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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第二章:奇形の翅
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20:愛を育んでいた

「すまないな、関係のないことばかり長々と喋ってしまって。他に質問は?」

「先ほどの話に戻ります。誉歴さんが何故香音流さんだけに辛く当たっていたのか、その理由について、心当たりありませんか?」

「ないな。むしろ、私も不思議に感じていたほどだ」

「これまでの事情聴取の中で、神母坂さんについてあまりよくない噂があったことを知りました。噂の内容はどのようなものか、軍司さんはご存知ないですか?」

「なるほど、その話か……」

 呟いた彼は、そこで謎な笑みを浮かべた。どうやら噂について知悉している模様だが、それではこの含み笑いには何の意味があるのか。

「無論、知っているとも。しかし、あくまでもただの噂話だ。ましてや今回のこととは、何の関係もない」

「みなさんもそう仰っていました。しかし、人間は知る必要がないと言われると余計に知りたくなるものです。無関係ならそれで構いません。考える必要のあることが、一つ減るわけですから」

「ふん、そんな理屈が通るのなら、我々に黙秘権はなくなるな。──君はしつこそうだから、特別に教えてやろう。噂の内容はこうだ。香音流くんはかつて()()()を描いたことがあった。そして、そのモデルはどうやら、()()()()()()()()()()。以上だ」

 彼の言葉を聞き、僕はしばしあっけに取られていた。散々引っ張っておいて──別にそんな意図はなかったのだろうが──、それだけ? 拍子抜けもいいところである。

 無論、こちらが勝手に想像と期待を膨らませてしまっていたのだろうが、その程度のことならば、特段隠し立てする必要はないように思うのだが……。

 これには緋村も当惑した様子で、「本当にそれだけなのですか?」と尋ねる。

「私が嘘を吐いていると言うのか? 心外だな。この話は事実だよ。本人から直接聞かされたのだからな」

「それは、神母坂さんからですか? それとも」

「香音流くんだ。何の機会だったかは忘れてしまったが、彼は以前、こんなことを口にしていた。『昔裸婦画を描いていたのを父さんに見付かって、こっ(ぴど)く怒られたことがある』とね。榎園くんは元来性を強調した事物に過敏なところがあってな。美術品を蒐集しているクセに、男女の裸体が描かれた絵画や彫刻なぞは一つも所蔵していなかった」

 言われてみれば、そうした作品を一点も見かけていない。また、標本室に展示された人骨の絵画も、古の解剖室へのオマージュなどではなく、ルーカス・クラナッハの描いたアダムとイヴの代替品として──裸身の二人を飾ることを避ける為に──、用いられた物だったのかも知れない。

 そんな想像を巡らせるうちに、一つ疑問が浮かぶ。僕が引っかかったのと同じことを、緋村が尋ねた。

「しかし、薬品室にはバフォメットの絵が飾られていました。あの絵にはハッキリと乳房が描かれていますが」

「ああ、簡単なことだ。あれは誉歴くんのコレクションではない。他ならぬ私が買って来て、勝手に貼らせてもらったんだ。ちょうど、あの部屋にピッタリのポスターを見付けたのでね。榎園くんからしたらいい迷惑だっただろうが、知ってのとおり未だにそのままになっている」

 軍司さんに逆らえなかったのか、あるいは友人のしたことだからと、放置していたのかはわからない。が、誉歴氏の立場からしてみれば、あまりいい気はしないだろう。

「話を戻そうか。──榎園くんが香音流くんを叱ったのも、そうした潔癖さが理由だと思ったのだが、どうもそれだけではなかったらしい。香音流くん曰く、『そんなこと以前にモデルが悪かった』そうだ」

「香音流さんは何故、神母坂さんの裸婦画を描いたのでしょう?」

「どうも、彼女の方から志願したようだ。ヌードモデルにな」

「その絵は、今も残っているのですか?」

「見たいのか?」

 名医に似つかわしくない下卑た表情が、満面に浮かぶ。

「あれだけの美女の裸身だ。男なら、どんな朴念仁であろうと、興味が湧いて然るべきだろう。──しかし、残念だったな。とっくに榎園くんが処分してしまったそうだよ。実に惜しいことをしたものだ。そう思わんかね?」

 猥談のつもりなのだろうか。ニタニタ笑いと共に、コニャックを舐める。確かに気分のいい話ではないが、やはりそこまで「よくない噂」とは思えなかった。

「もしかして、お二人は当時親密な仲だったと言うことですか? だから、そんな絵を描いたとか」

 そう尋ねてみると、軍司さんはいっそう愉快げに目を細めた。

「ああ、そうだな。ある意味では親密だったんだろう。彼らは先ほど君たちも入った屋根裏部屋で、()()()()()()()んだよ」

「ある意味では?」緋村が眉をひそめる。

「単なる言葉の綾だ。それより、これでわかっただろう? この事件を解くのに、全く役に立たない話だと。満足したのなら、この話はこれでお終いだ。これ以上、私が教えられることはない」

 お茶を濁された感が否めないが、仕方あるまい。緋村もそう判断したようで、素直に話題を変える。

「香音流さんは、最終的に衣歩さんを選びました。そのことで、神母坂さんが彼女に嫉妬する、と言ったことはなかったのですか?」

「私の知る限り、そんな様子は見受けられなかったな。むしろ振られて以降は、鮎子くんの方から香音流くんを突き放していたくらいだ。『もう興味はない』とばかりにね」

 もしかしたら、そのことが香音流さんの孤立を決定付けてしまったのかも知れない。だからと言って、神母坂さんの想いを受け入れられなかった彼に、罪はないだろうが。

「誉歴さんは、亡くなった奥様を弔う為に、このお屋敷と迷宮を建てたそうですね? 奥様はどのような方だったのですか?」

「また一段と、取り留めのない質問だな。まあ、答えるのは吝かではないが。──彼女のことは私もよく知っているよ。千都留(ちづる)さんと言って、器量のいい朗らかな女性だった。決して華やかな美女と言うわけではないが、親しみやすく、男女問わず好かれるタイプだな」

 軍神様からの評価は非常に高かった。もっとも、故人特有の下駄を履かせている、と言う可能性もあるが。

「榎園くんとはかなり年齢が離れていたが、二人は謂わゆる許嫁の間柄だった。千都留さんは、元々さる医療機器メーカーの社長令嬢でな。彼女のご実家の経営を援助する代わりに、大学を卒業してすぐ、榎園くんの元へ嫁に出されることに決まっていたらしい。昔のドラマや映画にありそうなシチュエーションだが、互いのご両親が決めていたことだから、二人とも逆らえなかったんだろう。特に、榎園くんは昔から父君を恐れていたよ」

「奥様が亡くなったのは、確か二十年ほど前だそうですね? 当時はまだお若かったはずですが、ご病気か何かで?」

「……いや、違う。千都留さんは──()()だった」

「自殺?」緋村が聞き返す。

 僕も思わず耳を疑った。つい今しがた教えられた人物像とは、全く結び付かない最期だ。

「ああ」彼は低い声で首肯する。「首を吊って亡くなっていたそうだ。状況から見て、自殺だったのは疑うべくもない。残念なことに、二十九歳の若さで自らの命を絶ったんだ」

「しかし、いったい何故……? 当時は香音流さんたちも幼かったはずですし、たった今伺った限りでは、自殺するような状態だったとは思えません。それとも、自ら死を選ばなければならいような理由でも?」

「わからない。自殺の動機は未だに不明だ。榎園くんに宛てた遺書が残されていたようだが、何が書かれていたのかは、彼しか知らないだろう」

「誉歴さんは、遺書の内容について誰にも話さなかったんですね?」

「ああ。我々も無理には聞き出せなかった。妻を喪ったショックを超克することで精一杯だったはずの彼に、追い討ちをかけるような真似、できるはずがない。榎園くんが馴染みのユタ──鮎子くんのお祖母さんの託宣により、この島を買い取り流浪園を建てた時も、正直なところ、心配でならなかったよ。そんなことが千都留さんへの手向けになるだなんて、到底信じられなかったからな」

 それが正常な反応と言う物だろう。

 しかし、誉歴氏からすれば、悲劇を乗り越える為には盲信(しん)じるしかなかったのかも知れない。それほどまでに追い詰められていたからこそ、突飛なお告げに縋り付いたのではなかろうか。

昨日(さくじつ)、神母坂さんからもその話を伺いました。誉歴さんは、彼女のお祖母様のリピーターだったそうですね」

「そうだな。私も彼に紹介されて、何度か訪ねたことがあったよ。地元ではよく当たると評判だったようだ。私はあまりその手の話は信じていなかったのだが、実際に色々なことを言い当てられてしまい、奇妙な心地がしたものだ。ただ、少々方言がキツすぎて、鮎子くんに通訳してもらわないと、何を言っているのかわからないこともあったがな」

「ちなみに、軍司さんはどのような託宣を授けられたのでしょう? 差し支えなければ、教えていただいても?」

「漠然と今後の運勢を占ってもらっただけだ。彼女に憑依した神様が言うには、『あなたの成そうとすることは、必ずうまくいく。それを阻むことのできる者は、誰もいない』とのことだった。あまりにもポジティヴな結果でいささか戸惑いはしたが……まあ、一応信じておくことにしたよ」

 神に伺うまでもなく、この人を阻むことのできる者など、いるはずもないように思うが。

「ただし、『誰かの助けを必要とする時は、躊躇なくその手を借りなさい。さもなくば、苦しみの中で死を迎えるだろう』とも言われてしまったな。まあ、他者からの施しには素直に感謝しろと言うことか」

「……軍司さんは、いったい何を成し遂げるおつもりなのでしょう?」

「さあな。現役を退いた私は、一介の医師ですらない。読書と研究だけが趣味の、ただの老人だ。何も企んでなどおらんよ」

 日本刀を傍らに立てかけコニャックを飲む姿は、とても「ただの老人」には見えなかった。

「私のことなどどうだっていい。それより、そろそろ我々を信用する気になったかね?」

「……ええ。みなさん、協力的で大変助かりました。後は、繭田さんと幸恵さんにもお話を伺ってみてから、最終的な判断を下そうと思います」

 眉一つ動かさずに答えてから、緋村はスッカリ恒例となったあの問いを放った。

「その前に、最後の質問をさせてください。迷宮のあった場所に、花束が供えられていました。衣歩さんたちが用意したのとは、別の物です。誰が置いた物か、心当たりはありませんか?」

 軍司さんは他の人と同じように、意外そうに彼を見返した。──が、その先の展開は、これまでとは違っていた。

「ああ、あれか……。まあ、隠すようなことでもないし、素直に白状するか。──()だよ。()()()()()んだ」

 予想外の答えに、僕は驚いた。いや、確かに、あの三人ではなく、衣歩さんたちでもないのだとしたら、軍司さんか幸恵さんのいずれかであるのはわかりきったことだが。

 しかし、気に入らぬ者を嬉々として甚振り、さらには激昂して暴れていた姿と、トルコギキョウの壮麗な献花は、全く結び付かない。ギャップにもほどがある。

「では、軍司さんは毎年この時期に島を訪れ、花を捧げていたのですね?」

「そうだ。自分でも似合わないとは思うが、別に悪いことではないだろう? 私だって、二人の死に心を痛めていたのだよ」

 声音を落として言うと、空になっていたグラスにコニャックを注いだ。

 献花の先客が誰だったのか、これで判明したわけだが、やはり今回の事件との関連性は見出せない。正直なところ、あまり捜査が進んでいるとは、言い難い状況である。

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