6:今でも彼のことを、愛しています
「いきなり踏み込んだ話になりますが、ご容赦ください。四年前ここであったこと、そして榎園さんと明京流さんたちのご関係は、すでに皆さんから伺っています。……しかし、お二人はどうして、香音流さんを流浪園に招待なさったのでしょう? それだけが、ずっと引っかかっていました」
直接この事件と繋がりのあることかどうかは不明である上、彼女にとっては何より辛い思い出だろう。しかし、衣歩さんは哀しげに表情を翳らせたものの、回答を拒むようなことなしなかった。
「それは……明京流くんが言い出したことなんです。『兄貴の諦めが付くよう、島に招いて祝福してもらおう』って。もちろん、私は反対しました。そんなことをしても悪戯に香音流くんを傷付けるだけだと思ったし、もし彼が逆上して喧嘩にでもなったら、私だけでは二人を止められません。だから、彼は招ばずに、私たちだけで過ごそうって説得したんですけど……明京流くんは、聞き入れてくれませんでした」
意外な答えだ。明京流さんは何の意図があって、傷心の兄に「お祝い」をさせようと考えたのか。
緋村がそう尋ねると、
「私にも、よくわかりません。彼が何を考えていたのか……」
本当なのだろうか? わからないと言う割には、何かに怯えている風にも見えるのだが……。
彼女はペンダントのチャームに触れたまま、おずおずと口を開く。
「お二人は……どこまで聞かされているんですか? その、香音流くんが私にしようとしたことも……?」
「……ええ。だいたいのことは」
「そう、ですか……」
「すみません、話を変えましょう。──神母坂さんに関して、よくない噂があったと耳にしました。どのような噂なのか、ご存知ありませんか?」
衣歩さんは、少し怪訝そうな顔をしてから、「さあ……そんな話、聞いたこともないです」と小首を傾げる。
「あ、でも、もしかしたらあのことかも……」
「何か、思い出されましたか?」
「は、はい。合ってるかどうかわからないんですけど……鮎子さんの体に、傷があると言う話を聞いたことがあります。腕とかお腹とかに、刃物で切り付けたような傷が幾つもあって、それを隠す為に、なるべく肌を晒さないようにしているって。言われてみれば、鮎子さんは季節に関係なく長袖長ズボンで過ごしていました」
僕たちが聞かされたのとは、全く違う内容だった。おそらく、裸婦画の件は衣歩さんの耳に入らぬよう、箝口令が敷かれているのだろう。
「その話は、どなたから聞かされたのですか?」
「香音流くんです。昔、この島に遊びに来た時に、彼がコッソリ教えてくれました」
「それは……子供の頃、と言うことですね?」
「はい。まだここに招かれるようになって間もない頃ですから、だいたい小学校高学年のくらいの時だと思います」
「なるほど……」
呟いたきり黙り込んでしまった緋村に代わり、僕が会話を継なぐ。
「子供の頃目にしたのであれば、香音流さんは怖がっていたんでしょうね」
「うーん、別にそう言う感じではなかったと思います。驚きはしたみたいですけど、怖がったり不気味がったりしている様子はありませんでした。たぶん、香音流くんは……同情していたのかな?」
純粋な少年だったらしい──あるいは、子供だったからこそ、切創の刻まれた彼女の体を、怖れなかったのか。
「今まであまり気にしていなかったんですけど、昨日の話を聞いて、本当のことなんだと感じました。巫病の発作──カミダーリィでしたっけ? 鮎子さんはそのカミダーリィのせいで、自分の体を傷付けてしまうことがあったみたいですから。……たぶん、香音流くんの言っていた傷も、そう言うことなんでしょうね」
確かに、体の自制が効かなくなり、自傷行為を繰り返すこともあったと語っていた。彼女の体にそうした傷痕があったとしても不思議ではないが、であれば、香音流さんはいったい何故、それを目にしたのか。
「神母坂さんの自傷行為と言うのは、今も続いていたんでしょうか?」
「大人になってからは、そこまで酷い発作は起きていなかったそうです。昨日、夕食の時にも話していました。『久しぶりに意識を失って、ビックリした』って」
しかし、あれは演技である可能性が高い。神母坂さんは、ペリュトンが落ちて来ることを知っていた。他ならぬ彼女自身が、繭田さん父子に命じたのだから。
「以前にも伺いましたが、《Sunny tourist》と言う旅行代理店を利用されたことは、一度もないんですね?」
「は、はい。……あの、どうしてですか?」
「順を追って説明します」
ここでようやく、僕たちが流浪園を訪れるキッカケとなった出来事を彼女に伝える。瀬戸が「金縛りに遭う女」をスケッチしていたと言うこと。それから半年ほど経った十二月九日の午後、井岡がそのスケッチのモデルと思われる、白いチェスターコートの女性を見かけ、追尾したこと。そして、その女性が入って行った雑居ビルの中で、《Sunny tourist》の従業員の口から、榎園と言う名前と、軍司さんの存在を聞かされたと言うことを。
「そんなことがあったんですね……」
難しげな表情で小さく眉皺を拵える。あまりにも突飛な内容に、当惑しているのかも知れない。
「でも、井岡さんが見かけたと言う人は、私ではありません。確かにその会社の存在や、取り扱っているプランについては、先生に教えてもらったことがあります。でも、私自身はまだ、一度も利用したことはありません。……それに、その日のその時間は、西宮の苦楽園にある、榎園家の本邸にいました」
それが本当であれば、女の素性を問われた際、《Sunny tourist》の従業員は何故、「エゾノさんのお嬢さん」と答えたのか。彼が勘違いをしていたのか、あるいはわざとそのような嘘を吐いていたのだろうか……?
もしくは、それは衣歩さんの方なのかも知れない。彼女は何か、僕たちや周囲の人間に、隠していることがあるのではないか? この事件の犯人であるか否かは、別として。
「ご自宅には、お一人でいたんですか? それとも、織部さんか誰かとご一緒に?」
少し探りを入れてみる。
「……一人です。織部さんは、その日出かけていました」
ならば、彼女の答えが事実だと保証できる人間はいないことになる。つい先ほどまで心配していた癖に、僕は早くも彼女のことを疑い始めていた。
そんな心境の変化を、敏感に察知したのか、
「でも、家にいたのは本当です。特に何かをしていたわけではないですけど、本を読んだり、動画視聴サイトでドラマを観たりして、過ごしていました。絶対に戎橋には行っていませんし、井岡さんのことも、雑誌の記事で読んだ以上のことは知りません」
弁明がましく聞こえたのは、疑念を抱いてしまったせいか。
「わかっています。その程度のことで、榎園さんを疑いはしませんよ。こいつの質問は忘れてください」
いつになく物わかりがいい。今の受け答えのどこに、信用に足る要素があったんだ? もっと追及してもよさそうなものなのに。
不服さが顔に出ていたのだろう、緋村に横目で制される。「いいから今は黙ってろ」と言う風に。
「先ほどある人から、気になる話を教えてもらいました。なんでも、軍司さんが明京流さんのクローンの製作に着手している、と言った具合です。それも、他でもない榎園さんの要望で。──根拠のない話のようですし、ハッキリ言って信じているわけではありません。が、念の為確認させてください。この噂は、事実なのですか?」
全く意想外の質問だったのだろう。衣歩さんは虚を衝かれたように、大きな瞳を瞬かせた。
かと思うと、均整の取れた面に微苦笑が浮かぶ。
「たぶん、その人が勘違いをしているんだと思います。そんなこと、私は頼んではいません。人間のクローンを作るなんて、幾ら先生でも難しいんじゃないですか? 私には知識がないので、よくわかりませんけど」
「だと思いました。真面目に尋ねた自分が恥ずかしい」
「……でも、先生に頼みごとをしているのは本当です」
「何を頼んでいるのですか? 差し支えなければ、教えてください」
彼女は逡巡するように目を伏せた──が、ほどなくして、意を決したらしい。上目遣いに僕たちを見上げると、小さな唇を静かに動かす。
「私は、明京流くんのクローンなんて望んでいません。ただ、四年前と変わらないくらい、今でも彼のことを、愛しています。だから……」
そして、今度はこちらが想像もしていなかった言葉が紡がれる。
「彼との子供を授けてもらえるよう、先生にお願いしました」
「つまり……死後懐胎を望んでいる、と言うことですか?」
「……はい」深く、頷いた。




