4:誰が予想できただろうか?
そこは、六畳ほどの狭い和室だった。
部屋の中には左の壁から順に、古い桐箪笥、奥には丸い手鏡を備えた蒔絵鏡台、そして右手には、衣桁にかけられた真っ赤な振袖が配置されていた。真紅の生地に純白い椿の花が咲き乱れ、その芳香に誘われたかのように、数匹の揚羽蝶が舞っている。花びらの白と筒しべの黄、葉の深緑に蝶文様の金など、色遣いが非常に華やかだ。
他には大きな葛籠が一つ、箪笥の傍らに、意味ありげに置いてあるくらいか。大きいと言っても横幅は一メートルほどであり、当然子供でもない限り、人が隠れられるような物ではない。
一通り室内を見回した感想は、「昔の舞台役者の楽屋」だった。洋風建築の屋敷の地下にこのような空間があることなど、誰が予想できただろうか?
ひとまず危険はなさそうだったので、緋村が衣歩さんに声をかける。
降りて来た彼女に、緋村は室内にある物を見てよいか尋ねた。
「それは構いませんが……事件と関係のある物はなさそうですね。自分で言い出しておいてなんですけど」
「そうですね。見たところ最近人が入った様子はありません。埃も積もっていますし、蜘蛛の巣も張ってる。ここは織部さんも掃除をしていなかったようです」
箪笥の表面を人差し指でなぞった緋村は、指先に付いた埃を吹き飛ばす。彼の言ったとおり、畳や数少ない調度品はどれもウッスラと埃を被っていた。
事件と無関係な場所であれば、あまり好き勝手に漁るのは申し訳ない。故人を偲ぶ品がしまわれているのなら、尚更だ。
緋村はそのまま箪笥の引き出しや扉を開けて、中を覗いていたが、特に発見はなかったのか、すぐにそこを離れる。
続いて蒔絵鏡台の引き出しを改める彼の姿を眺めているうちに、僕はどうしてもあることが気になり始めた。何もせずに緋村の作業を見守っているつもりだったが──やはり、それだけは確認しておくか。
僕は箪笥の横に置かれた例の葛籠の前で、膝を突いた。
「いいですか? 開けてみても」
一言断ってから、葛籠の蓋を持ち上げ、脇に置く。
少しだけ埃が舞った。咳き込みながら、中にある物を見下ろす。そこには真っ赤な手鞠やお手玉、おはじきなどが、雑然としまわれていた。昔の子供のおもちゃ箱のようだ。
千都留さんが幼い頃に使っていた物かとも思ったが、それにしては時代が古すぎる。彼女の祖母のお下がりと言われた方が、シックリ来るだろう。
また、そうしたレトロすぎるおもちゃたちに交じり、三十センチほどの高さの桐箱が一つ、異彩を放っていた。
なんとなく中身が気になり、その桐箱を取り出してみる。あまり重い物は入っていないらしい。
袋紐を解いてから、他の二人にも見えるように下に置く。骨董品の鑑定士にでもなったような気分で、僕はその蓋を外した──
直後、情けないことに悲鳴を上げてしまった。
仰け反った拍子に箱を倒してしまい、畳の上に中身が転がる。
それは、人の頭──のように見えた。
黒い髪の毛の塊が突然現れたのだから、そう勘違いしてしまったのも、無理からぬことだろう。自分で自分にフォローを入れるようだが、僕はすでに神母坂さんの生首を目にしている。その時の様子がフラッシュバックしかけたが、よくよく見てみれば、それはあの死体のようにオゾマシイ物体ではなかった。
何と言うことはない。ただの鬘だ。歌舞伎の女形が着けるような長い髪を丸く纏めた形の鬘──丸髷と言うらしい──が、顔のない簡易的なマネキンの頭と共に、箱にしまわれていた。
その正体に気付き、僕はホッと息を吐く。
「びっくりした……」
「こっちはお前の声に驚いたけどな。生首にでも見えたのか?」
見上げると、彼が片頬を歪ませていた。
「仕方ないだろ、こんな状況なんだから」
そう言い返したものの、少し気恥ずかしさはあった。衣歩さんにも──控えめではあるが──笑われてしまったし。
誤魔化すように、僕はすぐに膝立ちになり、箱を元に戻そうとした。
しかし、そうするよりも先に、頭上で足音がした。
誰かが誉歴氏の部屋に入って来たのだ。そう思った直後、怒鳴り声が降って来る。
「そこで何をなさっているのですか!」
見上げると、血相を変えた織部さんが、地下への入り口から顔を覗かせていた。
彼の視線は僕たちの姿を順に追ったのち、先ほどの鬘に留まる。それを見た彼が瞠目したのがわかった。
しかし、その驚愕の表情はすぐさま、苦虫を噛み潰したような険しい物へと変わる。
「申し訳ありません。衣歩さんからこの部屋の存在を伺い、気になったもので調べていました」
「いったい何の権限があってそんなことを。その部屋は、あなた方が入っていい場所ではございません! 早く上がって来てください!」
予想外なほど厳しい語調に、少々面食らった。しかし、彼の言うことは正しい。
僕たちはおとなしく従うことにする。
その間際、僕は鬘を箱に戻そうとしたのだが、
「そのままで結構。本棚も含め、わたくしがあとで片付けておきますので、それ以上何も触らないでください」
そんな風に言われるようなことをしたのか? 甚だ釈然としなかったが、ひとまず素直に応じておいた。
誉歴氏の部屋に戻ると、織部さんは元の死人じみた無表情で、僕たちを迎えた。
「お二人がこの事件の調査をなさるのは構いません。しかし、これ以上我々や、誉歴様のプライベートに踏み込むような真似は、ご遠慮ください。もう十分、協力して差し上げたはずです」
「わかりました。しかし、これだけは確認させてください。今朝、館の中を探索した際、どうして地下室の存在を黙っていたのですか? 犯人が身を潜めるとしたら、これ以上ない隠れ場所だと思うのですが」
「そんなもの、簡単なことです。犯人がこの部屋の存在を知り得たはずがないからですよ。それに、みなさんのなさったように、本を取り除き本棚をどかして中に入ることができたとしても、地下に下りてしまっては、元どおりにはできません。しかし、今朝ここに入った時、本棚の様子に変わりはありませんでした。つまり、地下に誰もいないことは一目瞭然だったわけです」
「ナルホド。だから、報告する必要はないと判断した、と。ありがとうございます、よくわかりました」
礼を述べた緋村はすぐに部屋を出て行こうとした。慌てて僕たちもそれに続いたが、すぐに呼び止められる。
「お待ちください。あの部屋の存在や、中で目にした物は、くれぐれも他言なさらぬようお願いします」
「……何故でしょう? 隠し立てするようなことなど、何もなかったように思いますが」
「……それが、誉歴様の望みだからでございます」
どう言う意味だ? 全く答えになっていないではないか。
あの地下室は、亡き妻の遺品をしまってある場所だと思ったのだが、それでは何故本棚で入り口を塞いでまで、その存在を隠したがったのか。ここに来てまた一つ──事件との関連性は不明であるものの──謎が増えてしまった。




