7:意外な話が舞い込んで来て……
「私からも、少しええですか?──お二人は、先月亡くなった榎園製薬の社長のことをご存知でしょうか? 確か、名前は榎園誉歴さんと言うそうです」
これを受けた二人の反応は、少々意外な物だった。脈絡のない問いに当惑するのではなく、驚愕するように目を瞠ったのだ。
特に、妻の右目には──すぐに彼女は顔を伏せてしまったが──、少なからず、動揺の色が浮かんでいるように見受けられた。
「知っているようですね。どう言ったご関係で?」
「どうと言われると、少し説明が難しくなるなぁ……」
彼は答え方に迷っていた。が、ほどなく隣りにいる妻と目顔で頷き合うと、何やら覚悟を決めた様子で話し始める。
「それを教える前に、一つ言っておきたいことがあります。いきなり初対面の人に話すんもどうかと思てたんやが、一応みなさんにも知っておいてもろた方が、いろいろと説明しやすいやろうから」
「是非お聞かせください」
「実は……藍児は、私どもの本当の子供ではありません。あいつがまだ産まれて間もない頃、ある人の頼みで引き取ったんです」
思いも寄らぬ事実を知り、多少なりとも渋沢は驚いた。確かに、面識を得たばかりの人間にするような話ではない。本当に聞いてよかったのだろうかと、彼は仄かに後悔した──が、田花はさほど気に留めてはいないらしく、
「『ある人』と言うのは、どなたでしょう?」
「たった今話に上がった、榎園社長ですよ。藍児は、本当は榎園さんの子供なんです。ただ、諸般の事情からご自宅で育てるんが難しくなったので、どうかこちらで預かってくれないかと、持ちかけられて……」
「ほほう。しかし、どうして瀬戸さんに?」
「榎園さんの奥さんとうちの家内は、高校時代からの友人でね。卒業したあとも、永い間仲ようさせてもろていたんですよ。他に当てがなかったようでしたし、妻がお世話になった人の旦那さんの頼みやったこともあって、引き受けることにしました」
「そうでしたか……。ちなみに、そうした事情について、藍児クンは把握していたのでしょうか?」
「ええ。あいつが大学に受かってこの家を出ることが決まった時、全てを話しましたから。と言っても、本当の親子でないことだけは、薄々気ぃ付いとったようですが……」
「では、事実を知って傷付いたり哀しんだりしている様子はなかった、と?」
「まあ、そうですね。ちゃんと受け入れてくれたはずです」
「ふうむ」田花は口を噤み、黙考するように口髭を指先で撫でる。スッカリ彼が質問役になっているが、存外スムーズにことが進んだので助かった。もう少し任せてみてもいいかも知れない。そう思い渋沢が黙っていると、今度は境木が、控えめに挙手をした。
「気になったのですが、榎園さんの方からは何も言って来なかったのでしょうか? つまり、藍児くんに会わせてほしいとか、やっぱり自分の家で引き取らせてほしいとか、そう言ったお話は……?」
「特にはありませんでしたよ。ただ、あちらさんも藍児のことはかなり気にかけておられたようで、定期的に養育費を振り込んでくださいました。一度はお断りしたんやけど、せめてこれくらいはさせてほしいと仰るもんで、つい甘えてしもて……。結局、大学の入学費に少し充てさせていただいただけで、残りは手付かずのまま藍児の口座の中にあります。このことはもちろん藍児にも伝えてあって、事情を話した時、一緒に通帳とカードを渡しました」
「そこまでしていながら、榎園さんは、ご自分で藍児くんを引き取ろうとなさらなかったのですね」
「え、ええ。何かご事情があったんやろうなぁ。藍児を託された当時、すでにお子さんが二人おったそうやし。──結局、榎園さんは最後まで、藍児とお会いにはなりませんでしたよ」
「では、藍児クンの方はどうだったのしょう? 本当の父親に会いたいだとか、一緒に暮らしてみたいと考えていた、と言うことはありませんか?」
田花が割り込む。
瀬戸の父は腕を組んで唸った。
「うーん……そんな話は聞いたことありませんね。ただ、実際のところあいつがどう考えとったかまでは、わかりません。榎園さん、養育費だけやのうて、藍児にプレゼントを贈ってくれたことが、何度かあるんですよ。その度に、私どもは差出人をボカして藍児に渡してました。クリスマスやったら、『サンタさんから』とか言うてね」
少し照れ臭そうに笑みを浮かべる。「サンタさん」からの贈り物を、瀬戸はいつも、無邪気に喜んでいたそうだ。
「とても嬉しそうにしとったし、いただいた物は、みんな大切にしとりました。単に人からもらったもんやから、と言うだけやのうて、純粋に気に入ってたんやと思います。たぶん、それだけ二人は、趣味が合うてたんやろなぁ……。プレゼントの贈り主が自分の本当の父親やったと知った時も、驚いたあとで、どこか納得しとる風やったし」
「本心では、榎園さんとの暮らしに興味があったのかも知れない、と?」
「まあ、そこまでいかんくても、どんな人なんか気になっとった可能性はありますね」
──あり得んことやないな。渋沢は胸中で頷いた。プレゼントの件や好みが似ていたらしい点を除いても、「一度も会ったことのない自分の本当の親」に興味を抱くのは、至って自然な感情だろう。
「そんなわけで、榎園さんは陰ながらいろいろと施してくださってたんですが……」
そこまで言った時、突如彼の表情が曇る。忘れていた歯痛が不意に蘇ったかのように、苦しげに眉根を寄せたではないか。
「それやのに、つい先だって意外な話が舞い込んで来て……」
「どう言ったお話ですか?」
「いやね、なんでも、榎園さんがご遺産の相続人に藍児を指名しはったとかで、遺言書の管理人だと言う方がお見えになったんですよ」
確かに、渋沢たちにとっても意外な展開であった。
遺言書の管理人は、繭田英佑と言う男だそうだ。
「その繭田って人が来たんは、先々週の日曜──九日でした。榎園製薬の役員をされとるそうで、生前榎園さん直々にご指名を受けて、遺言書の管理を任されとったんやとか」
九日と言えば、礼が戎橋で「金縛りに遭う女」らしき人物を目撃したのも、その日だったか。
田花の要望で、繭田から受け取った名刺を見せてもらう。瀬戸酒店の店主は中座すると、名刺入れを持って戻って来た。
「ふうん、常務取締役ねぇ。──この名刺、写真に撮らせていただいても?」
許可を得た田花は、スマートフォンを取り出して名刺の写真を撮影し出す。そこに記載された番号に、あとでかけてみるつもりのようだ。
「遺産相続の話は、藍児くんも知っているんですか?」
打順が一巡したかのように、再び渋沢が尋ねる。
「そう聞きました。繭田さんが言うには、すでに藍児には伝えてあって、本人もその気になっとるんやとか。もし事実なんやったら、あいつの好きにさせようと思いました。ただ……ちょっと信じ難い話でしょう? そもそも、私たちも榎園さんの葬儀に参列させていただいたんですが、その時はそんな話はこれっぽちも出えへんかった──それどころか、特にご遺族の方や繭田さんから声をかけられることも、特にあらへんかったので」
「はあ、それは確かに妙な気がしますね。ところで、葬儀の時は藍児くんも一緒に?」
「いや、あいつは行きませんでしたよ。一応声はかけたんですが、どうしても外せん用事があるとかで、断られてもうて」
先ほど聞いた話──実父に対し、興味を抱いていたらしいこと──と矛盾するようにも思えたが、瀬戸にしてみれば、物心が付いてからは、一度も会ったことのない人物なのだ。向こうの家族と顔を合わせる気まずさもあっただろうし、他に重要な用事があればそちらを優先したとしても、仕方あるまい。
「榎園さんには他にも二人お子さんがいてはるそうですが、それでは藍児くんは謂わゆる隠し子と言うことになりますよね? もしかして、愛人との間にできた子供だったのでしょうか?」
「いやぁ、実は我々も、その辺りの事情はよくわからんのですよ。……ただね、そもそも榎園さんは子供を儲けることのできん体質やったらしいんですわ。そんなわけで、息子さんたちは、二人とも人工授精によって授かったんやとか。──ところが、藍児に関しては事情が違っていて、ちゃんと遺伝的な繋がりのある子供だそうで」
「だから、遺産の相続人として指名した、と?」
「私らも正直かなりマユツバもんやと感じたので、繭田さんが帰った後、藍児に電話して訊いてみました。すると意外にも、相続の件は聞いているし、繭田さんのことも知っているって言うんですよ。それから、『ありがたく譲り受けるつもりだ』とも──知識があらへんので、そもそも拒否できる物なんかわかりませんが──言うてました」
だとしたら、繭田の語ったことは全て事実だったのだろうか? しかしながら、赤ん坊の頃に他人の家に預けて以来疎遠だったのに、突然遺産の相続人に指名すると言うのは、いささか不自然ではないか?
そもそも、彼には他に子供がいると言う話だ。遺産相続となれば、幾ら故人の遺言だとしても、当然彼ないし彼女のような、戸籍上の親族が優先されると思うのだが。
そのことを渋沢が口にすると、榎園氏の子供と妻はすでに他界しており、親族は養女が一人いるのみ。遺産はその養女と瀬戸で折半することになった──と、繭田から伝えられたそうだ。
それを聞いて、渋沢は思い出す。礼が旅行代理店の社員の口から聞いた「エゾノさんのお嬢さん」と言う言葉を。榎園誉歴の実子が他にいないのであれば、その養女が例のスケッチのモデルと言うことになるのか。
「繭田さんとは、他に何か話したりしましたか?」
名刺を返しつつ、今度は田花が問うた。
「ええ。藍児のことで幾つか質問をされたので。まあ、ほとんど世間話みたいなことやったけど」
繭田は瀬戸の趣味や嗜好、この家にいた時の様子や子供の頃のエピソードなど、取り留めのないことばかり知りたがったそうだ。
「特に、好きな画家は誰と誰でとか、大学で何を学んどったのかとか、そう言った話に興味がある風でしたわ。あとは何か癖はないんかとか、これまで大きな病気や怪我をしたことはあるかとかね」
病気に関しては取り立てて重病にかかったと言ったことはなかった。幼い頃に風邪が悪化して寝込んだことがあったくらいだと答えたそうだ。




