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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第三章:薔薇の下
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11:下着泥棒の夢

 渋沢の困惑を知ってか知らずか、田花はさらに質問を投げかける。

「瀬戸クンの本当の父親は、その榎園社長と言うことですが、それでは母親は誰なのでしょう? 何か伺っていませんか?」

「いいや、私もよく知らないな。瀬戸さんご夫婦も、そこまでは教えられていないようだった」

「では、榎園社長に愛人がいたと言った話を聞いたことは?」

「ないな。さっきも言ったが、榎園さんと親交があったのは、だいぶ前のことだからね。兄だったら、その辺り何か聞き及んでいるのかも知れないが」

「でしたら、流浪園なる場所についてはどうでしょう? 瀬戸くんは退学する直前、ある女性を訪ねて、そこを訪ねるつもりだと、語っていたそうです」

「生憎だが、初めて聞く単語だな」

「そうですか……」

 暫時考え込むように、彼は一度言葉を切った。

「流浪園と言うのは、実は今話に挙がった、榎園社長の別荘なんですよ。私たちの友人が今日、そちらに向かっているのですが、どうやら軍司さんのお兄さん──将臣さんも、その屋敷に招かれているようです」

「榎園さんの……。言われてみれば、兄がちょくちょく彼の別荘に足を運んでいる、と言う話は聞いたことがある。なんでも、研究に行き詰まった際の息抜きに利用しているんだとか」

「将臣さんと言えば、人間のクローンを産み出す研究を進めている、と言った噂があるそうですね。俄かには信じがたい話ですが、実際のところはどう思われますか?」

「質問の内容がどんどん藍児くんのことから離れて行っていないか?」そう指摘しつつも、軌道修正を図ることなく、彼は見解を述べる。「単なるありがちなゴシップに過ぎんだろう。兄は私と違って、現実が見えている人間だ。世界的な禁忌に背いてまで、そんな技術を完成させることに価値を見出すとは思えないよ。ま、本人はクローン肯定派ではあるようだがね。……少なくとも、今はもう、そんなことは考えていないだろう」

「『今は』と言うことは、昔は違っていたと言うことですか?」

「いや、実際にそう聞いたわけではない。ただ……なんとなく、噂の出所に()()()()があると言うだけだ」

「心当たりとは?」

 この問いに、元産婦人科医は答えなかった。淀みなく続いていた質疑応答が途切れ、座に奇妙な沈黙が流れる。

 それを打ち破り、再び会話のボールを投げたのは、やはり田花だった。

「瀬戸クンは、悪夢に魘されていた時期があったそうですね。先ほどご両親から伺いました。秀臣さんは、何かご存知ありませんか?」

「悪夢か。そう言えば、彼が中学生くらいの頃、相談を受けたことがあるな。夢の内容も、少しだけ教えてもらったよ」

「ほう、いったいどんな内容だったのでしょう? とても気になりますね」

「話してしまってよいものかわからないが……」無精髭の生えた顎を撫で摩りつつ逡巡する。「いや、マズいなんてこともないか。もう五、六年も前のことだしな」

 それから彼は、瀬戸少年を苦しめた奇妙な夢について語った。

「私も簡単に概説を受けただけなんだがね。なんでも、()()()()()()だそうだ」

「下着? それは……要するに、女性の下着と言うことですか?」

「そうみたいだね。夢の中で盗むのは、ブラジャーだと言っていたから。──なんでも、いつの間にか鞄の中に見知らぬ下着が入っていたり、手で持っていたりするんだとか。自分がその下着を盗んでしまったことに気付いた藍児くんは、慌ててそれを隠そうとするんだが、必ず誰かにバレてしまうらしい。ご両親だったり、制服を着た警察官だったり、時には私に糾弾されたこともあったそうだ」

 言うなれば、「下着泥棒の夢」か。確かに、あまり気分のいい夢ではないだろうが、とは言え、何年もの間苛まれるほどのものだろうか? 渋沢はまっさきにそんな疑問を浮かべた。

 そして、すぐさま待てよ、と自分の感想を否定する。そんな奇妙な夢が何年もの間──毎晩見たと言うことはないだろうが──続いたからこそ、それは悪夢になったとも言える。

「ふうん、確かに心地よい夢とは言い難いですね。──それで、相談を受けた秀臣さんは、何とお答えになったんですか?」

「大した助言はしていない。ただ、『気にすることはない。君はどこもおかしくなんてないよ』と答えただけさ」

 なんとも当たり障りのない返答である。

「その言い方ですと、瀬戸くんは『精神的な異常のせいでそんな夢をみるのだ』と、考えていたみたいなのです」

 久々に境木が発言した。独白なのか問いかけなのか、わかり辛い。

 秀臣は後者と捉えたらしく、

「まあ、思い悩んでいる風ではあったかな」

 それが、元産婦人科医の一言で解消されてしまったわけか。彼の言葉のどこに、悪夢を払い除けるほどの力があったのか、渋沢にはよくわからなかった。

「……もしかして、藍児くんは本当に誰かの下着を盗んだことがあるとは、考えられませんか? そして、罪の呵責に堪えかねたものの、人に打ち明ける勇気もなく、あくまでも夢の中の出来事言うことにして、軍司さんに相談したと言う可能性は?」

「いや……どうだろうな。あまりそう言った雰囲気は感じなかったし、彼がそんな大それたことをするとは思えない。それに、もし実際に下着泥棒をやらかしたのだとしたら、もう少しボカした言い方をするんじゃないか? 少なくとも、ハッキリと『女性の下着』と言いきることはしないと思うがね」

「なるほど確かに、そのとおりなのです」

 境木に吊られて、渋沢も思わず頷く。一番肝心な部分を隠していないのは不自然だ。

 それに、秀臣も言っていたが、性欲を満たさんが為に罪を犯すなど、瀬戸のイメージとあまりにかけ離れている。あのユニセックスな雰囲気を持つ青年が──思春期の真っ只中であったとは言え──、そのような性的衝動に駆り立てられるだなんて。

「何にせよ、もう過去の話だ。おそらく藍児くんも、そんな夢のことはとっくに忘れているだろう」

 そうかも知れない。しかし、それでも何かが引っかかる。

 ──もしかしたら、瀬戸くんが夢の中で繰り返し盗んで来た下着は、特定の女性の物やったんやないか? そして、その女性の正体が、『金縛りに遭う女』やとしたら……。

 さすがにこじ付けている感が否めない。渋沢はすぐに思考を打ち消した。強引に結び付けたところで、答えには辿り着けないだろうし、初めからそんな物はないのかも知れない。他人の夢の内容から、隠された意味を探るなど、専門家でもない限り不可能に他ならない。

 この時の渋沢は、そう考えていた。

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