21:面白いモンがあったぜ
軍司さんの部屋を辞した僕たちは、一度一階へと降りた。緋村が煙草休憩を所望したからだ。
撞球室に着くと、緋村はバーカウンターに置かれた灰皿の傍で、ひたすら煙を吐き出し始める。
「次はどうするんだ? 幸恵さんに話を聴きに行くんだよな?」
彼は昏い目玉だけをこちらに向け、
「そうするつもりだったんだが、一つやるべきことを思い出した。まずは先にそっちを済ませる」
「何をする気だ?」
「神母坂さんの部屋と瀬戸の部屋を調べるんだ。今なら邪魔は入らないだろう」
その後、緋村が煙草を揉み消すのを待ってから、僕たちは再び二階へと引き返した。
最初に向かったのは、神母坂さんの部屋だった。
緋村は机の下やベッドの下などを床に這って改めていたが、何の収穫も得られなかった。
それから、彼女の旅行鞄を持ち上げる。さすがに人様の荷物を勝手に漁るのはどうかと思ったが、中を漁ることはせず、ただ重さを確かめただけで元に戻した。
「……軽いな。織部さんの言うとおり、余計な物は入ってないらしい」
そう呟いた彼は、しばらく室内を歩き回った後、再びクローゼットや洗面所兼浴室を調べたが、やはり大した物は出て来ない。
死体から消えていたイヤリングも──荷物の中にしまわれている可能性はあるものの──、どこにも見当たらなかった。
続いて、瀬戸の部屋へ。こちらも内装は他の客室と変わらず、簡素な家具が整然と置かれている。
緋村は先ほどと同じようにクローゼットの中や、残された荷物、ベッドと机の下を、順に見て行った。
するとほどなくして、緋村が声を上げる。
「おっと。まさか、こんなところにあるとはな」
いったい何を見付けたのか。僕が尋ねると、しゃがんで机の下に手を伸ばしていた彼は、答えるより先に立ち上がり、こちらを振り返った。
黒い手袋の指は、見覚えのあるシルバーイヤリングを摘んでいた。
間違いない。それは、行方不明になっていた、神母坂さんのアクセサリーだ。
そして、僕はこの時、そのイヤリングが蛇をモチーフにした品であることに気が付いた。リングの端──耳たぶを挟む部分が、蛇の頭部を象って、丸っこく膨れているのだ。
それも、片側だけではなく両方とも。どうやら、こいつは単なる蛇ではなく、双頭の蛇であるらしい。──そんなささやかな発見は、今は措いておくとして。
まっさきに、ある疑問が生じる。
「でも、どうしてこれが瀬戸の部屋から出て来るんだ? 神母坂さんは、ここに入ったことがあったのか?」
緋村はそれには答えてくれず、代わりに、
「昨日の飲み会の時、神母坂さんはちゃんと両耳にイヤリングをしていたな?」
質問で返されてしまう。僕は暫時記憶の襞を掻き分けたが、ちゃんと覚えていた。
「だな。あの時はまだ、左右の耳にイヤリングが付いていたはずだ」
「俺もそう記憶している。となると……」
中途半端なところで言葉を切った彼は、無言のまま手の中の物を見つめていた──が、すぐにそれをハンカチで丁寧に包み、ズボンのポケットにしまい込む。
かと思うと、何の前置きもなく、今度はバスルームを見に行ってしまった為、僕は大いに困惑させられた。気になるところで切るなよ。
バスルームへ入る間際、彼は入り口の前で足を止め、扉の傍に置かれていた七本のペットボトルに目を落とした。こちらは神母坂さんの部屋とは違い、丸々四本と半分ほど、空になっている。ただトイレを流したり体を拭いたりするだけで、ここまで水を使う必要はないはずだ。
訝りつつ、彼と共に三点ユニットの浴室に入ると、すぐにある物が目に付いた。床の排水口の周囲に、まだ乾ききっていない水が残されていたのだ。
初めは瀬戸がここで体を清めた名残かとも思ったのだが、ただ滴ったにしては、乾いていない水の量が多すぎる気がした。
「…………」
その痕跡を一瞥した緋村は、口許を右手で覆うようにしながら、狭い浴室内を歩き回り始めた。僕は邪魔にならないように、戸口の外から見守っていることにする。
と、ほどなく、彼の視線がある一点で止まった。
そこは、洗面台の下だった。彼が目を細めて見つめているのは、折れ曲りながら壁に生える排水管。今度はそちらに歩み寄り膝を付いた彼は、再び何かを発見したらしく、顔をそちらに向けたまま僕を手招いた。
「見てみろよ、面白いモンがあったぜ」
言われたとおりにすると、すぐにその言葉の意味を理解することができた。排水管のカーヴした部分の床側に、小さな暗褐色のシミが二、三滴、付着しているではないか。
まさか──血痕なのか⁉︎
「どう言うことなんだ?」顔を上げ、隣りに尋ねる。「君の見立てでは、瀬戸はコンサバトリーで殺されたんだったな? なのに、何故この部屋に血痕が残されている?」
「……さあな。俺の見当違いだったのかも知れない。あるいは……」
何かを言いかけた緋村は、しばし黙考を開始した。が、少しもせぬうちに、昏い瞳の奥に怜悧な輝きを一閃させ、こう呟く。
「……妙な絵が浮かんぢまった」
「妙な絵?」
「ああ。──俺の考えが正しいかどうか、確かめに行こう」
いったいどこへ? そう尋ねると、彼は意外な人物の名を答えた。
※
緋村がある人物の部屋のドアをノックすると、その向こうで小さな悲鳴が上がるのがわかった。それからすぐに、怯えた声が返って来る。
「ど、どうか致しましたか……?」
「驚かせてしまい申し訳ありません、繭田さん。少しお話を伺いに参りました。入らせていただいてよろしいですね?」
「ま、待ってください。私が話すようなことは、何も」
「あるはずです。少なくとも、あなたはあの遺書や瀬戸くんに関して、我々に隠していることがある」
断定的なその言葉に、彼が息を呑むのが、扉越しにもわかった。
緋村は反駁する隙も与えずに、畳みかける。
「軍司さんに知られる前に、僕たちに話して楽になりませんか? もちろん、ここで聴いたことは、絶対に他言しないと誓います」
「…………」
緋村の穏やかな語調が警戒心を解いたのか、それとも軍神様への恐怖心が勝ったのかは、定かではない。ただ、ほどなくして寄越されたのは、どこか助けを乞うかのような、か細い声だった。
「……わかりました。鍵はかけておりませんので、どうぞお入りください」
「ありがとうございます」
礼を述べた緋村に続き、僕は彼の部屋に入った──本当に鍵をかけていないことに、少々驚きながら。
入室してまず目に留まったのは、悄然と椅子に座る繭田さんの姿だった。撫で付けていた髪は酷く乱れ、食堂で目にした時にも増して顔色が悪い。少し見ない間に何十歳も老け込んでしまったかのようだ。
先ほど運んだ昼食が机の上に置かれていたが、手を付けた形跡はなかった。
「それで……私に何を訊きたいのでしょう?」
億劫そうに、椅子の上から上目遣いの視線を寄越す。その瞳は赤く腫れていた。──もしかして、泣いていたのか?
「その前に、先に報告しておくべきことがあります。神母坂さんが、遺体となって発見されました。どうやら、彼女は昨晩のうちに殺害されていたようです」
繭田さんは驚愕した様子で、緋村の能面ヅラを見上げた。「そんな」と、乾燥した唇が動く。
「遺体には瀬戸くん同様、剥製──それも仔牛の体が縫い付けられていました。瀬戸くんの方には成牛の頭が縫い付けてありましたが、この二つの剥製は、いずれも標本室に展示されていた物です。……では何故、彼らは殺されなければならなかったのか」
まっすぐに相手を見据えたまま、青年はこう続けた。
「その謎を解く鍵は──繭田さん、あなたが握っているのではないですか?」




