15:異様な事実
直後、元から大きかった瞳が、さらに大きく見開かれた。瞠若した彼は、しかしすぐにまた、目の前の不遜な青年を射竦める。
「何を言い出すかと思えば……馬鹿馬鹿しい。君だって、すでに聞いているだろう。彼は、人工授精によって授かった子供だと。『本当の父親』が遺伝上の父を指しているのなら、それが誰なのかは、私にもわからんよ」
「なるほど、仰るとおりですね。──人工授精に用いられた精子が、本当に見ず知らずの男性の物だとしたら、ですが」
軍司さんは、真一文字に口を結び黙り込む。相手の出方を窺うことにしたのかも知れない。
「ところで、軍司さんはかつて、誉歴さんの奥様──千都留さんに好意を寄せておられたそうですね。なんでも、当時お二人が結婚したばかりだったにもかかわらず、千都留さんに言い寄られたのだとか。繭田さんに対し激怒されたのも、彼がそのことを誉歴さんに密告したことが、理由だったと伺いました」
「……奴が話したのか? それとも織部か? 口の軽い馬鹿ばかりだな」
「千都留さんは、あなたの気持ちには応じず、誉歴さんの耳に入ってしまったこともあり、あなたは手を引くしかなかった。……が、しかし、素直に諦めたわけではなかったんですね? 逆上したあなたは、自らの好意を拒んだ彼女に、ある恐ろしい報復を行った」
「…………」
「軍司さんが手配したと言う精子は、本当は、精子バンクから引き出した物ではなかったのではありませんか? あなたが人工授精に用いたのは──他ならぬ、あなた自身の精子だったのでは?」
「……ふ」息を吐き出すように、彼は一笑した。「よくもまあ、そんな妄言を堂々と語れたものだな。芸術大学の生徒と言うのは、みな君のように想像力豊かなのかね? この私がそんな非人道的な行いをしたと、本気で考えているのか? だとすれば、さすがに冗談で済ますわけにはいかんな。名誉毀損──立派な犯罪だ」
「無論、冗談で言っているつもりも、軍司さんを侮辱しているわけでもありません。ただ……気付いてしまったんですよ。ある異様な事実に」
それは、先ほど緋村が口にした「あのこと」である。彼の話に関し未だ半信半疑である僕ですら、その点においては納得せざるを得なかった。それほどまでに決定的な証拠を、緋村は見付けてしまったのだ。
例の、家族写真の中に。
「僕も、初めて気が付いた時は驚きました。偶然とは思えないほど、酷似していたからです。軍司さんと香音流さんの、耳の形が」
そう。緋村の言ったとおり、とてもではないが偶然の一致とは思えなかった。写真の中で笑みを浮かべていた香音流さんと、たった今緋村の前に仁王立ちしている軍司さん。二人とも全く同じ形の耳──先の尖った薄い耳をしているのだ。
「……そんなもの、たまたま彼と私の耳が似ていた、と言うだけではないか。それが何故、親子関係があるだなんて話になるんだ?」
「釈迦に説法は承知の上で、説明させていただきます。人の耳の形には、それぞれ個人差がある。当たり前ですがね。そして、その形質は多くの場合、親から子へと遺伝する。完全に同じとまではいかずとも、大部分は親の形質を受け継ぐんです。……もう一度言いますが、お二人の耳は非常によく似ていました。遺伝的な繋がりがあるとしか、考えられないほど」
「……くだらん」
「軍司さんは、毎年迷宮の跡地に花束を供えているそうですが……あの花束は、本当は香音流さんにのみ、捧げられた物だったんですね? 流浪園の関係者たちの中で、あなただけが、密かに彼の死を悼んでいたわけだ」
風に撫でられ揺れるトルコギキョウの花束の姿が、脳裏に飛来する。あれは、亡き息子を偲ぶ為に手向けられた物だった──緋村の考えが正しいのであれば。
「それから、四年前も……。軍司さんは、人知れず彼のお見舞いに訪れていたのではありませんか?」
「何のことやら。明京流くんの病室にお邪魔したことはあるが、香音流くんの方へは一度も──」
「幸恵さんが教えてくださったんです。彼女が一度だけ、香音流さんのお見舞いに行こうとした時、すでに先客がいたようだ、と。そしてその際、香音流さんはその先客をこう呼んだそうです」
──モトオサン。
幸恵さんには、香音流さんがそう言ったように聞こえたと言う。
「彼女は基雄さん──つまり、楡さんが来ていたのだと考えた。しかし、本当は違ったのでしょう。香音流さんが言ったのは、実際には基雄さんではなく、『お父さん』だった。彼はその時点で、本当の父親はあなただと、確信していたのです」
だとすれば、どうして香音流さんはその真実を知ることができたのか。そして、彼はこの見舞客相手に対し、何かを頼んでいたようだが……果たして、何を望んでいたのか。
緋村の話は続く。
「また、誉歴さんが香音流さんにのみ辛く当たっていたのも、このことが原因だったと推測できます。つまり、誉歴さんの方でも気付いていたんだ。香音流さんが、本当はあなたの子供であることに」
共に人工授精によって授かった、二人の兄弟。しかし、彼らの関係は、実はイーヴンな状態ではなかった。
誉歴氏にとって、香音流さんの出生は姦通による物と大差ない──いや、むしろそれ以上に許容し難い物だったとしても、おかしくはない。香音流さんの存在その物が、強大な悪意の結晶のように映ったとしても……。
「しかし、直接軍司さんを指弾することは、できなかったのでしょう。何故ならあなたは、誉歴さんが生涯をかけて秘匿し続けて来た重大な秘密について知っている人間の、一人だったから。あなたの行ったことを認知していながら、秘密をバラされることを恐れるあまり、それを公にはできなかったのです。そして、その結果が、香音流さんへの冷たい態度となって現れたのではないか。そう考えました」
軍司さんが購入し、許可を得ずに飾ったバフォメットの絵を放置していたのも、彼に逆らえなかったことが、理由なのかも知れない。誉歴氏は軍神様の機嫌を損ね、自身のトップシークレットに関して他言されるのを怖れたのだ。
「その口振り……まさか、君は知っているのか」
「ええ。誉歴さんが性同一性障害を抱えていたことは、すでに織部さんに確認しています。子供を作ることができなかったのも、本当はそれが原因だったそうですね。つまり、実際には無精子症ではなかった。瀬戸くんが誉歴さんの実の息子であると言う話も、あながち嘘ではない──それどころか、紛う方ない事実なのではありませんか?」
「私に訊かれても困る。彼の存在は、私も井岡さんから連絡をもらうまでは、知らなかったんだ」
「意外ですね」相手の言葉を遮るような、スルドい語調だった。「瀬戸くんの出生に関して、軍司さんは詳しくご存知なのかと思ったのですが」
「なに?」
こちらに関しては僕も聞かされていなかった為、軍司さんと同様に、緋村の姿を見返した。
「そもそも、井岡との面会に応じる気になったのも、彼の存在を知っていたからなのでしょう? そして、彼は本当に流浪園を訪れるつもりなのかを確認する為に、井岡と会うことにしたのでは?」
再び、元名医は沈黙する。
わずかずつではあるが確実に、仁王の如き形相が揺らぎ始めているのを感じた。緋村の放つ言葉は、どれも核心を突いているようだ。
「どう言った経緯で瀬戸くんが産まれたのか──そもそも、彼の母親は誰なのか。この辺りに関しては、まだ僕も見解を持ち合わせていません。ただ、瀬戸くんが誉歴さんの実の息子であること、そして、誉歴さんが自らの意思で例の遺言書を認めたことは、確かなように思います」
現に繭田さんも、あの遺言書は「神母坂さんのアドヴァイスに従って、社長が書いた物だ」と言っていた。彼女は何らかの方法で、二人に血縁関係のあることを知り、遺産奪取の計画を企図したのだろう。
「少々話が脱線してしまいましたが──とにかく、僕は軍司さんが、香音流さんの遺伝上の父親だと考えています。迷宮の跡地に花束を手向けていたのも、彼を偲ぶ為。つまり、あなたは息子の死を哀しんでいた。当然でしょう。かけがえのない、たった一人のお子さんだったのだから」
「…………」
「ところで、軍司さんには以前からある噂──いや、疑念が付き纏っていましたね。現役を退かれた今、密かに人間のクローンを生み出す研究を行っている、と。軍司さんは真っ向から、これを否定されていました。もちろん、僕も初めは全く信じていませんでしたよ。……しかし、今は少し考えが変わりました。軍司さん。あなたは──」
彼はまっすぐに相手の姿を見据え、臆することなく朗々たる声で続けた。
「香音流さんのクローンを生み出そうとしているのではありませんか?」
実に非現実的な発想である。亡き息子を自らの手で蘇らせるなど、SF作品の中でしか聞いたことがない。
初めて緋村の考えを聞いた時、僕はまっさきにそう断じた。しかしこれまでの彼らのやり取りを見ているうちに、次第に「もしかしたら」と思い始めていた。
もしかしたら……彼のその突飛な想像は、元産婦人科医の企みをあやまたず言い当ているのではあるまいか、と。
僕は緋村と共に、軍司さんの返答を待った。




