2:お話ししたいことがあって
遅めの昼食を終えたあと、僕たちは客室の中で過ごしていた。特にこれと言って何をするわけでもなく、事件とは関係のない雑談をしていたのだが、急に緋村からの返事が寄越されなくなる。
上のベッドに寝そべっていた彼は、今度こそ仮眠を取ることにしたらしい。
緋村の眠気が伝播したのか、大きな欠伸が出た。僕もベッドに移動しようかと思っているうちに舟を漕ぎ始め、動くのも面倒に感じ、椅子に身を預けたまま瞼を閉じる。
──心地よい午後の微睡みは、控えめにドアをノックする音によって破られた。
初めはどうせまた家鳴りだろうと思ったのだが、再度ドアが叩かれた為、誰かが訪ねて来たのだと理解する。
いったい誰だろう? 僕は眠たい目を擦ってから、椅子を引いて来客に応じた。
鍵を解錠け、ドアを開く──すると、そこには意外な人物が佇立していた。
「すみません、突然お邪魔してしまって。今、お時間大丈夫ですか?」
小さく頭を下げた衣歩さんは、それから不安げな瞳でこちらを見上げた。相手の庇護欲を強制的に湧き立たせるような表情に、思わずたじろいでしまう。
僕は反射的に視線を逸らした──その拍子に、ある物の存在が目に飛び込み、心臓が握り潰されるような感覚を味わう。
彼女は喪に服すかのように、長袖の黒いワンピースに着替えていた。純白の折襟を持つクラシカルなデザインで、蝶々結びをしてリボンのように腰に巻いたベルトが、シックになりすぎるのを防いでいる。それ自体は意外こそすれ、とてもよく似合っていたのだが。問題は、ベルトに差し込まれた、異物だ。
それは、鉈とナイフの合いの子のような、巨大な刃物だった。見るからに殺傷能力の高そうなその武器を、何故彼女は携えているのか。まさか、僕と緋村を殺す為、とまでは、さすがに思えなかったが……。
僕はしばし、折れ曲がったその刃に、釘付けとなる。
すると、衣歩さんの方でもこちらの視線に気付いたらしい。彼女は慌てて弁明するように、「こ、これは違うんです」と言った。
「書斎のコレクションの中にあった物なんですけど、東條さんが護身用にって、私の部屋を出て行く時に、貸してくれて……」
そう言われて思い出す。今朝、一緒に屋敷の一階を見て行った際、東條さんは「大振りなナイフのような古武器」を、携えていた。
「もちろん、若庭さんたちに危害を加えるつもりはありません。少しだけ、お二人にお話ししたいことがあって、伺いました」
僕がまご付いているうちに、彼女は瞳を伏せてそう付言した。その姿を見て、少し申し訳ない気持ちになる。僕が勝手に驚いてしまっただけで、彼女に非はない。むしろ、こちらが謝罪すべきかと考えた矢先、
「そいつのことは気になさらずに、入って来てください。ちょうど、暇をしていたところです」
いつの間に起きていたのか、二段ベッドの上から、緋村が声をかけて来る。
「ありがとうございます。失礼します……」
衣歩さんを部屋に入れると、僕はひとまず椅子を勧めた。緋村は下りてきた梯子の途中に腰を下ろし、僕はベッドに座る。
「話と言うのは?」
「……緋村さんたちは、事件の調査をしているそうですね。さっき、東條さんから聞きました。それで、犯人の目星は付きそうですか?」
「残念ながら。まだ少しも、的を絞れていません」
「そうですか……。あの、急に変なこと訊くようですけど、瀬戸さんの遺体は、まだ図書室にあるんですよね? 今朝以降、確認しましたか?」
「ええ、ありますよ。先ほど繭田さんの遺体を運び入れた際、瀬戸くんの隣りに安置させてもらいましたから」
密かに死体の身元確認を行ったことは、伏せるつもりのようだ。
「彼の遺体がどうかされましたか?」
「少し、おかしなことを考えてしまって……でも、やっぱり私の思い過しだったようです」
「よろしければ、教えてください。参考にしたいので」
緋村が促すと、彼女ははにかみながら「笑わないでくださいね?」と前置きをした。
「私、瀬戸さんが犯人だと考えていたんです。瀬戸さんは殺されてはいなくて、本当はまだ生きてるんじゃないかって」
彼女も首なし死体を用いた死の偽装トリックを考え付いたのかと思ったが、意外にも、この予想は外れる。
「今朝発見された瀬戸さんは、実は死体ではなかったんです」
「それは……瀬戸くん自身が死んでいるように見せかけていただけで、あの死体はまだ生きていた、と言うことですか?」
衣歩さんはコクリと頷く。──まさか。首が挿げ替えられていた上に、両手を持ち去られていたんだぞ? そんな状態で生きていられるわけがないじゃないか。
「瀬戸くんは首を切断され、牛の剥製と縫い付けられていました。誰の目にも、彼が絶命していたことは明らかだと思うのですが……」
「もちろん、私も突飛な発想だと思っています。ですが、もし瀬戸さんの首が、本当は繋がったままだったとしたら、どうですか? つまり、あの牛の頭は首を切ってから縫い合わせたのではなく、頭からスッポリと被っていただけだったとしたら……?」
それでは、剥製の頭の中には、本当は瀬戸の首が無事のままで残っていたと言うのか?──あり得ない。
「確かに、剥製の大きさを考えれば、被ることはできるでしょうが……しかし、糸は? 牛の頭に中身があったのかはともかく、首に縫い付けていたのでは、痛みで犯行どころではなくなるはずだ」
「麻酔や鎮痛剤を使って、痛みを感じなくしていたんだと思います」
「では、手首の方はどうしたのでしょう? たとえ麻酔で痛覚を麻痺させたとしても、両手を切り落としたりしたら、無事では済みません」
輪切りにされた手首の鮮やかな断面が、脳裏に蘇る。あの死体の両手首は確実に切断されていた。緋村曰く「まだ割と真新しかった」そうで、殺害後、首と一緒に犯人が持ち去ったことは自明だ。
自ら両手を切り落とすなど、死の偽装どころか自殺行為に他ならない。そもそも、一人で自分の両手を切断する方法が不明である。
しかし、この疑問にも、彼女は答えを用意していた。
「あの腕は、瀬戸さんの物ではなかったんです。瀬戸さんは自分が殺されたように見せかける為に、鮎子さんの両腕を利用したんですよ。手首を切断した鮎子さんの腕を、結び付けるとかして体に固定してから、シャツの袖を通したたわけです。瀬戸さんは華奢な人でしたから、鮎子さんの腕でもさほど違和感はないと思います。
それから、両手が持ち去られていたのは、もちろん自分が死体だと思わせる為。そして、鮎子さんの体を隠したのは、遺体の腕がないことから、このトリックがバレてしまうのを防ぐ為だったんじゃないでしょうか?」
言い終えた衣歩さんは、僕たちの反応を窺うように、揺れ動く瞳でこちらを見上げる。彼女の推理を聞かされ、僕は二つの意味で驚いていた。
衣歩さんは、これまで誰も解けなかった謎──瀬戸の両手が持ち去られた理由や、神母坂さんの体が見付からない理由──に、答えを与えている。現実的な発想かどうかは別として、その点だけを抜き出してみれば、非常に論理的だ。
しかし、そんなこと以上に意外だったのは、衣歩さんがかように猟奇的なトリックを考え付いたと言う事実である。剥製の頭を被り自らの首と縫い合わせるなど、ミステリを通り越して、もはやサイコホラーだ。それは幼い少女のような面立ちをした彼女には、到底似つかわしくない発想であり、いっそう事態の異常さを際立たせている。
「……なるほど。面白い推理です」
戸惑い半分感心半分と言った風に、緋村が感想を述べる。
「しかし、残念ながら、あれは確かに死体でした。我々は図書室に搬入するのを手伝ったので、断言できます。生身の人間と死体とでは当然体温が違いますから、間違いようがありません」
緋村の言うとおりだ。あの冷たく硬い体が、生者の物であるはずがない。
「お二人の死亡推定時刻に関して、正確なところはわからないものの、『死後間もなくではないが、そう時間は経っていないだろう』と、軍司さんも仰っていました。特に、瀬戸くんの遺体は今朝の時点で、肩の辺りまで死後硬直が進んでいたそうです」
人間の体は、死後二、三時間ほどが経過すると、顎から順に、下に向かって、関節が硬化して行くのだったか。軍司さんが嘘の検死結果を報告したとは思えないし、やはりミノタウロスは死んでいたのだ。
「また、瀬戸くんの首が実は繋がったままだった、と言うこともあり得ません。遺体を運ぶ際仰向けにしたのですが、牛の頭が重さで床の方へ垂れ下がっていました。もし剥製の中に彼の頭があれば、ああ言った状態にはならないでしょう」
「……やっぱり、そうですよね。すみません、変なことを言ってしまって。きっと、みんなを疑うのが嫌で、現実逃避をしたかったんだと思います。今のは忘れてください」
「お気持ちはわかります。それに、瀬戸くんが犯人である可能性もないわけではありません。今朝発見された死体は彼ではなく、本当は別の人だったのかも知れない。そして、そのことを悟らせない為に、死体の首を挿げ替えたとも考えられます」
「ああ、そっちの方がまだあり得そうですね。どちらにせよ、恐ろしい犯行ですけど……。でも、もし瀬戸さんが犯人だとしたら、どうしてこんな事件を起こしたんでしょう? いえ、誰が犯人でも、何故鮎子さんを殺害する必要があったのか、全くわかりません。緋村さんの考えでは、繭田さんも誰かに殺された可能性があるんですよね? だとしたら、犯人の動機は何なのか……。わからないことだらけで、怖いです」
長い睫毛の影が、白い頬に落ちる。衣歩さんは胸元のロケットペンダントを握り締めた。そうすることにより、不安に呑まれそうになるのを持ち堪えるかのように。
衣歩さんは、知らないままなのだ。
三人を繋ぐ見えざる線──遺産を奪う企みを。
そして、彼女が姉のように慕っていた女性こそが、その首謀者であることを。
僕はやりきれない気持ちで胸が苦しくなった。その残酷な事実を伝える気には、今はなれない。これ以上この人が傷付く必要なんて、ないはずだ。




