5:ルール違反
「すみません。私が余計なことを言い出したせいで、怒られてしまいましたね」
広間の前に差し掛かったところで、衣歩さんがしょげたような声で言った。
「榎園さんは悪くないですよ。僕たちが勝手なことをしただけですから」
緋村と並んで歩きつつ、僕は答える。実際、彼女に非はない。僕たちが少し調子に乗りすぎたのだ。
「でも、織部さんはどうしてあんなにあの部屋のことを秘密にしようとしていたんでしょう? 緋村さんも言っていましたけど、そこまで隠すような物はなかったはずなのに」
「もしかしたら……地下室にあった物は、本当は奥様の遺品ではなかったのかも知れませんね」
振り返りもせずに、緋村は奇妙なことを言い出した。何故そんな風に思うのか。
「どうしてですか?」
「掃除をした形跡が、一切見受けられなかったからです。織部さんは一昨日からこの館に滞在して、我々を迎える準備をしていた、とのことでした。その際当然室内の掃除をしていたはずですが、何故かあの部屋だけは全く手を付けていなかった。もしあそこにあった物が奥様の遺品であれば、多少のケアをしていても不思議ではありません」
「確かに、少しヘンな気がします……」
「そもそも、この屋敷に保管しておく理由が不明です。普通、そう言った品はご自宅に保管するものではありませんか?」
言われてみれば。ここはあくまでも別荘として使われており、頻繁に行き来できるような立地でもない。そんな場所に故人の思い出の品をしまうのは、いささか不自然だ。
「だとしたら、あそこにあった着物やら化粧道具やらは、誰の物だったんだ? あれも、誉歴さんのコレクションなのか?」
「その可能性もなくはないが……しかし、それなら隠す必要はない。他の蒐集品のように、堂々と飾っておけばいいだろう。それなのに、地下室への入り口を塞ぎ、あの空間ごと存在を秘匿していた。やっぱり、あそこにあった品々は、他人に見られたくない物だったと考えるべきだ」
となると、今度は「何故それを見られたくなかったのか」と言う疑問に行き当たる。こうして歩きながら話していても、その先にある答えには辿り着けそうにない。
「以前、あの部屋に入った時と、違っているところはありましたか?」
何かヒントは得られないかと、尋ねてみる。
「さあ、特にはなかったかと……強いて言えば、あの時はお化粧品が畳の上に出ていたんですけど、それが見当たらなかったくらいです」
「化粧道具でしたら、鏡台の中にそれらしい物がしまわれていましたよ」
緋村が教えてくれる。それから、彼は独り言のように、
「……そうか、その時は外に出してあったんですね」
そう呟いたきり、彼は何故か黙り込んでしまう。しばし無言のまま、僕たちは階段を上りきり、二階の廊下に出た。
すると、緋村は不意に足を止め、
「もう少しだけお付き合いいただいても構いませんか? やはり、榎園さんにもお話を伺いたくなって来ました」
振り返りながら、出し抜けにそんなことを言い出す。こんなにも容易く軍司さんとの約束を違えるとは思っていなかった為、僕は面食らった。
「おい、それはルール違反じゃないのか? 榎園さんは事情聴取の対象から外すって言う条件で、今まで話を聴いて来たのに。軍司さんに知られたら、事件の捜査どころじゃなくなるだろ」
「なら、バレないようにすればいい。それに、俺は何も榎園さんを尋問したいんじゃない。ただ、幾つか確認させてもらいたいことがあるだけだ」
「詭弁だな」
「そうとも言うな。何にせよ、あとは榎園さん次第だ。──もちろん、無理強いはしませんし、答えたくない質問には答えてくださらなくて結構です。いかがでしょう? 我々に、協力してくださいませんか?」
衣歩さんは逡巡している様子だったが、しかしすぐに、
「……わかりました。では、場所は私の部屋でお願いします」
意外にも、事情聴取を承諾してくれる。
「本当に、いいんですか?」
「心配してくれるんですね。ありがとうございます。──でも、大丈夫です。私も事件の真相が知りたいですし……それに、迎えの船が来て警察に届け出るまで何もしないでいるのは、焦れったいですから」
それから衣歩さんは、「もちろん、他のみんなには内緒で」と笑顔で付言した。彼女がそう言うのなら──騙しているような申し訳なさは禁じ得ないが──、協力してもらうことにしよう。
部屋の主がドアを開くと、向かって正面に位置する窓が、まっさきに目に入った。そう言えば、今朝は物置の前からあの窓を見上げたんだったなと、遠い過去の記憶のように思い出しつつ、緋村に続いて入室する。
彼女の部屋もほとんど他の客室と変わらなかった為、詳細な描写は省く。特筆すべき点と言えば、僕たちの部屋と違い屋根裏への入り口が塗り固められておらず、尚且つ神母坂さんの部屋と同様、ささやかな階段が壁に沿って設えられている──こちらも、部屋の奥から廊下に向かって段が上がっていた──こと。それから机の上に、昨晩贈られた誕生日プレゼントが、何点か置かれていることくらいか。
そうした贈り物たちの傍らに、衣歩さんはベルトから抜いた古武器を、怖々とした手付きで置いた。僕はその時になって初めて、への字に湾曲した刃の根元の一部が、ネズミでも齧ったように抉れていることに気付く。
「正直、こんな物があったからと言って、身を守れるとは思えないですよね」
振り返った彼女が、微苦笑する。そう言えば、僕と緋村も、結局書斎で借りた古武器を装備していない。他の人たちも似たようなもので、常に持ち歩いているのは、軍神様くらいだ。
「ええっと、これ、何て言うんでしたっけ?」
「ククリです。ネパールのグルカ族などが使っていたことから、グルカナイフとも呼ばれます」
毎度のことなので察しは付くだろうが、答えたのは緋村だ。
「これは西洋式の物ではなく伝統的な様式のククリですね。刃の根元にある小さく抉られた部分はチョーと呼ばれていて、一説によれば、これはシヴァ神の──」
緋村は何故か言葉の途中で口を噤んでしまう。そんな半端なところで黙り込まれてしたったら、続きが気になるではないか。
「シヴァ神って、ヒンドゥー教の神様だよな? そのシヴァがどうしたんだ?」
「いや、この話はやめよう。別に大したことじゃねえし。──そんなことより、よろしいですか? さっそく始めさせていただいても」
衣歩さんがベッドに腰掛け、緋村は椅子に座る。僕は例により、彼の横で立っていることにした。




