14:この事件は、奇妙だ
「春也さんのことだけど、うまく瀬戸に成り代わることができたとして、島を出たあとはどうするつもりだったんだろう? 整形によって顔を似せたところで、それだけじゃ瀬戸として生きることはできないはずだ。……もしかして、身分証の類いなんかは、すでに奪い取っていたのかな?」
だとすれば、瀬戸はもうこの世にはいない可能性が高い。それだけは、あってほしくなかった。
「かも知れねえな。あるいは、本人から強奪せずとも、偽造していた可能性もある。そう言った仕事を請け負うグレーな業者ってのは、実在するからな。しかも、インターネットで簡単に検索しただけでヒットするほど、堂々と商売を行っているケースもある。卒業証明書を作って学歴を偽ったり、他人の保険証やパスポート、戸籍謄本なんかを拵えたり……とにかく、ありとあらゆる重要書類に対応しているようだ」
「やけに詳しいけど……まさか利用したことがある、なんて言わないだろうな」
「ねえよ。少し、興味本位で調べたことがあるだけだ」
何故そんなことに興味を抱いてしまったのか。おそらく、どんな知識であっても、吸収せずにはいられないのだろう。
「スポンジみたいな奴だな」
「……ああ」
「ああって」
自分で認めるのかと呆れかけたところで、それが完全なる生返事であることに気付いた。
「どうした? 何か思い付いたことでもあるのか?」
「……いや。ふと気になったんだ。繭田さんたちは、どんな父子だったのかって」
「そう言えば、軍司さんは『亡くなった奥さんの連れ子』だと言っていたな……」
そして、血の繋がりのない息子を男手一つで育てて来た、とも。つまり、ここにも血縁関係のない親子が存在したわけだ。
今一度、頭の中で列挙してみる。
誉歴氏と香音流さん、明京流さんの兄弟。
誉歴氏と、その養女となった衣歩さん。
そして、繭田さん父子。
これで全てか?──いや、もう一組いる──可能性がある。
瀬戸と、その両親だ。彼が本当に誉歴氏の実子であり、生後間もない頃瀬戸家に預けられたのだとしたら、このリストの中に加わえなくてはならない。
都合、四組もの血の繋がらない親子が、登場しているわけだ。──あまりにも、多すぎる。
今さらながら、つくづく思う。
この事件は、奇妙だ、と。
ほどなく、僕たちは死体安置所となった図書室に着いた。規模は学校にあるような物を少し縮小した程度で、意外と本格的だ。
ここに住む剥製は一頭の羆であり、立ち上がったら二メートルは優に超えそうな巨体を、部屋の角に、窮屈げに収めていた。あれがもし「生身」だったら全く別の事件になりそうだと、僕は無意味に恐怖する。
また、真ん中の広々とした空間に四組の長テーブルがくっ付けて置かれており、今は三体もの死体が、その上に横たわっていた。遺産の奪取を目論んた結果、何者かに誅殺された、裏切り者たちの骸だ。
緋村はそのうちの一つ──ミノタウロスへと近付き、被せられていたシーツを剥がした。
淀んだガラスの目玉が、虚ろに天井を見上げている。
「あまり死体を荒らすなよ」
思わず目を逸らしつつ、エールを送った。
「わかってるさ」
彼には「前科」がある為、信用ならない。縫い目や手首の切断面など、痛々しい場所を見ないようにしながら、僕は彼の作業を監視した。
緋村はマウンテンパーカーの前を開き、手際よくシャツのボタンを外して行った。着ている物を肩の辺りまではだけさせ、肌着の前が見える状態にすると、今度は死体をうつ伏せにする。どうやってタトゥーの有無を確認するつもりなのかと見守っていると、彼はTシャツの襟を引っ張り上げ、その隙間から男の背中を覗き込んだではないか。
必然的に死体──それも首と剥製の繋ぎ目──と、顔が接近することになるのだが、いったいどんな神経をしているのだろう?
「……当てが外れたな。タトゥーどころか、傷一つ見当たらねえ」
ようやく顔を話した彼は無味乾燥な声で言い、死体の服を元に戻し始める。
「じゃあ、その死体は春也さんじゃないってことか?」
「どうだろうな。タトゥーがなかったからと言って、そう決め付けるにはまだ早い。シールだったそうだから、ここに来る前に剥がして来た可能性もある」
「確かに。繭田さんに確認してもらうこともできなくなったし、自分たちだけで身元を特定するのは難しいか」
あの時、繭田さんの食事よりも死体の確認を優先していれば、彼が何か気付いてくれたかも知れない。とは言え、インスリン製剤に毒が仕込まれていたことなど、予測しようがなかったし、どのみち繭田さんが命を落とさずに済んだと言う保証はないが……。
作業を終え、シーツをかけ直した緋村は、続いて最も小さな遺体に被せられていた物を捲った。
てっきりミノタウロスの背中を調べるだけだと思っていた為、少々驚いた──と、同時に、反射的に顔を背ける。人の体に剥製の首が付いているよりも、仔牛の体から人の頭が生えている方が、よっぽどオゾマシク感ぜられたから。
巨大な羆を眺めながら、彼に問う。
「神母坂さんの遺体にも、用があったのか?」
「ああ。一応、返しておくべきかと思ってな」
何のことを言っているのか、すぐにはわからなかった。気になったので横目で──彼の後ろ姿にピントを合わせるよう意識して──見てみると、ズボンのポケットから何かを取り出し、死体の眼前に置くのがわかった。
例の、双頭の蛇を模したイヤリングだ。
「……アンフィスバエナか。こんなところにも、幻獣の見立てがあったんだな」
今更のように、呟く声が聞こえて来る。『幻獣辞典』の次は『博物誌』か。博物学的興趣に溢れたこの屋敷には、相応しいモチーフだろう。
緋村がシーツを元どおりにしたあと、僕たちは三人に向けて合掌し、図書室を出た。
※
続いて、緋村の煙草休憩に付き合うべく、屋敷の反対側にある撞球室へ向かう。
すると、そこには先客が一人いた。
「あら。なんだか、久しぶりに会うた気がしますね」
カウンター席にかけていたのは、幸恵さんだった。確かに、今朝から衣歩さんに付きっきりだった彼女とは、もう何日も会っていなかったような気分だ。
「付き添いはいいんですか?」
煙草とライターを取り出しつつ、緋村が尋ねる。
「ええ。さっき夫と交代してもらいました。衣歩ちゃんも目を覚ましたので、もう大丈夫でしょうけど」
そう言えば、食堂を出る間際、楡さんたちがそんな話をしていたか。
「よかったら、一本もろてもええですか? 電子タバコを持って来たんですけど、充電がきれとって」
彼女は隣りの椅子に置いてあった真っ赤なポーチを掲げた。要望どおり、緋村は煙草を差し出し、ついでにライターで火を点けてやる。
「ありがとうございます。赤マル吸ってはるんですね。久しぶりやと少しキツいわ」
目を細め、自らの吐き出した煙の先を見つめた。それから、彼女は思い出したかのように、
「繭田さん、亡くなってもうたそうですね。夫から聞きました。あの人のことはそこまでよく存じ上げませんけれど、殺されてまうやなんて可哀想……」
本当は遺産を奪おうとする邪魔者が消えて、清々しているのではないか? 無論、積極的に彼女を疑う理由はないのだが、どうしても勘繰ってしまう。
「少し、お話を伺ってもよろしいですか?」
自らもマルボロに火を点けると、緋村はさっそく聴き込みを始めたがる。
幸恵さんは細い眉を吊り上げた。
「まだ捜査を続けはるつもりなんですね。先生と一悶着あったそうやのに」
「身のほどを弁えろと言われてしまいました。そろそろ見切りを付けるつもりですので、ご容赦ください。──まず、昨日の夜、我々が繭田さんを連れ戻しに向かっている間のことを教えてもらえませんか? 屋敷に残ったみなさんが、どう過ごされていたのか」
「私たちを疑ってはるんですか? コッソリ犯行の準備をしていたんやないか、と?──だとしたら、誰にも怪しいところはなかったと言うておきます。軍司先生はずっと東條さんの手当てをしておられましたし、私たち三人は、衣歩ちゃんの部屋で、お話ししていましたから」
それが本当なら、当時屋敷に残った五人には、毒を仕込む機会がなかったことになる。やはり、瀬戸に成りすましていた春也さんの犯行だったのか。
あるいは、公開式よりも前の時点で、すでに罠を仕掛け終えていたのかも知れない。
「どのようなお話をされていたのでしょう? 差し支えなければ、教えてください」
「主に遺言書の内容について、です。『瀬戸さんが誉歴さんの子供と言うのはホンマなんやろか』とか、『軍司先生があんなに暴れるなんてビックリしたわ』とか。先生が激情家やってことは知ってましたけど、もう昔の話やと思っていたので」
「あの遺言書は本物だと思いますか? 根拠がなくても構いませんので、率直な意見をお聞かせください」
「偽物です。絶対に」
即答であった。しかも、何か確信を持っているような口吻だ。
「何故断言できるのでしょう? 理由があるようですが」
「何故って、誉歴さんは前々から衣歩ちゃんに全ての遺産を譲ると決めてはったからです。少なくとも、私はそう聞かされていました」
「他の人たちにも、事前にその話をしていたのでしょうか?」
「それはわかりません。ただ、おそらく、私が最初に相談を受けたはずです」
どうして言い切れるのか。幸恵さんと誉歴さんの関係は、他の人たちに比べそこまで深い物のようには思えないのだが。
緋村がそのことを尋ねると、彼女は意外そうな表情を浮かべた。
「てっきり、あの人がもう話しとる思ってたんですが、まだやったんですね。──誉歴さんが私のところに相談に来たんは、私が唯一の親戚やからです」
今度はこちらが、彼女と同じ顔をする番だった。そんな情報は初耳である。
「それは知りませんでした。『唯一の』と言うことは、誉歴さんには他に血縁者がいらっしゃらないのですね?」
「そうです。と言うても、私もかなりの遠縁ですけどね。それに、まだ離婚してへんので、夫も一応親戚と言うことになります。元々、あの人が誉歴さんと懇意になったキッカケも、私と結婚したことですから」
「なるほど。それでは誉歴さんが財産分与の件を相談されたのは、幸恵さんにも相続権があったから──だから、幸恵さんの了承を得る為に、まっさきにその話をした、と」
彼女は紫煙と共に頷いた。
「誉歴さんに謝られてしまいました。『たった一人きりの血縁者なのに、残してやれる物がなくてすまない』と。もちろん、私はそのことを承諾しました。別に生活に困っとるわけでもあらへんし、あの人と結婚した時に、申し訳なくなるような額のご祝儀をいただいていましたから。『私はもう十分よくしてもろてますから、ぜひ衣歩ちゃんに譲ってあげてください』と答えました」
確かに、特段金に困っているようなことはないのだろう。別居中とは言え、夫は関西では知らぬ者のいない美容外科医なのだし、彼女自身も働いて、収入を得ているのだから。
「そう言うわけですから、私が遺産目的で瀬戸さんを殺した、なんてことは誓ってありません。そうまでしてお金が欲しいんやったら、相談を受けた時に反対しています。けれど、遺言書に私の名前はなかったでしょう? 私が誉歴さんの考えを尊重した証拠です」
勘違いしてもらっちゃ困ると言いたげに、細く整えられた眉を吊り上げる。もし仮に彼女が犯人だとしても、確かに遺産目当ての犯行とは考え難いか。
「何より、それやったら神母坂さんや繭田さんまで手にかける必要はありません。ここにいてる全員に言えることですけど、動機がわかりませんね」




