13:そう言うことかよ
「結論から申し上げます。あの部屋には、奥様の遺品など一切ございません。あそこにしまわれている品は、本当は全て、誉歴様のコレクションなのです」
意外な答えであった。しかし、それならば何故、堂々と展示せず、地下室に隠していたのか。
「誉歴様は、ある“秘密”を抱えて生きておられました。そして、その秘めたる願いを満たす為に、ああした品々を人知れず蒐集なさったのです」
「その秘密と言うのは……まさか」
「察しが付いたようですね。おそらく、緋村様が今お考えになったとおりでございます。──誉歴様は、生来ご自身の性と言う物に、疑念を抱いておられました。ある意味では、嫌悪しておられたと言っても差し支えないでしょう。あの方の心の奥の奥にあった本当の性は……女性だったのです」
それはつまり……誉歴氏は、性同一性障害を抱えていた、と言うことなのか?
心が女性だったから、振袖や化粧品、女児向けの玩具などを、密かに蒐集していた?
そして、そのことを隠し通す為に、それらを地下室にしまい、人目に触れぬようにしていた?
全く予想だにしなかった秘密が唐突に開陳され、ただただ、唖然とするしかなかった。僕たちは今、本来知ってはいけないはずの真実に、触れてしまったのだ。
そう言えば、誉歴氏は元来性を強調した事物に過敏なところがあったと、軍司さんは語っていた。もしかしたら、そうした品行方正さも、氏が性の同一性にズレを感じていたことに根ざしたものだったのではあるまいか。心が女性であるが故に、芸術作品ですら性的な要素を含む物を忌避していた……ある意味では、本物の女性以上に、そうしたモチーフに対し、穢らわしさを感じていたのでは……?
「元々あの地下室は、奥様の霊魂に祈りを捧げる為の場所として、設えられたそうです。しかし、いつしか全く別の用途に使われるようになりました。……と言っても、誉歴様に女装癖があったわけではございません。振袖も鬘も、実際に身に付けたことは一度もなく、ただ女性らしい品を眺めることで、ご自身の心の性を、慰めておられたのだと思います」
「以前衣歩さんたちが入った時は、化粧品が鏡台の外に出ていたそうですが、誉歴さん自身が使っていたわけではないのですね?」
「ええ……ただ、ご自身が本当に女性だったらどのように化粧をしたかと、想像を巡らせて楽しんでおられたのかと……」
「ですが、それであれば何も、秘匿する必要はなかったのではありませんか? わざわざ地下室にしまい込まずとも、他のコレクションと一緒に飾っていればよさそうなものですが……。あるいは、どうしても人目に触れさせたくない理由が、あったのでしょうか?」
「それは……」
「再び想像で語りますが──誉歴さんは周囲の人間や世間に対し、ある大きな嘘を吐いていたのではありませんか? その嘘は、元々は性同一性障害が原因で生じた物であり、それを誰かに見破られぬよう、心の性に関連したアイテムを、あの地下室に隠したのでは?」
またしても、緋村の言葉は核心を突いていたらしい。彼の姿を見上げた織部さんはいっそう痛切な面持ちで、唇を噛み締める。──血が出てしまうのではないか、と僕が危惧しかけたところで、彼はようやくそれをやめた。
「……たった今、緋村様の仰ったとおりでございます。誉歴様は、ほとんどその生涯に亘り、嘘を吐き続けておられました。誉歴様は──実際には、無精子症ではなかったのです」
「そ、それじゃあ、本当は子供を作ることができた、と言うことですか?」
堪らず尋ねる。緋村はやはりある程度予想していたのか、ただ静かに、織部さんの姿を見守っていた。
「生殖機能と言う面では、可能でした。しかし、それでも誉歴様は、女性との性的な交わりを持つことが、できなかったのでしょう。体は男性でも、心は違ったのですから……。そして、だからこそ誉歴様は、性同一性障害を隠す為に、重篤な無精子症だと偽っておられました。ご両親や、奥様にさえも」
身体的な問題ではなく、精神的な面で不可能だった、と言うことか。率直に言って共感することは難しい──が、納得のできる心理ではある。もし自分がそうした悩みを抱えていたとしたら……そんなことができるとは思えない。少なくとも、自ら望んで行おうとは……。
「時代が悪かったのです。現在は、こうした悩みを持つ人々に対し、多少なりとも理解が進んでいるのかも知れません。ですが、昔は違いました。特に、誉歴様のお父上はとても厳格な──いえ、昔気質なお方だったようなので、きっと性同一性障害のことを知られるのが、怖ろしかったのでしょう」
「お父様の存在が、誉歴さんが嘘を吐くことになった原因なのだと、考えているんですね?」
「ええ。千都留様とのご結婚を決めたのもお父上ですし、それから跡取りを儲けるよう、ずいぶんとプレッシャーをかけられていたそうです。人工授精を二回行ったのも、お父上からのご命令──と、誉歴様は捉えていました──だったから、だと……」
織部さんの語ったところによれば、先代社長は孫たちを競い合わせ、より優秀な方に次の社長の座を譲らせようと計画していたと言う。一人っ子であった誉歴氏には施すことのできなかった教育を、孫の代で実現するつもりだったのだとか。
そして、誉歴氏は厳父の意向に逆らうことができず、「本当の性」を隠したまま、血の繋がらない息子を、二人も得ることとなった。
「誉歴さんの性同一性障害や、無精子症ではなかったことは、奥様もご存知なかったんですよね?」
「そのはずです。『私は伝えていない』と、ハッキリ仰っていましたから。無論、香音流様と明京流様を人工授精によって授かったと言う話も、事実です」
「では、どうして織部さんは、その事実を知ることができたのでしょう? ご家族にさえ、隠していたのに」
「誉歴様手ずから、打ち明けてくださったのです。あれはまだ、奥様のご葬儀が終わって間もない頃でした。ご葬儀の直後、誉歴様は何日か家を空けられておりまして、その間わたくしは、留守を任されました。……そして、お帰りになられた日の晩、香音流様と明京流様がお眠りになったあとで、本当のことを、聞かせてくださいました」
彼は、当然のこと大いに驚いたし、困惑もした──と、同時に、どこか腑に落ちたように感じたと言う。
「何故、わたくしに話す気になったのかまでは、正確にはわかりません。しかし……秘密を隠し通すと言うことは、往々にして辛いものです。思うに誉歴様は、私に打ち明けることで、楽になりたかったのではないでしょうか」
こちらに関しては、手放しで共感することができた。そうした秘密を抱えることによって生じる苦悩には、僕も身に覚えがあったからだ。と言うか、誰だってそうだろう。秘密の一つや二つ、誰であれ隠し持っているものだ。
「今伺った話を知っている方は、織部さんの他にいらっしゃるんですか?」
相変わらず緋村が黙っている為、僕は質問役を続けた。
「わたくし以外ですと、軍司先生だけのはずです」
「軍司さんが……」
「ええ。先生は全てを承知した上で、精子バンクの手配や、人工授精の施術をなさいました」
だとすると、昨日の公開式で繭田さんを怒鳴り付けたのもの──その後、撞球室で神母坂さんの予言を一笑に付したのも──、誉歴さんの秘密を守る為にしたことだった、のだろうか。友人として、氏の想いを汲んでやった、と?──失礼ながら、あまりイメージにそぐわないように思えた。
とは言え、軍司さんがそれを知らないのであれば、誉歴氏の生殖機能が正常であることは、たちどころにわかっただろう。むしろ、軍司さんの協力があったからこそ、成立した嘘であると言える。
「そう言えば、昨夜繭田さんを迎えに行った際に尋ねていたことも、この話と関係が?」
「そうです。ひょっとすると、誉歴様の秘密について、真実を知っている女性がいて、その方との間に、瀬戸様が産まれたのではないかと、考えまして……」
この想像が正しいとして、それでは何故その女性は、誉歴氏の秘密を知ることができたか。織部さんのように、氏が自ら打ち明けたのか──だとしたら、二人はどのような間柄だったのか。そして、何故、氏はその女性との間に子供を設けなくてはならなかったのか……。いずれも、ここで考えているだけではわかりそうにないことだった。
織部さんから訊き出せる話も、この辺りが限界だろう。僕たちは謝辞を述べ、彼の部屋を出て行こうとした。
しかし、その間際、不思議なことが起こる。
他でもない緋村が、ある一点に黒眼を向けたまま、動きを停止めてしまったのだ。
しかも、彼の様子は何やら尋常ではなく──唖然としたように昏い目を瞠り、元から白い肌をいっそう蒼褪めさせたではないか。黒い髪がザワザワと揺れているようであり、中途半端に唇を開いたまま閉じることさえ、忘れてしまっているらしい。
いったい、緋村は何を見たのか。慌ててその視線の先を追うと、彼が食い入るように見つめていたのは、例の家族写真だった。
「い、いかがなさいましたか?」
織部さんも異変を察したようで、椅子の上からわずかに腰を浮かせる。
ほどなく、緋村は半開きの唇を戦慄わせ、
「耳が……」
──耳? 耳が何だと言うんだ?
僕は写真の中の三人の耳を、順に見て行く。香音流さんは、先端の尖ったやや薄い耳をしていた。
対して、明京流さんの物は全体的に丸っこく、耳たぶの厚い福耳だ。
最後に誉歴氏だが、こちらは顔に対してやや大きめであり、前方へ開くようにして、輪郭に沿って生えている。
三者三様、それぞれ全く違った形状をしていたが、誰も血の繋がった者はいないのだから、当然である。
──あるいは、晩年の誉歴氏が酷い難聴を患っていたことを、思い出したのか?
尋ねる代わりに、改めて彼の方を見やると、途端にその口角の両端が、薄気味悪く吊り上がる。
「……そう言うことかよ」
再び独語した緋村は、額縁の中身を睨み付けたまま──笑っていた。
まるでその写真を透過した先にいる何者かに、挑むかのように。




