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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第二章:奇形の翅
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25:下僕となったことを誇示するかのようだ

「もう一つ、重要な点を確認させてください。井岡を車道に突き飛ばしたのは、春也さんですね?」

「……そうです。それも、神母坂さんの指示だったのでしょう」

 絞り出すように、彼は答えた。

「どうして、井岡はそんな目に遭わなければならなかったのですか? 神母坂さんは、彼女の何が気に入らなかったのでしょう?」

 緋村の硬質な声が響く。僕も同じことを尋ねたかった。何の罪もないはずの彼女が、何故(なにゆえ)車に撥ねられ、重傷を負わなければならなかったのか。

「お、おそらく、私たちの計画の妨げになると、判断したのかと……。瀬戸さんと親交のあった井岡さんが軍司先生と接触することで、のちのち春也の成りすましが露呈してしまう恐れがあると、危惧したのでしょう。井岡さんは、本物の瀬戸さんと、同じ学科に在籍されていましたから」

「随分と神経質なんですね。その程度の障壁も取り除かなければ、気が済まないだなんて」

 皮肉な言い回しはいつものことだが、そこに普段のシニカルな笑みはない。

「春也さんのしたことは、立派な殺人未遂です。遺産を盗み取ることよりも、よっぽど重罪だ。彼はその指示に、少しも疑問を抱かなかったのですか?」

「わ、私にも詳しいことはわかりません。ただ、どうもあいつは、神母坂さんに心酔していたようで……彼女には、人を惹き付ける才能──ある種のカリスマ性がありました。今にして思えば、私が彼女の提案に乗ってしまったのも、そうした性質の為せる(わざ)だったのかと」

「だから正常な判断ができなかったと言うことですか? 失礼ですが、全く理由になっていないように思います」

 何も言い返せなかったらしく、繭田さんは口を噤んだ。

「……いずれにせよ、話を聴くことができてよかった。あまり望ましい形とは言えませんが、一応この島へ来た目的を果たすことができました。──他に、神母坂さんから指示されたことはありましたか?」

「え、ええ。春也が公開式に出席しなかったのも、元々彼女に言われていたことでした。みなさんから質問責めに会いボロが出てしまうのを回避する為と、もう一つ、あいつが礼を欠いた態度を取って、軍司先生のお怒りを買わないように、と。夕食を自室で摂らせたのも、同じ理由からです」

 どうやら僕たちの来訪を知った神母坂さんから、急遽そう言ったディレクションが入ったらしい。大胆な発想をする割に、細かなところで周到である。確かに、少し神経質すぎる気がした。

「昨夜、春也さんの部屋から不審な物音や、誰かの声が聞こえた、と言うことはありませんでしたか? 最初にもお話ししたとおり、神母坂さんは彼の部屋で殺害された可能性が高い。夜中のことですが、何か聞いていましたら教えてください」

 今僕たちのいるこの部屋は、瀬戸──に扮していた春也さんが泊まっていた部屋の、隣室(となり)だ。だからこそ彼に尋ねたのだろうが、これは空振りに終わる。

「申し訳ありませんが、何も……。昨夜は疲れていたせいか、部屋に戻った後すぐ──確か十一時前には、眠ってしまったので……」

「そうですか。──では、ひとまず次で最後にします。軍司さんとは、何があったのですか? 額の傷のことは、織部さんから伺いました。しかし、何故彼の逆鱗に触れてしまったのでしょう。答えてくださいますね?」

「ええ……ここまで来たら、何も隠し立ては致しません。今から三十年近く前──まだ社長がご結婚なさって、一年も経っていなかった頃の話です。私は当時、軍司先生の()()()()を、社長に密告してしまいました。そのことを知った先生は、烈火の如くお怒りになって……」

「その秘密と言うのは?」

 隠し立てはしないと宣言していたにもかかわらず、彼は返答を躊躇った。それほど重大な秘密なのかと、僕は身を乗り出す。

 やがて、彼は呼吸を整えると、再び額の傷に触れ、意外な言葉を口にした。

「先生は……当時、()()()()()()()()()()()()()()()のです。社長のいない時にアプローチをかけていらっしゃる姿を、何度か見かけたことがごさいます。……私は、このことを社長に密告してしまいました」

 彼は「まさしく『口は災いの元』ですね」と、自嘲するように付け足した。夕食の席での軍司さんとのやり取りは、そう言う意味だったのか。

「軍司さんと千都留さんは、不倫関係にあったと?」

「いいえ。どうやら、奥様は先生の好意には応じなかったようです。奥様は聡明なだけでなく、貞淑な方でしたので……。むしろ、だからこそ、先生のお眼鏡に適ったのでしょう」

「軍司さんは、素直に手を引かれたのですか?」

「さあ、わかりません。一応、私の告げ口が発覚して以降は、奥様とお会いになることは控えておられたようですがね」

 また一つ新たな事実を知ることができたわけだが、果たして今回の事件と関係があるのだろうか? 少なくとも、僕にはそのピースをどのように推理に組み込めばよいか、見当も付かなかった。


 ※


 ひとしきり話を聞き終えたところで、繭田さんはふうっと溜め息を吐いた。疲れたように、深く椅子にもたれかかる。

「話を聴いていただけて、少し気持ちが楽になりました。衣歩さんにはのちほど謝罪して、然るべき罰を受けようと思います」

 彼は心なしか、憑き物が落ちたような顔をしていた。それは結構なことだが、結局今回の事件の真相はまだわかっていない。動機らしき物が、ようやく見えて来た、と言う程度だ。

「一つ、繭田さんにお願いしたいことがあります。コンサバトリーで発見された死体が、本当に春也さんの物なのか、確かめていただけないでしょうか?」

「それは……あの死体が春也ではなく、別の誰かだった可能性がある、と言うことですか? そんなまさか」

「しかし、考えられないことでもありません。その場合、春也さんは実はまだ生きており、どこかに隠れていることになりますが……。いずれにせよ、死体の身元は確認しておくべきでしょう。ご家族である繭田さんでしたら、首がなくとも春也さんなのかどうか、判断することはできませんか?」

「どうでしょう……正直なところ、あまり自信がありません」

「何か、身体的な特徴はないのですか? 例えば……()()()()()()()()()()()()()、とか」

 緋村の言葉に、僕は妙な既視感を覚えた。

 そして、すぐに思い出す。先ほど東條さんから聴いた話を。

 彼は半年ほど前、神母坂さんの姿を、神戸市内のカフェで見かけていた。その時、彼女と一緒にいたチンピラ風の若い男の背中に、龍か何かの刺青があるのが、タンクトップの下から覗いていたと言う。

 つまり、緋村は、その男が春也さんだったのではないか、と予想したのだろう。

「そ、そう言えば、確かにそんな話を聞かされました。なんでも、肩甲骨の辺りから両肩にかけて、大きな蛇のタトゥーが入っていると……。大方、ヤクザ者の真似事をして粋がっていたのでしょう。親としては、恥ずかしい限りです」

 やはり、東條さんが見かけた刺青の男は、春也さんだったと考えてよさそうだ。半年前の時点で、二人は面識を得ていた。もしかしたら、一緒にカフェにいたのも秘密の逢引などではなく、遺産を盗む計画の打ち合わせをしていたのかも知れない。

 それにしても……。彼の背中にいたのは、龍ではなく蛇だったのか。神母坂さんのイヤリングと同じモチーフを選んだのは、彼女の仲間──いや、下僕(しもべ)となったことを誇示するかのようだ。無論、偶然好みが一致しただけかも知れないが。

「と言っても、実際の彫り物ではなく()()()だったらしいですがね。いずれ本物のタトゥーを彫るつもりだったと、一昨日の夜豪語していましたから」

「一昨日も彼と会っていたのですね。今回の計画の段取りを確認する為ですか?」

「それもあるんですが……どうせなら島には一緒に行こうと私が言って、実家に帰って来させたんです。今回のことが成功すれば、もうあいつが実家(うち)で過ごすこともなくなるでしょうから、そうなる前に一度くらい、家内に挨拶してもらいたかったのもあります」

 神母坂さんの計画に加担することになった当初から、決めていたことらしい。二十三日の午後、春也さんは実家に帰省し、繭田父子(おやこ)は亡き母の墓参りに行ったそうだ。

 その後、久方ぶりに親子水入らずの時間を──決して和やかな雰囲気とは言えなかったとしても──過ごし、翌る二十四日、繭田さんの運転する車に乗り込み、出立した。

 赤の他人同士となるべく、珍奇の園を目指して。

「そうでしたか……。では、今から一緒に、死体の確認をしていただいても?」

「もちろん、構いません。ただ、その前にご飯を食べさせていただいてもよろしいですか? せっかく織部さんがご用意してくださったのに、手を付けないのももったいないですし……さすがに、お腹がすいて来たのものですから」

「わかりました。我々は広間でお待ちしておりますので、食事が終わりましたら、下りて来てください」

 このやり取りを最後に、僕たちは繭田さんの部屋を辞す。

 その間際、彼は机に置かれていた四角いケースを取り寄せ、ファスナーを開けた。軍司さんの忠告どおり、忘れずに広間から持ち帰っていたらしい。

 青いラベルの貼られた小瓶(バイアル)と、細い注射器が取り出される。注射器に取り付けられていたカバーを外し、アルコール綿らしき物で針を拭き浄めた。

 それが済むと、今度はバイアルの蓋を開け、注射針を内蓋へ刺し、シリンジに表記された目盛りを確認しつつ、薬液を吸い上げ始める。当たり前ではあるが、実に慣れた手付きだった。

「おい、ジロジロ見ていたら失礼だろ。さっさと行くぞ」

 緋村の言うとおりだ。あまり目にする機会のあるものではないから、つい見入ってしまった。

 素直に非礼を詫びると、一度注射器を置いた繭田さんは、シャツのボタンを外しながら、

「いえいえ、お気になさらないでください」

 微苦笑と共にそんな言葉をもらい、今度こそ部屋を出た。

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