とにかく、弟殺しの罪を見抜かれたカインは一人楽園を追われ、当て()ない流浪の旅に出ることとなる。その額に、ある印を刻まれて。

「どうやら、流浪園って言うのはこの人の別荘みたいだな。でも、どうして瀬戸くんは、そんなところに行こうとしたんだろう? 夢の中で見た女性の所に行くと言っていたそうだけど、彼女もそこに滞在していたとか?」

「知るかよ。生憎だが、少しも興味ねえな」

 相変わらず素っ気ない口調で言い、短くなった煙草を揉み潰した。

 ──結局それ以降、僕たちがこの話をすることはなかった。そして、すぐに忘れ去ってしまうはずだった。

 しかし、その予想は裏切られ、緋村は自らの発言と、バイトのシフトを覆さざるを得なくなる。


 何者かの手によって、井岡が重傷を負わされたからだ。

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