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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第三章:薔薇の下
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5:僕はそう言うのではないのです

 暖房の効いた車内に入ると、運転手が挨拶をして寄越す。

「おはようございます。遅くなってしまい、申し訳ないのです」

 田花とは対照的に、丁寧ではあるが抑揚の乏しい声音だった。その声の主──境木(さかき)奏人(かなと)の昏い黒眼(まなこ)が、ルームミラー越しに渋沢を見ている。小柄な上に猫背気味である為、まるで上目遣いに睨むような形になっているが、特に「ご機嫌斜め」と言うわけではないのだろう。目の下に拵えた隈と言い、血色の悪い肌と言い、一見して陰湿そうな雰囲気をしている。失礼ながら、下の名前とのギャップがあり過ぎて、作為的にさえ感じられた。

 が、しかし、若庭に言わせれば「仲間内で最も純粋な心の持ち主」とのことで、感心なことにボランティア活動を趣味にしているそうだ。

 ──人は見かけによらんな。

 素朴な感想を抱きつつ、彼の謝罪に当たり障りなく応じておく。

 ちなみに、三人の学年は見事にバラけており、境木が緋村たちと同じ二回生、渋沢が三回生、そして田花は四回生だった。

 しかし、どうも田花はストレートで入学して来たわけではないらしく、実際の年齢は二十二よりもかなり上のように見受けられた。もしかしたら、もう三十近いのではあるまいか。実年齢と社会的身分とのギャップも、彼が独特な雰囲気を纏っている要因の一つだろう。

「田花先輩が寝坊したせいです」

「うるっさいなァ。しゃあないやろ、朝までサークルの飲み会やったんやから」

 田花は学内にある演劇サークル──その名も《劇団『猫の泉』》に所属していると、前回顔を合わせた時に聞いていた。渋沢も何度か、構内に貼られたポスターや立て看板などで、そのサークル名を目にしたことがあったのを思い出す。かなり精力的に活動しているようだ。

「どうでもええこと話してんと、さっさと車出さんかい。この、カメリアンコンプレックスが」

 初めて耳にする罵倒の仕方だ。

 横柄な態度にも慣れているのか、「僕はそう言うのではないのです」と切り返し、境木はワゴンRを発車させた。


 K駅を出て短い左折と右折を繰り返したのち、国道一七〇号線──通称「外環」に出る。それからしばし羽曳野方面へ直進し、インターチェンジ前の交差点で左折。府道三二号に入り、南阪奈道路を堺方面へ進む。その後は阪和自動車道から名神高速道路を経由し、滋賀県は米原市内にある目的地を目指す予定だ。

「渋沢クンは好きなバンドとかあるん? ジャンルでもええけど。お近付きの印に流したるわ」

 現在大音量で流されているのは、渋沢の知らない海外のヘヴィ・メタルだった。正直なところ、曲は別に何だって構わないから、少しボリュームを下げてもらいたい。

「えっと、じゃあ……ミスチルとかって、入ってますか?」

 特別熱心なファンと言うわけではないが、取り敢えず好きなバンドの中で、最も有名であろう一組を選ぶ。

「入っとる入っとる。ほんなら、せっかくやしテンション上がる奴にしよか」

 田花はスマートフォンを操作し、宣言どおりMr.Childrenの「テンションの上がる」楽曲をかける。“シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜”のイントロが、爆音で流れ始めた。

「瀬戸くんのご実家には、渋沢先輩が連絡してくださったのですか?」

「ああ。当然だけど、戸惑ってる様子やったわ。瀬戸くんがどこで何しとんのかも知らん──どころか、驚いたことに、退学したことすら聞かされてへんかった」

「と言うことは、彼はご家庭の事情で大学を去ったわけではないのですね」

 そのようだ。

 そもそも、瀬戸は退学の手続きに必要な書類を、学科の友人に協力してもらい作成していた。親のサインの代筆を依頼したのだ。

 ただし、その友人は「奨学金の受け取りに関する書類」としか聞かされていなかったらしい。退学の手続きに関する物だとわかる文面は、プリントを谷折りにして隠していたようだ。不審に思わなかったのかと訊いてみると、

「そりゃあ、少しは『変やな』って思いましたよ。でも、大学を辞める兆しなんて少しもなかったですし、自分の署名を求められたわけでもなかったから、そこまで気にしませんでした」

 とのことだった。

 また、代筆した際、彼は署名欄の下にすでに書き込まれていた、瀬戸の実家の住所を、目にしていた。無論、番地まで正確に記憶していたわけではないのだが、しかし滋賀県米原市の()()()町と言う特徴的な町名だけは、覚えていてくれた。

 のみならず、その友人は以前、瀬戸から「実家が酒屋をやっている」と言う話を聞いており、これが非常に役に立った。試しに「滋賀県米原市 絵ノ洲 リカーショップ」と入力して検索してみたところ、ズバリそのまま《瀬戸酒店》と言う名前の店が候補に現れる。渋沢が掲載されていた店の番号にかけると、中年の男性店員が応対してくれたのだが、その人こそが店主であり、瀬戸の父親だった。

「思いの外簡単にアポを取り付けることができて助かったわ。どうやら、親御さんたちも、瀬戸くんの様子を心配しとったらしい」

「どう言うことですか?」

「なんでも、いっとき電話に出てくれん時期があったんやと。一応、メールでのやり取りはできたらしいんやけどな。それから何ヶ月か経って、ようやくまた電話で話せるようになったって、言うてはったわ」

「何かをしていて、忙しかったのでしょうか? だから、大学もやめてしまったとか?」

「かも知れんな。しかし、彼は今どこにおるんやろうな? 確か、礼にはスケッチに描いていた女性の元へ行くって、言うとったそうやが」

「『夢の中で見た』って奴か。瀬戸クンってコは、オモロいことを言うんやなァ」田花が会話に加わる。「よく、夢ってのは抑圧された願望の表れやと言われるが、もしかしたら、瀬戸クンの場合もそうやったんかも知れんな。彼、誰か好きな()がおったんとちゃうか?」

「どうですかね。彼の学科の友達や、礼が言うには、そう言った話は聞いたことがなかったみたいです。恋人もおらんかったそうですし……まあ、一部の女子には、それなりに人気やったらしいですけどね。『可愛い男の子』って感じで」

「なら、駆け落ち説はないわけか。となると……ホンマに流浪園ってとこにおったりしてな。やとしたら、緋村()()()たちと鉢合わせするわけやが」

 もしそうであれば、自分たちの旅行は無意味な物になる可能性が高い。あの二人が直接本人から事情を聴き出すことができれば、それで目的を果たせてしまう。

「ですが、瀬戸くんが流浪園なる場所に行くと話していたのは、半年も前のことなのです。今更そこを訪れていたとして、どうしてこんなに時期が空いたのでしょう?」

「さあな。何かしら準備せなあかん物でもあったんとちゃうか? バイトでもして金を作っとったとか。──あるいは、()()()()()()があって、すぐには行かれへんくなったのかもな」

「何らかの事情、とは?」

「んなもん俺が知るか。その辺のことがわからんから、こうして長いドライブに出とんのやないかい」

 自分で振っておきながら、酷くいい加減な受け答えだ。

「とにかく、行くからには少しでも情報を掴んで帰ったらんとなァ。手ぶらですごすご戻って来たと知ったら、あいつらに馬鹿にされてまう」

「二人はそんなことはしないのです。──少なくとも、若庭くんは」

「わからんで? 面と向かっては何も言わんくても、事件記録とやらの中でボロクソに叩かれとるかも知れん」

 若庭はこれまで巻き込まれたり依頼を受けて調査たりして来た事件の内容を、手記として書き留めているそうだ。ノンフィクション作家でも目指しているのかと思ったのだが、特にそう言ったわけではなく、今のところ人の目に触れさせる予定はないらしい。完全なる自己満足──彼なりに事件と向き合う為に続けている、個人的な「儀式」なのだとか。

 いずれも本人ではなく、緋村から聞かされた話だった。

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