22:事件の見え方は、大きく変わって来る
「私が?──ま、まさか、私が犯人だと仰るのですか?」
「そうではありません。ただ、何も後ろ暗いところがなかったとも、思いませんが……。単刀直入に言わせてもらいましょうか。あなたと瀬戸くん──そして、神母坂さんの三人は、ある計画を企てていた。しかし、それをよしとしない者がこの屋敷の中におり、その人物が彼らを誅殺したのではないか。僕はそう考えているんです」
ある計画とは、無論、誉歴氏の遺産を奪取する謀略を指しているのだろう。そして、本来全ての財産を相続すると目されていた衣歩さんは元より、他の流浪園の関係者たちが、それを認めなかったとしても、おかしくはない。
ただ一つ気になるのは、彼らの計画に神母坂さんも関与していたと言う点だ。むしろ、彼女は瀬戸たちの魔の手から、誉歴氏の遺産を守ろうとする側のように、思えるのだが。
僕はひとまず、繭田さんの反応を窺い見る。
すると豈図らんや、彼の表情には明らかな動揺の色が浮かんでいるではないか。彼は震える手を持ち上げ、額の古傷に触れる。
「……緋村さんまで、先生のようなことを仰るのですね。私たちが、社長のご遺産を奪い取ろうとするなんて……」
「無論、単なる想像に過ぎません。証拠などは一切ないですし、否定されてしまえばそれまでだ。ですが、こう考えれば犯人の動機が見えて来る。瀬戸くんと神母坂さんを繋ぐ見えざる糸が、目の前に現れるわけです。──あなたたちの悪事に、神母坂さんも加担していた。それどころか、むしろ、彼女の方からこの計画を持ちかけて来たのでは?」
──なんだって? 驚いた僕は、思わず彼の横顔を見返した。
対して、繭田さんは奇異な物を見るような視線を、目の前の青年に向けている。しかし、緋村はそのどちらにも応じぬまま、さらに乾いた声音を発した。
「神母坂さんがこの計画の発案者だと考えれば、彼女の予言が的中したことについても、説明が付きます。昨日の夕方、コンサバトリーの屋根に降って来たペリュトンは、彼女の要望で、繭田さんたちが投げ落とした物だったのでしょう?」
「そ、それは……」
反論を試みたようだったが、結局ハッキリとした言葉を口にすることはできなかった。
「昨日、この屋敷に到着したあなたたちは、部屋に荷物を置くとすぐさま準備に取り掛かった。鷲と雄鹿の剥製を縫い付け、ペリュトンを拵えたんです。そして、予め打ち合わせていた時間になると、廊下の窓からコンサバトリー目がけてそれを放り投げた。──あの時間、神母坂さんたちがあそこにいることは、事前に聞かされていたのでしよう。僕たちが迷宮の跡地で会う前から、衣歩さんと二人でお茶をする予定だったようですから」
「り──理由は何なのですか? 神母坂さんが、そんな意味不明なことを指示した、理由は」
「確かなことはわかりません。衣歩さんへの嫌がらせなのか、それとも自らの予言を周囲の人間に信じさせたかったのか──あるいはその両方か。いずれにせよ、あれは神母坂さんの指示で、それを繭田さんたちが実行したのだと考えれば、筋が通る。神母坂さんこそがこの計画の発案者──謂わばブレーン的存在であり、お二人は彼女の言いなりだったわけだ」
わざと挑発するような言い方をする。繭田さんは、泣き腫れた瞳を尖らせた。
が、睨まれた側は少しも動じず、
「そもそも、彼女は初めからあのタイミングで──つまり、お二人が屋敷に到着した直後に──、ペリュトンが降って来ることを、知っていたんです。でなければ、あんな予言を口にするはずがない」
──招かれざる客が城に入り込む。彼はホムンクルスであり、城の宝を奪おうとする。そして、頭上より黒い死が舞い降り、さらなる災禍が降りかかるだろう。
「あくまでも、『予言なんて言うオカルトじみた事象は現実にはあり得ない』と言う前提での話です。未来を予見することができない以上、彼女はそれを衣歩さんに聞かせた時点で知っていた──すなわち、その時すでにホムンクルスとやらの企てに加担していたことになります。彼は遺産を奪取する為に流浪園を訪れるのだと、ハッキリそう言っていますからね。そして、その『招かれざる客』が流浪園に到着したあとで、黒い死が現れると言う順番まで、言い当てている。これで怪しむなと言う方が無理でしょう」
「で、ですが、その話は矛盾しているではありませんか! 瀬戸さんの遺体には、剥製が縫い付けられていましたよね? そして、神母坂さんも同様だったと、今し方伺いました。であれば、例のペリュトンとやらの件に関しても、同じ人間の仕業だと考えるべきなのでは?」
この指摘はもっともだ。ハッキリと確認したわけではないものの、死体の見立てに用いられた糸は、鹿と鷲の剥製を繋ぎ合わせていた物と、同じだったように見えた。
「確かに、二つの事件で用いられた縫合糸は、明らかに同じ物でした」
「だったら」
「しかし、それはこう考えれば説明が付く。すなわち、剥製の縫合に用いられた糸は、あなたたちが用意した物だった。そして、瀬戸くんと神母坂さんを殺害した犯人はそれを奪い取り、死体の見立てに利用したのです」
なるほど。僕は胸の内で納得する。あの一件が意味不明な悪戯であることには変わりないが、それでも殺人犯の仕業だと考えるよりかは、ずっと自然なように思われた。
二つの事件を結び付けて考えるから、犯人は「幻獣の見立て」に拘る異常者のように思えてしまうのだ。しかし、それらが全く別の人間による犯行だとすれば……事件の見え方は、大きく変わって来る。
「では何故、犯人は縫合糸や針を奪い、自らも幻獣の骸を拵えたのか。それは、単なるカムフラージュの為だったのだと、僕は思います。つまり、死体にあの異常な見立てを施すことで、ペリュトンの一件と、同じ人物の犯行であるかのに、見せかけたかったのです。
その証拠に──なるかはわかりませんが──、犯人は瀬戸くんの首をコンサバトリーで切断しています。その際付いたと思われる血痕や傷が、ベンチに残っていました。そして、ここからが重要なポイントで、コンサバトリーにあった血痕は、非常に少量だった。つまり、犯人は瀬戸の死後完全に血が止まってから、彼の首や両手を切断したことになる。では、それまでの間、犯人は何をしていたのでしょう? 僕が思うに、瀬戸くんの部屋に行っていたはずです」
どうしてそう考えるのか。僕は彼の言葉の続きを待った。
「犯人は、カムフラージュに使う道具を回収しに向かった──その時点で、すでに把握していたのでしょう。お二人がペリュトンを投下したことや、神母坂さんが遺産の奪取計画に関与していたことについて。だからこそ、そこで次の犯行がなされた。神母坂さんは、本当は瀬戸くんの部屋で殺害されたのです」
「な、何故、そのようなことが言えるのですか?」
「見付けたからですよ。彼の部屋の浴室の中に残った、血飛沫の跡を。おそらく犯人が見落としたのでしょう。それから、勉強机の下にこんな物が落ちていました」
緋村は畳んだハンカチを取り出し、それを開いて相手に見せた。
「これは……イヤリング、ですか?」
「ええ。神母坂さんのイヤリングです。繭田さんはご存知ないでしょうが、神母坂さんの遺体からは、左耳のイヤリングがなくなっていました。それがどう言うわけか、瀬戸の部屋の机の下から発見された。彼女は昨夜の飲み会の時までは、ちゃんと両耳にイヤリングを付けていたことから、落としたのはそれ以降──つまり、会がお開きとなったあとで、瀬戸くんの部屋に行ったのだと考えられる。そんな時間に部屋を訪ねていたことこそ、彼らの間に秘密の繋がりがあったと言う、何よりの証拠です」
淡々とした口調ながら、断定的な響きがあった。これに対し、繭田さんは──おそらく無意識のうちに──額の古傷に手を触れ、反論を試みる。
「だとしても、神母坂さんが自分から部屋を訪れたかどうかなんて、わからないじゃありませんか。もしかしたら、犯人が無理矢理連れ込んだのかも」
「机の下にあったんです」
「え?」
「彼女が先に部屋の中にいたのでなければ、そんなところにイヤリングが落ちるとは思えません。例えば、廊下で犯人と出くわしてしまい、早業で殺害されたあとで、部屋に引きずり込まれたとしましょう。その場合、イヤリングは部屋の入り口だとか、真ん中辺りに落ちるはずです。壁際に設置された机の下に入り込むとは思えない」
「で、ですが……犯人が部屋に潜んでいたところへ、彼女がやって来たと言うこともあり得るのでは?」
繭田さんのこの発言は矛盾している。と言うか、反論になっていないのだが、そのことには気付いていない様子だった。
「だとしても、何も変わりませんよ。机の下にイヤリングが転がり込むとは思えないし、どの道同じじゃありませんか。彼女は自分の意思で、真夜中に瀬戸くんの部屋を訪れたと言うことになるのでしょう?」
「し、しかし……」
懸命に口を動かし何事か発しかけたが、結局そこから先は言葉にはならなかった。
緋村は話を続ける。
「神母坂さんを殺害した犯人は、瀬戸くんの部屋の浴室で、彼女の首を切断しました。その際、洗面台の下に飛び散った血飛沫が、見落とされ残ってしまったんです。
また、先ほど確認した時、まだ水が乾ききっていなかったのは、最後にそこが使われたのが真夜中だったから。言うまでもなく、犯人が血を洗い流した痕跡であり、瀬戸の部屋のペットボトルの水が四本半も消費されていたのも、この為でしょう」
加えて、二人の首を切り落とすのに用いた刃物も、元々瀬戸たちがペリュトンを拵えるのに使った物を拝借したのだと、緋村は付言した。
こうして一仕事終えた犯人は、休むことなくコンサバトリーへと引き返す。針と糸、そして刃物を携えて。
その後、ようやく瀬戸の首と両手を切断したからこそ、血は少量しか流れなかったのだ。
緋村の話を聞いていた繭田さんは、呆れたように息を吐いた。ごくごく小さな遺留物とわずかな血痕から、よくそんなことが思い付くな、と言いたげだ。
それから、彼は大義そうに、口を開く。




