7:件の如く
「明京流くんが亡くなる直前に、二人で話し合って決めていたことなんです。その後、おじさまの許可を得てから、明京流くんの精子を採取して、当時入院していた病院で保管させてもらいました。ちょうど、軍司先生と繋がりのあるところだったので、いろいろと、便宜を図ってもらって……」
幸恵さんの聞いたゴシップには、本当の部分もあったのか。実際に明京流さんの精子は保管されており、衣歩さんは軍司さんに「頼みごと」をしていた。
「そのことは、誉歴さんや軍司さんの他には……」
「誰も知りません。他のみんなには、昨日の公開式の時に、話す予定でした。『相続した遺産は、明京流くんとの子供を授かる為に使わせてもらう』って。──元々、費用はおじさまが出すと言ってくれていたんです。彼が亡くなったあと、私を養子として迎え入れたのも、半分はその為だったと思います」
しかし、誉歴氏が遺産の相続人に指名したのは彼女だけではなかった。誉歴氏はこのことを指して、「約束を違えるような真似をしてしまい、申し訳ない」と、遺言書の中で、謝っていたのだろう。
「……ただ、当時はまだ学生だったこともあって、大学を卒業し社会に出て、子供を育てられるくらい自立した上で、体外受精を行う約束になっていました。──だから、と言うわけではないんですけど、その時が来るまで、他の人には秘密にしておきたかったんです。死後懐胎なんて、認めてもらえるかどうか、不安だったのもありました」
「通常、病院などで凍結保存された精子は、本人が亡くなった際に破棄されてしまうはずです。その辺りに関しても、軍司さんのお力添えで?」
「そうです。無理を言って、明京流くんが亡くなってからも、そのまま保管できるようにしてもらいました。期間についても──普通は一年が限度で、期限を迎える何ヶ月か前に、延長の申請をしなければいけないみたいですけど──、体外受精が完了するまでは、無期限で保存してもらえるようになっています」
しかし、いくら凍結されているとは言え、四年もの間無事に精子を保存しておくことなど、できるものだろうか? 僕が疑問を口にすると、
「四年どころか、半永久的に可能らしいぜ。採取された精子に特殊な処置を施し、マイナス一九六度の超低温で凍結させるそうだ。ちなみに、二十八年もの間凍結保存された精子を用い、無事出産に成功したケースも報告されている。これは言うまでもなく、記録上の最長期間だが……とにかく四年程度なら、問題なく保存できるだろうな」
「なるほど……。相変わらず、知識の幅が広いね」
「先生のご著書のおかげで、また一つ賢くなっちまったのさ」
酷く投げやりか返事が寄越される。これ以上、話の腰を折るのはよそう。
緋村は再び、彼女に向き直る。
「ところで、準備はどの程度まで進んでいるのですか?」
「まだ、何も……みんなに伝えてから、必要な手続きを行うつもりだったので」
衣歩さんは、母になる決意を固めていたのだ。
今思えば本当に失礼なことなのだが、僕は彼女に対し、「人見知りの少女」だとか「愛玩動物」と言ったイメージを勝手に抱いていた。おそらく、親しい大人たちに囲まれ、愛を受けている姿から、そうした印象が想起されたのだろう。
しかし豈図らんや、その内側には、強い意志が宿されていたらしい。子供を産み、育てると言うだけても、まだ二十歳の僕からすれば、相当な覚悟が必要なことだと感じる。のみならず、彼女は亡き婚約者を愛し続ける道を望んでいた。そんな選択、容易にできることではない。
「ひとまず、今回の事件が落ち着いたあとで、改めて報告しようと思います」
こんなことがあって尚、その意志は揺らがないようだ。むしろ、遺産を横取りしようとする邪魔者が消えたこの状況は、彼女にとって好都合とも言える。死後懐胎の話を聞いて、より殺人の動機が補強されたように感じてしまった。
※
衣歩さんの密かな希いを知ったあとも、事情聴取はしばし続いた。
「瀬戸さんが私の金縛りについて知っているようだと聞いた時は、驚きました。金縛りの話は、ここに集まっている人やおじさま以外には、したことがなかったので」
「では、彼が知っていた理由に関して、心当たりはないのですね?」
「はい。だから、とても不思議に感じています。まさか、本当に瀬戸さんが私の見る幻覚の正体、なんてことはないでしょうけど……」
「榎園さんは金縛りに遭っている時、目を瞑っているのではないですか? 睡眠中に起こる金縛りのほとんどは、閉眼していると聞いたことがあります」
「たぶん、そうだと思います。いつも、体の自由が戻って来ると同時に、瞼を開ける感覚があるので。……でも、それがどうかしたんですか?」
「瀬戸くんの語った話によると、『金縛りに遭う女性』は目を開いているとのことでした。しかし、そんな状態、実際にあり得るのかと、気になっていたんです」
しかし、衣歩さんの場合は違った。睡眠中の金縛りである以上、瞼を閉じたまま意識だけが覚醒するのだろう。傍から見れば、単に悪夢にうなされているようにしか映らないはずだ。
「もう一つ、瀬戸くんの話には矛盾している点があります。件に似た妖獣の存在です。彼が本当に榎園さんの金縛りに登場する幻影だとすれば、当然その姿が目に入ったことでしょう。しかも、聞くところによると、その幻影──顔のない影は、もげ落ちた妖獣の首を跨ぎ、ベッドに近付いて来るそうですね。にもかかわらず、その女の首や仔牛の体に関して全く言及していないのは、少々不可解だ」
つまり、瀬戸の話は出鱈目だと言いたいのだろう。そんな理屈など捏ね回さずとも、当たり前のことではないか。
眠っている間に他人の意識の中に入り込むなど、あり得るはずがない。
「この林檎を発見したのは、榎園さんでしたね?」
話が切り替わる。緋村は未だに上着のポケットに入れたままになっていた、イミテーションの果実を取り出した。
「その際、何か気付いたことはありましたか?」
「いえ、特には……ただ、鮎子さんの姿が見当たらないので驚いたくらいです」
二人のやり取りを聞きながら、僕は緋村の掌の上の林檎を覗き込む。マジックで書かれた黒い文字が、果実に群がる小さな蟲のように見えた。
「神母坂さんから予言を聞かされたのは、確か二日前の夜でしたね?」
「はい……。織部さんが今回の準備をする為に二日ほど留守にすると話したら、鮎子さん、泊まりに来てくれたんです。私、その日の夜も金縛りに遭って……ちょうど、大雨が降っていたから……。夜中に目を覚ましたんですが、その時の悲鳴で鮎子さんを起こしてしまいました。それから、心配して付き添ってくれたまでは、よかったんですけどね」
微苦笑が浮かぶ。神母坂さんの予言に関しては、信じていないどころか、呆れてすらいたのだろう。
──ユタの素養を受け継いでいながら、ユタになることを許されなかった女性。彼女は凶事の訪れを予言した直後、絶海の孤島で惨殺された。
災いを告げて死ぬと言う、件の如く。
犯人によってその死体が見立てられるよりも以前から、神母坂さんはこの予言獣の性質をなぞるべく、運命付けられていたのかも知れない。
皮肉だ、と思うと同時に、ふとある疑問が浮かぶ。神母坂さんの予言は、これまで一度も当たった試しがなかったと言う。しかし、それでは何故、彼女は誉歴氏の信頼を、勝ち得ることができたのか。単に、妄信していた巫女の孫娘だったからなのか? それだけの理由で、思いどおりの遺言を書かせることが可能とは思えない。
彼女はあくまでもユタの孫であって、ユタその物ではなかったのに……。
「でも、鮎子さんの言ったとおりになってしまいましたね。『ホムンクルス』も『黒い死』も……そして、『さらなる災禍』まで。今まで当たったことなんて一度もなかったのに、どうしてこんな嫌な予言に限って、的中してしまうんでしょう」
「神母坂さんのお告げは、今回の事件のことを指していたとお考えですか?」
「わかりません。ただ意味深長なことを言っていただけで、たまたま今の状況と一致しているように見えるだけかも知れません。でも……段々と、否定できなくなって来ました。もしかしたら、私は鮎子さんの予言に従うべきなんじゃないか……そうしなければ、事態はさらに悪化してしまうんじゃないか、って」
「カインとやらが描いた絵を、探すつもりなんですね?」
頼りなげな面差しのまま、衣歩さんは頷いた。やはり、ペンダントを握り締めて。
「それが香音流くんのことを言っているのは、すぐにピンと来ました。だから、さっき東條さんに訊いてみたんです。彼の絵が、どこかに残っていないか。そうしたら、驚いた様子で、『一枚だけ買い取った物がある』と教えてくれました」
例の「お化けの絵」か。東條さんの口振りからして、魔除けになるような代物ではない──それどころか、製作者の怨念が込められていそうだ。
そもそも、神母坂さんの予言自体が遺産を奪取する計画の一部だったようだが、それでは彼女は何故、「カインの絵」を探し出すよう仕向けたのだろう? そんなことをさせて、何の意味があると言うのか……。
「しかし、よく東條さんが保管されているとわかりましたね」
「確信があったわけではありません。ただ、香音流くんが生前絵の売り込みをしていたことは聞いていたので、何か知っているんじゃないかと……。でも、まさか東條さんが持っているとは、思いませんでした」
東條さんに聞いたところ、その絵の存在を知っているのは彼と誉歴氏、そして神母坂さんの三人のみとのことだった。他の絵は全く売れなかったと言うし、本当に初耳だったのだろう。




