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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第二章:奇形の翅
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26:微笑みが浮かんでいた

 先ほど繭田さんに伝えたとおり、大広間へと向かう。が、どう言うわけか、塔屋の辺りまで来たところで、緋村は足を止めた。

 その背中にぶつかりそうになり、慌てて急ブレーキをかける。

「おい、どうしたんだ?」

「……いや、少し考えていたんだ。もし俺の想像が正しかったとして、どうして()()()()()()()()()()()()ってな。犯人は一晩のうちに瀬戸と神母坂さんを殺している。なのに何故、彼らの仲間である繭田さんには手を下さなかったんだ? 彼だけを見逃した理由がわからねえ」

「繭田さんも関与しているとは思わなかったんじゃないか?」

「考え辛いな。そもそも、繭田さんは遺言書の管理者だった。軍司さんでなくとも、まっさきに彼が何か細工を施し、遺言書の内容を改竄したのではないかと疑うはずだ。それに、瀬戸をこの島に連れて来たのも繭田さんだ。こう言っちゃなんだが、怪しすぎる」

「それもそうか……。なら、彼を殺害するには時間が足りなかったとか」

「少なくとも、死体を切断して剥製を縫い付ける余裕はあったみたいだぜ」

 言われてみれば。

「犯人は瀬戸が遺産の半分を相続するのが嫌で、彼さえ死ねばよかったのではないか、とも考えたが、それだと神母坂さんが殺されたことと矛盾する」

「もしかして、彼女の一件は、単なる口封じだったんじゃないか? 君の話したとおり、犯行後瀬戸の部屋に向かったらそこに神母坂さんがいて、言い逃れはできないと判断した犯人は、急遽彼女を手にかけることにした、とか」

「確かに、あり得ない話じゃないが……」

 どうしても引っかかるのか、険しい表情を浮かべ動き出そうとしない。そんな彼の様子を見ているうちに、次第にこちらまで不安を覚える。

 それに呼応するかのように──ひときわ大きな家鳴りがした。

「……やっぱり、嫌な予感がする」呟いたかと思うと、直後には踵を返していた。「戻るぞ」

 簡潔に言い、彼は廊下を引き返し始める。僕も慌てて体の向きを変え、それに続いた。

「繭田さんの部屋にか? でも、どうして」

「俺の思い過ごしかも知れねえが……もしかしたら、犯人が何らかの()を仕掛けている可能がある。そのことを、念の為繭田さんに伝えておきたい」

 確かにそれは考慮すべきだろうが……。

 結局彼を止めることはできず、僕たちはつい何分か前まで訪れていた部屋の前に、到着した。

 すると、その時。

 何か()()()()()()()()()()()()()が、ドアの向こうから聞こえて来た。

 続いて、荒い息遣いの混じった、激しく噎せるような声も。

 緋村はハッとした様子で、目の前の扉に呼びかける。

「繭田さん? どうかされたんですか?」

 しかし返答はなく、恐ろしい呻き声と幽かな物音が聞こえるばかりだ。この時にはすでに、先ほどの緋村の意見を否定する気はなくなっていた。

「入りますね」

 断ると同時に緋村はノブを捻り、ドアを開く──


 その途端、目に飛び込んで来たのは、オゾマシイ「死の光景」。


 両手で肌着の胸を搔きむしりながら、壊れたゼンマイ仕掛けのようにのたうち回る繭田さんの姿が、床の上にあった。

 歪んだ唇の隙間から、絶えず声とも息とも付かぬ怖ろしい音を漏らしながら、彼はひたすら身をよじらせていた。カッと瞠かれた瞳は、もうこの部屋のどこにも向けられていない。

 捲れた肌着の下の腹部から、小型の注射器が、不気味な冬虫夏草のように生えているのが見えた。青いラベルの貼られたバイアルが、ユックリと床を転がり、ほどなく停止する──インスリン注射の途中で、()()()()()()のだ。

「繭田さん!」

 叫ぶと同時に、緋村は駆け寄った。

 跪いた彼は手を伸ばしかけたが、しかし、すぐに躊躇う。無闇に触れてよいものか判断が付きかねたのだろう。

 その姿を、僕はただひたすらに立ち尽くし、見ていることしかできなかった。戸口の付近から、茫然と室内を映し出す視界の中で、一人の人間の命が終わろうとしている。それだけは、どうしようもないほど明瞭に理解できた。

 ようやく緋村が彼の上体を、慎重な手付きで抱え起こした時、瞠かれた二つの目玉がグルリと動き、その姿を見上げた。

 直後、変色した唇が幽かな震えを伴って、動く。


「……るや……かった……」


 その時、彼が何と言ったのか──それが意味のある言葉だったのかさえ、僕にはよくわからなかった。

 もしかしたら、緋村だけは、全ての言葉を聞き取ることができたのかも知れない。が、しかし、その内容を問うことを、僕はしなかった。

 いや、できなかった。

 ただ一つ確かなのは、血の気を失った繭田さんの顔に、()()()()()()()()()()()()か。彼は苦痛に喘ぎながらも笑顔を見せ、死んでいった。

 青年の腕の中で。

 殺人劇の舞台から、また一人、役者が去った。

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