16:憂きわれを
「雷光が瞬いた直後、スサマジイ轟音が聞こえて来ました。……その時、わたくしは明京流様のお言付けどおり衣歩様のお部屋にいたのですが、言い知れぬ胸騒ぎを覚え、少し外の様子を見に行くことに致しました。そして、合羽を羽織って庭に出てみると、迷宮の方から、黒々とした煙が幾筋か昇っているのが、辛うじて見えたのです。魂消たわたくしは、慌ててそちらへ向かいました。──落雷は慰霊碑に直撃したようなのですが、すぐ傍にいた明京流様たちも巻き込まれてしまって……わたくしが駆け付けた時には、お二人とも大怪我を負って倒れ込んでおられました」
織部さんはすぐさま、兄弟を順に屋敷へ連れ帰り、でき得る限りの手当てを行ったと言う。
「幸い火傷や感電によるダメージはさほど深刻ではなかったのですが、どうも、飛び散った慰霊碑の破片がぶつかってしまったようで……。身体中に打撲や出血が見受けられました。特に、お顔に負った傷がとても痛々しく、元医師のわたくしでさえも、目を覆いたくなってしまうほどでした……」
彼らが病院に搬送されたのは、翌日の午後、予め頼んでいた迎えの船が来たあとだったと言う。
事故直後に満足な治療を行えなかった影響は、やはり大きかったようで、二人はほどなくして意識を取り戻したものの、容態が回復する兆しさえ見えず。
それから二週間足らずで、兄と弟はこの世を去った。
「以上が、わたくしが知っている、四年前のあの夜の全て、でございます」
「ありがとうございます」緋村はまず礼を言い、「さらに話し難いことを尋ねるかも知れませんが──先ほど東條さんから伺ったところ、誉歴さんはお子さんたちに対し、全く違う態度で接していたそうですね。弟である明京流さんを溺愛していたのに対し、香音流さんには辛く当たっていた。お見舞いに行くことさえ、一度もなかったと伺いました。兄弟で何故このような扱い方の違いが生じたのか、ご存知ではありませんか?」
織部さんはすぐには答えず、彼の顔をしばし見返していた。──が、やがて、硬い声で、
「わかりません。確かなのは、以前から香音流様に対し、冷たい態度を取られることがままあったこと──そして、四年前のあの夜を境に、その感情を一切隠されなくなったことです。……誉歴様は、ある日わたくしに、香音流様へ宛てた手紙を託されました。それは、謂わば絶縁状だったようです」
織部さんもその内容の全てに目を通したわけではなかった。が、手紙を読み終えた香音流さんから、後半の一部を見せられたそうだ。
「そこには治療費は全て出す代わりに、退院後は一切の援助はせず、完全な他人として接する旨が認められていました。……それから末尾に、こんな俳句が……」
憂きわれを
さびしがらせよ
閑古鳥
誰かの句なのか、あるいはオリジナルなのか。僕には判然としなかった。「閑古鳥」がカッコウであることくらいは、知っていたが。
しかし、緋村は違ったようで、
「松尾芭蕉ですね」
「ええ、そうらしいですね。おそらく、香音流様のなさろうとしたことや、お二人が落雷に遭ってしまったことを嘆かれて、この句を引用なさったのでしょう。文字からも、誉歴様の辛いお気持ちが、ヒシヒシと伝わって参りました」
「そう言えば、香音流さんたちは、ご自身の出生について、認知されていたのですか? つまり、誉歴さんとの間に、遺伝的な繋がりがないことを」
「そちらに関しても、絶縁状の中で明かされたようです。ただ、香音流様は薄々気付いておられたらしく、お手紙を読んだ後で『ずっと、そうだと思っていた』と呟いていました」
日々の父親の態度や周囲の人間の様子から、察するところがあったのだろう。
「明京流様の方へは、直接伝えておられました。衣歩様との婚約が決まったことをキッカケに、お二人へ真実を明かされたのです。わたくしもその場に立ち会わせていただいたのですが、明京流様はたいそう驚いておられました。……しかし、同時にどこか腑に落ちたと言ったご様子でもありました。明京流様の方でも、何か察する物があったのでしょう」
話を聞いているうちに、昨夜の軍司さんの言葉が蘇る。二人は精子バンクの精子を用いて授かったのだと、彼はビリヤードに興じながら語っていた。と言うことは、父と子だけではなく、兄弟の間にも血縁関係はなかったことになる。
もしかしたら、それぞれ遺伝的な繋がりのない三人だったからこそ、あのような奇妙な家族写真が撮影されてしまったのかも知れない。つまり、兄弟の出自を知る誉歴氏はもちろん、香音流さんたちもそれぞれお互いの関係を察していたが為に、全く別々の場所に、正反対の笑みを向けていたのではないか……?
改めて例の写真を盗み見た僕は、しばしそんな想像を巡らせた。
「話は変わりますが、軍司さんと繭田さんの間には、何かトラブルがあったのでしょうか? 以前、繭田さんが軍司さんの逆鱗に触れてしまったが為に、灰皿を投げ付けられたと言う話を、伺ったのですが……」
僕は、昨夜の公開式の際、激憤した彼が口走った言葉を思い出す。
──こいつは! こいつはまた!
「また」と言うことは、繭田さんが彼の機嫌を損ねるのは、少なくとも初めてではないことになる。
加えて、繭田さんを探しに行く際、織部さんは彼にこう尋ねていた。
──先生は、まだあのことを根に持っておられるのですか?
やはり、彼らの間には何かがあったのだ。長く禍根を残してもおかしくないような、出来事が。
「確かに、そのようなことはございました。わたくしも、その場に居合わせておりましたから」
「では、どうして軍司さんは激怒されたのか、教えていただけますか?」
「わたくしの口からは……先生のお許しがなけれは、お話しできません。そもそも、わたくしも詳らかでない点がございますので……。ただ、先生は繭田様のことを、『裏切り者』と面罵されていました」
「『裏切り者』ですか……繭田さんは何らかの約束を反故にした、と言うことですか?」
「……そう言うことなのでしょう。とにかく、凄まじい剣幕でした。わたくしがあっけに取られている間に灰皿が飛び、その直後には繭田様が蹲っておられました。額から、ドクドクと血を流して……。そこで先生は我に返ったようで、繭田様の傷を手当てすると仰って、わたくしに救急道具と縫合糸を持って来るよう命じました。──そこは、当時軍司先生が勤めておられた病院の応接室でしたので、わたくしはすぐに頼まれた物を取りに向かいました」
「もしかして、織部さんも以前その病院で勤務されていたんですか? 縫合糸と言う専門的な呼び方をしていたり、誰かの手当てを買って出る場面が多かったりするのも、医者か看護師の経験があるからでは?」
「え、ええ、仰るとおりです。大阪の大学病院で、医師をしておりました。榎園家の使用人になったのは、仕事を辞めた後です」
「なるほど、では軍司さんのことだけを『先生』と呼ぶのはその時の名残りだったのですね。軍司さんは『軍司先生』なのに、楡さんのことは他の人と同じで『様』を付けていたのが、少し気になっていました」
「未だに昔の癖が抜けていないのでしょう。……しかし、よく気付かれましたね」
「話の腰を折ってしまい、すみません。続きをお願いします」
「……畏まりました。──その後、軍司先生は手ずから繭田様の額の傷を止血し、縫合なさいました。……麻酔などを、一切用いらずに」
話しているうちに、死人じみた語り部の顔が、いっそう色をなくして行く。額には脂汗が浮かんでいた。




