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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第四章:魔獣の貌
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12:閑古鳥

 最後に、緋村は「刺青をした若い男」に関して、東條さんから聞かされたのを覚えているか、尋ねた。彼女はしばし記憶の襞を掻きわけたのち、首筋に手を当てたまま頷いた。

「でも、その時は意外に思ったくらいで、そこまで気にしませんでした。もうええ大人なんやから、誰とお付き合いしようが勝手でしょう? ホンマにそう言うご関係やったんかは、わかりませんけれど」

 至ってドライなコメントではあるが、実際そんなものなのだろう。

 改めて礼を述べた僕たちは、幸恵さんの部屋を辞した。

 廊下に出ると、楡さんは要望どおり、ドアのすぐ横で待機していてくれていた。

「終わったようやな。どうやった? 幸恵から、何を聞いたんや?」

「……先々週、神母坂さんとお茶をされた時のことを伺いました。そのさ中、神母坂さんは、楡さんとヨリを戻すことができると予言したそうです」

 幸恵さんが病室の前で耳にした会話には触れず、緋村は答えた。

「はぁ、そんなことがあったんやな。……ぜひとも、あやからせてもらいたいもんや」

「幸恵さんも、同じ気持ちのようでしたよ」

「ホンマか? なら……もう少しだけ話をしていくか」

 そう言って彼女の部屋に戻りかけた楡さんを、緋村が引き留める。

「その前に、少し質問させてください。楡さんは四年前、香音流さんのお見舞いに行ったことがありますか?」

 ここまでド直球(ストレート)な尋ね方をするとは思っていなかった。

 楡院長は虚を衝かれた様子で、ドアに手をかけたまま、不思議そうに彼を見返した。

「……いいや? 結局一度も行かれへんかったわ。明京流くんの方へは、あいつと一緒に何度か顔を出したんやけどな。今となっては少し──いや、かなり後悔しとる……」

 丸っこくて愛嬌のある顔が、俄かに翳る。少なくとも「後悔している」と言う点に関しては、嘘を吐いているように見えなかった。


 ※


 楡さんが妻の部屋の中に消えたあとも、緋村は考えを纏めている為か、しばしその場に佇んでいた。

「どう思う? 楡さんは、本当に香音流さんの見舞いには行かなかったのか? だとしたら、幸恵さんが聞いた会話は……」

「どちらかが嘘を吐いているか、勘違いをしているんだろう──くらいのことしか言えねえな。とにかく、あと一人、会っておきたい相手が残ってる」

 そう言うと、緋村はようやく体の向きを変え──階段の方へと歩き出す。


 織部さんは、自室にいた。

 許可を得て入室すると、彼はこれまでにも増して感情の消えた顔を、椅子の上からこちらに向けた。目の前の机には、湯気の立つカップが一つ。匂いでコーヒーだとわかる。

「いかがなさいましたか? お夕食までは、まだ時間がございますが」

「もちろん、わかっています。少し、織部さんに聞いていただきたい話があるのですが、よろしいですか?」

 案の定、彼は顔をしかめる。先ほどあれだけ苦言を呈されていながら、何事もなかったかのようにそんなことを言い出せば、不快に思われても仕方あるまい。

「申し訳ございませんが、緋村様のお話はもう聞きたくありません。他にご用がないのでしたら、お引き取りください」

 にべもない態度だが、緋村はどうするつもりなのだろうか。何か彼を説得する方法を考えた上でここに来たのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。

「わかりました。──では、せめてそのコーヒーを飲み終えるまでの間、勝手に喋らせていただくことにします」

 織部さんが何か言いかけたが、青年は歯牙にもかけず、さっそく語り始めた。

「書斎のコレクションの中に、一箇所不自然な空白がありました。元々あそこにも武器──棍棒が飾られていたが、『数年前に紛失してしまった』と、織部さんは仰っていましたね?──あれは、()だったのではありませんか?」

 そう言い放った瞬間、仮面のように血色の悪い顔の中に、ほんのわずかながら揺らぎが生じたように見えた。

「……何を根拠にそのようなことを仰るのでしょう? だいいち、そんな嘘を吐く理由がございません」

「いえ、あったんです。僕の考えが正しければ。──棍棒は、厳密に言えば紛失したのではなかった。誰かが持ち出したまま()()()()()()()()んだ」

 物がひとりでに消えるはずはないから、誰かが持ち出したと言うのは自明だろう。そして、それは要するに「紛失した」と言うことになるのではないか?

 そう思ったのだが、緋村の言いたかったことは、少し違っていた。

「織部さんは、その棍棒が『いつ』『誰の手によって』持ち出されたのか、知っていた。にもかかわらず、そのことを隠そうとしたのです」

「仰っている意味が」

「僕の想像したとおりであれば」相手の言葉を遮り、「それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()携えて行き、落雷に巻き込まれ紛失してしまったのでは?」

 彼の無表情が崩れる。一瞬、瞠若したかと思うと、すぐさま青年を睨み返した。

「明京流さんは、仲直りをする為に兄の後を追ったのではなかった。本当は、彼を()()()()()つもりで、迷宮の中へ入って行ったのでしょう。殺意とまではいかずとも、明確に痛み付ける目的があったと考えられます」

「……何故、そう思われるのですか?」

「理由は主に二つ。一つ目は、落雷のあった時点で、すでに香音流さんが迷宮の中心に到達していたことです。当時、明京流さんは懐中電灯を探してから外へ出て行ったそうですが、それだけなら迷宮に入る前に追い付くことができたのではないか、と考えました。本当は、明京流さんは懐中電灯だけでなく、書斎に武器を取りに行っていたからこそ、そこまでの時間的余裕が生じたのでしょう。──違いますか?」

 織部さんは、答えない。紫色の唇を真一文字に結び、苦しげに沈黙を守る。

「二つ目の理由を先に言わせていただきます。──以前、伺った話によると、誉歴さんの認めた絶縁状には、松尾芭蕉の句が添えられていたそうですね」

 憂きわれを さびしがらせよ 閑古鳥──だったか。

「この句に登場する『閑古鳥』とは、言うまでもなく、カッコウのことです。カッコウは他の鳥の巣に卵を産み落とし、孵った雛を育てさせる独特の生態──托卵で知られています。カッコウの雛は、基本的に巣の持ち主の雛より先に孵る為、元々あった卵や雛を蹴落とし、自分だけを育てさせるそうです。……また、ごく稀に、すでに托卵が行われた巣へ、さらに別の個体が卵を産み付けることもあるのだとか。そして、二つの卵がほぼ同時に孵った場合、二羽のカッコウの雛は、熾烈な落とし合いを演じる……。この闘いに負けた方には、当然死が待ち受けています」

「……博識でおられますね。しかし、そんなことが、今の話とどう関係しているのでしょう?」

「誉歴さんは、こうしたカッコウの生態を、ご存知だったのでしょう。そして、例の芭蕉の句は、香音流さんと明京流さんの関係を嘆いて、付記したものだった。人工授精によって産まれたお二人を、一つの巣に托卵され、殺し合うカッコウの雛鳥に喩えたのです」

 よくもまあ、想像だけでここまで堂々と語ることができるものだ。呆れると同時に、やけに納得させられてしまう。

 彼らの間にあった確執は、香音流さんの一方的な逆恨みだけではなかった。いや、例えキッカケはそうだったとしても、弟の方でもまた、兄への憎しみが育まれており、それが四年前の雷雨の夜に、とうとう決壊を迎えたのだとしたら……。流浪園におけるカインとアベルは、加害者と被害者と言う単純な構図ではなく、互いに嫌悪する相手を排除せんと、一騎討ちを演じたことになる。

 篠突く雨の中、亡き母の慰霊碑の眼前(まえ)で。

「……わたくしも、必死に止めようとしたのですがね。明京流様は、聞き入れてくださいませんでした。衣歩様を手篭めにしようとした香音流様に、目に物を見せてやると仰って、棍棒を手に出て行かれたのです」

 観念したようにフウッと息を吐き出した織部さんは、静かな声で述懐した。緋村の突飛な「想像」は、またしても的中してしまったのだ。

「迷宮の中心部に辿り着いたわたくしは、お二人のうちどちらを先に救い出すべきか、迷ってしまいました。当然ながら、わたくし一人だけの力では、お二人ともいっぺんにとは、いかったので……。すると、まだ幽かに意識のあった明京流様が、異様なまでに嗄れた声音で、こう仰ったのです」

 ──そんな奴、放っておけよ……。どうせ兄貴が死んだところで、哀しむ奴なんて、一人もいないじゃないか!

 死の淵に追いやられながらも、彼は懸命に唇を動かし、無情な言葉を放った。

「……結局、わたくしは明京流様から先に、外へ出して差し上げました。もしかしたら、その直前に香音流様がなさろうとしていたことが、まだ頭に残っていたのかも知れません。無論、本当に見棄てるつもりは、毛頭なかったのですが……ただ、『これくらいの罰は受けて然るべきだ』と言う、自分でもゾッとするような考えが、脳裏(あたま)に浮かんでしまったのも事実です」

 彼は、そのことを今でも悔いているらしかった。まるで自らの体を切り付けるかのように、苦しげに語る。

 その姿を静かに見下ろしていた緋村は、一度目を伏せた。

「話してくださりありがとうございます。お陰でスッキリしました。──しかし、できればもう一つ、教えていただきたいことがあります」

「……あの部屋のことでございますね?」

「ええ。先ほどの地下室にあった品々は、()()()()()()()()()()()……そもそも、あの空間は何の為に作られた場所だったのか……教えていただけますか?」

 当然断られるだろうと思ったのだが、意外にも、彼はこの要望に応じてくれた。

「かしこまりました……」

 頷いた使用人は、深く椅子にもたれかかると、ある場所に目を投じる。

 その視線の先には、僕が「不気味だ」と感じた家族写真がかけられていた。

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