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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第三章:薔薇の下
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1:臆病者に相応しい最期

 人は生まれた時、誰しも素っ裸で、びしょ濡れで、お腹を空かせて泣いている。それなのに、大きくなるともっと酷い目に遭う。


 中国の諺(若干のアレンジ有り)

「悪いが……このことを、他の人たちに伝えて来てくれねえか」

 繭田さんの体を丁寧に床に寝かせると、緋村は酷く掠れた声で言った。「頼む」と付け加えられたところで、ようやく僕はそれに応える。

 茫然とした足取りで一階へ下り、織部さんにたった今目の前で起きたことを伝えた。その後、彼を連れて二階へ引き返し、手分けして他の人たちの部屋を訪ねて回る。

 それから女性陣二人を除いた全員と共に、僕は第三の事件現場へと戻った。

 中へ入ると、机の傍らに佇んでいた緋村が、静かに戸口を振り返る。どうやら、そこに置かれていたケースの中身を見分していたらしい。先ほどの注射に用いられたバイアルも、今は机の上にあった。

 また、床に倒れていた繭田さんの瞼は、今は閉じられていた。緋村からのせめてもの手向けなのだろう。繭田さんは微笑の名残をわずかに湛えたまま、静かに眠っていた。


 死体を発見するに至った経緯を簡潔に説明したのち、繭田さんを図書室に運ぶことになる。彼の亡骸は、瀬戸だと思われていた男の隣りに安置された。

 その後、僕たちは三度(みたび)、食堂に集まっていた。

「……意外な結末だな。まさか、奴の()()で幕が下されるなんて」

 開口一番、軍司さんがそう言った。スッカリ酔いが醒めてしまったのか、物憂げで投げやりな口調だった。

 いや、そんなことはどうだっていい。問題は、発言の内容だ。

「先生は、繭田さんが犯人で、殺されたのではなく自殺したとお考えなんですか?」

 美容外科医の問いを、元産婦人科医は首肯した。

「そうとしか考えられんだろう。状況からして、奴があの注射器で毒物を摂取し死に至ったことは明白だ。つまり、毒物はインスリン製剤のバイアルに混入されていたわけだが……それでは毒を仕込むことが可能な人間は誰か。──答えは、一人もいない。奴以外にはな」

「そうですよね」東條さんが同調した。「繭田さんは、今までずっと部屋に籠っていたわけですし、緋村さんたちが彼の部屋を出てから、引き返すまでのわずかな時間で、コッソリ忍び込んで毒を盛ることができたとは思えません。

 それに、今朝広間でお会いした時、繭田さんはインスリン注射を打とうとしていました。その時は無事だった以上、()()()()()()()()()()()()()と言うことになります」

「そう言えば、暖炉の前で注射を打っとったな。こんな人目に付く場所でやって何とも思わんのかって、正直、少し呆れたわ」

「やっぱり、あのあと注射をしていたんですね。だとすると、いよいよ誰にも犯行は不可能だ。

 僕たち五人が瀬戸さんの遺体を図書室に運んでいる間、他の人たちには先に食堂で待っていてもらいました。そして、一仕事終えたあとで、もう一度みんなで集まって話し合っている途中、繭田さんだけが先に部屋に引き上げた。以降、彼は緋村さんたちが訪れるまで部屋に閉じ籠っていたわけですから、我々の中に犯行が可能だった人間は、一人もいません」

「そう言うわけだ。──ちなみに、奴が部屋に戻る際、薬のケースを持ち帰っていたことは間違いない。私と緋村くん、そして楡くん夫妻の四人で二階を見に行った際、すでに広間のテーブルには、()()()()()()()()()()()。鮎子くんを探しがてら、屋敷内の様子を見て回っていた時だ。ますます誰にも犯行の機会はなかったことになるのだから、やはり、自殺と見て間違いないだろう」

 彼らの会話を聞きながら、僕は思い出す。コンサバトリーへ向かう間際、確かに繭田さんは、ケースからバイアルと注射器を取り出していた。

 僕たちの誰にも、毒を盛る機会はなかった。それはわかるのだが、どうにも納得がいかない。話を聞き終えた直後の繭田さんに、自殺をする兆候は見られなかったし、ましてや彼が二人を殺した犯人だなんて……。緋村の推測どおりならば、むしろ繭田さんは命を狙われる側の人間のはずだ。

 そして、危惧されたとおり、彼は死んでしまった。──やはり、罠が仕掛けられていたのではあるまいか。

「だとしても、繭田様があのようなことをなさるとは、少々信じられません。二人を殺めた動機は、何だったのでしょう?」

「仲間割れに決まっている。瀬戸くんとグルになって遺産を奪う計画を立てていたが、取り分の話になって揉めたのだろう。そして、鮎子くんはたまたま犯行の様子を目撃したか、あるいは繭田にとって不利になる証拠を見付けたかして、側杖を食ってしまったんだ。可哀想に」

 違う。彼女こそが、その(たばか)りごとを企図したのだ。

 しかし、それをこの場で話したところで、果たして信じてもらえるかどうか。正直なところ、繭田さん本人から聴いた話よりも、軍司さんの推測の方が、よほどリアリティがあるように感じられた。

「とにかく、これでこの事件もお終いだ。あとは明日の午後に船が来るまで、ノンビリと過ごそうじゃないか。この手で奴に制裁を下せなかったことは、残念と言えば残念だが……まあ、自ら命を絶った心意気に免じて、赦してやるとしよう」

 軍司さんは、携えていた日本刀の柄頭に触れる。まさか、本当にそれで繭田さんを打ち据えるつもりだったのか?

「……本当に、そうでしょうか?」

 ここでようやく、緋村が口を開く。

「僕には、繭田さんの死が自殺とは思えません」

「また君か。私たちの話を聞いていなかったのかね?」

「無論、聞いていましたよ。その上で、繭田さんは誰かに殺されたと考えています」

「それは驚きだな。──あまり無闇に年長者の意見を否定するものじゃない。君の考えなど、もう聞きたくはないよ。この事件の犯人は繭田で、逃げきれないと悟って自殺した。臆病者に相応しい最期じゃないか。いったい、何の問題があると言うのかね?」

「まるで、繭田さんが自殺でなければ困るような口吻ですね」

「なに?」

 聞き捨てならないとばかりに、彼の尖った耳が、ピクリと動いたように見えた。軍神は憎々しげに、不遜な青年を睨み付ける。

 座に緊張が走った。

「お、おい緋村くん。そんな失礼な言い方せんでもええやないか。今すぐ取り消して、先生に謝るんや」

「……確かに、少々言葉が過ぎました。そこに関しては謝罪します。ただ、それでもやはり、自分の意見を覆す気はありません」

「ほう、よほど自信があるようだな。気が変わったよ。話を聞かせてもらおうじゃないか。……ただし、それが大した根拠のない妄言だった場合……私は痛く、機嫌を損ねるだろう」

 お馴染みの嗜虐的な笑みを浮かべ、彼は長い脚を組み替える。しかし、目の奥は少しも笑っておらず、また、未だに刀に手を置いたままなのが、なんとも恐ろしい。

「その点は問題ないかと。これはとても、常識的な話ですから」

 全く臆することなく言った緋村は──相変わらず、見ているこっちがハラハラする──、それから本当に「常識的な」指摘をした。

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