15:今でも後悔しております
続いて、僕たちは織部さんの部屋へと向かう。彼が利用している管理人室は一階の隅に位置し、厨房と隣接していた。
部屋を訪れると、織部さんはコーヒーを淹れてくれた。ついでに食堂から椅子を持って来てくれた為、今度は全員で座ることができた。
コーヒーが運ばれて来るのを待つ間、僕は何気なく室内を見回す。客室以上に簡素な内装で、調度品もごく限られた物しか置かれていない。普段からここで生活しているわけではない為、当たり前ではあるが。
そんな慎ましやかな部屋の中で、数少ない彩りと呼べる物は、キャビネットの上や壁に飾られた、数点の写真か。
そのうちの一つ──木の額縁に収められた奇妙な家族写真に、僕は目を留めた。立派な安楽椅子にもたれ、広間の肖像画と同じ表情をした誉歴氏と、彼の後ろに立つ高校生くらいの少年たちが、写っている。
二人は同じ学ランを着ているが、どちらも全く似ておらず、むしろ正反対の性格のように見えた。血色の悪い顔をした、猫背気味で痩身の方が、「カイン」こと香音流さんのようだ。細く整えられた眉の片方を剽軽そうに吊り上げ、薄く笑みを浮かべている。しかし、他の二人とわずかに距離を置いて立っているのが、何かしら言い知れぬ孤独感を醸していた。
一方、明京流さんはハニカムような──それでいてどことなく自信に満ちた笑顔を湛えていた。周囲の人間の愛を一身に受けて育って来たのが一目でわかる、朗らかな表情だ。これまで聞いていた話から、彼ら兄弟が真逆の境遇であったことは察しが付いていたが、ここまで対照的だとは。彼らの人生に与えられた恐ろしい影響が、表情や仕草にまで現れてしまったことを、最もわかりやすく伝えている。
何より僕が「奇妙だ」と感じた原因は、三人が三人とも別々の場所に目線を向けていることだろう。真正面を向いているのは明京流さんだけで、香音流さんはフレームの外にいる誰かの顔色を伺うように、自身の左側に視線を投じている。対して、誉歴氏はわずかに顎を引き、両膝の上で軽く握った自らの拳を、見下ろすかのようだった。
彼の昏い黒眼──ただ空虚なばかりで、何を考えているのか読み取れないその晦冥がまた、何とも言えず不気味に思えた。
「お待たせ致しました」
織部さんは湯気の立つカップを三人分、狭い机の上に置き、それぞれの前へ配膳する。僕たちは、ひとまずそのもてなしに対し、礼を述べた。
「それで、わたくしに訊きたいこととは、なんでございましょう?」
「幾つかありますので、順番にいかせてもらいます。──まず、先ほど屋敷内の探索を行った際、薬品室に入られたかと思いますが、何か消えている薬品などはありませんでしたか?」
「犯人が薬を持ち出した、と言うことでしょうか?──ございませんでした。みな様がお出でになる前にひととおり、お部屋の掃除をしたのですか、その時と変わった様子はなかったかと」
「織部さんは、いつ頃からこちらにいらしていたのですか?」
「到着したのは昨日の早朝です。ただ、二日前と三日前にも、準備の為に訪れました。屋敷内のお掃除は半日ほどで終わったのですが、食糧や水など必要な物を運び込むのに時間がかかった為、二日間にわけて行ったのです」
準備をしている間ずっとこの島にいたのではなく、日が暮れる前には港に戻り、夜は付近の民宿で過ごしたと言う。《沖》と言う名前の老舗で、流浪園での滞在の仕度をする際は、いつも世話になっているそうだ。
「二日前と三日前に関しても、普段と変わったことはなかったんですね?」
「ええ、特には。もちろん、昨日の朝も同じです」
「軍司さんたちは我々の知らない第三者の犯行を疑っておられました。もし仮に外部の人間が犯行を企てたとして、誰にも気付かれぬまま島に上陸し、この付近、あるいは屋敷内に潜伏することは、可能なのでしょうか?」
「それは……率直に申しまして、非常に難しいかと。もちろん、夜中のうちにコッソリ島に上陸するくらいなら、船を使えば可能でしょう。ただし、港からの距離を考えると、二馬力ボートのような小型の船で渡って来るのは難しいはずです。途中でエンジンが切れてしまいますし、海の上では補充することも困難でしょうから。
いずれにせよ、屋敷の中に第三者が潜んでいないことは、先ほどの探索で明らかになりました。隠し部屋のような物はございませんし、もし仮に誰かがいるのだとしたら、屋敷の外と言うことになります」
「外であれば、隠れられる場所はありそうですか?」
「どうでしょうね。洞窟のようなところは、この島にはございませんし、強いて言えば、屋敷のすぐ裏の雑木林でしょうが……そちらもあまり広いわけではないので、野営などしようものなら、すぐに見付かってしまうかと」
「館の周辺にも、誰かが潜んでいたような痕跡は見受けられなかった?」
「左様にございます。一昨日の大雨の影響がないか心配で、皆様が到着される前に、島の中を見て回りました。しかし、当然誰かと鉢合わせするようなことはございませんでしたし、足跡などもなかったかと……」
質問者は、暫時考え込んでから、
「では、何か大きな荷物や変わった物を持ち込まれた方はいましたか?」
「いえ、特には……わたくしが見た限りでは、みなさん、旅行鞄と手荷物くらいしかお持ちにならなかったです」
確かに、僕や緋村はもちろん、楡さんや瀬戸、繭田さんの荷物も同様だった。また、先ほど部屋に入った際に少し見ただけだが、神母坂さんも旅行鞄一つしか持ち込んでいなかったようなので、他の人たちも似たようなものなのだろう。
「四年前、落雷のあった日に、織部さんも流浪園に滞在されていたそうですね。当時のことを詳しく教えていただけませんか? ある程度のことは、僕たちもすでに伺っていますので」
「そ、それでは、香音流様のなさったことも……?」
緋村は表情を変えずに首肯した。
「左様でございますか……。でしたら、隠し立ては致しません。ただ、ありのままを語るのも非常に辛いところがございますので、どうかご容赦ください」
切実な言葉を、僕も緋村も当然受け入れた。
「……当時、衣歩様と明京流様はすでに交際されており、正式に婚約なさったばかりでした。無論、当時はお二人とも大学に通っておられましたから、式を挙げるのは大学を卒業し、就職してからの予定でしたが。誉暦様はもちろん、わたくしどももみな心から、お二人を祝福しておりました。ただ、香音流様のことだけが、気懸りで……」
彼が衣歩さんたちの関係を快く思っていなかったことは、のちの行動からも明らかだ。
「しかし、意外にも、香音流様はお二人の婚約に特段反対なさりませんでした。ようやく諦めが付いたのだろう、と、誰もが思ったはずです。明京流様たちも同様でした。だからこそ、この島に香音流様をお招きし、ささやかなお祝いをしようと、お考えになったのです」
──お祝い?
僕はその言葉の意味を、瞬時に呑み込めなかった。
祝えるはずがないじゃないか。自らの想いを拒んだ異性と、その恋人なんて。聞く限り失恋を受け入れ折り合いを付けることができるほど、日が経っていないようなのに。
これには緋村も違和感を覚えたようで、訝しげに眉根を寄せた。
「香音流さんは、その誘いに応じたのですか?──いや、応じたからこそ、流浪園に滞在されていたのでしょうが……しかし、少々酷な仕打ちのように思います」
「ごもっとも。我々も、その話を伺った時は戸惑いました。どう言った意図があったのか、正確にはわかりません……が、とにかく三人だけで過ごさせるのは心配だと言うことで、わたくしも同行するよう、誉暦様から仰せつかったのです」
予想に反し、一日目は終始和やかな雰囲気で過ぎて行ったと言う。初めは香音流さんが来ることを不安に感じていたらしい衣歩さんも、日が落ち夕食の席に着く頃には、だいぶリラックスしていたとのことだった。
「それから夜の零時を過ぎた頃、みな様お休みになられ、わたくしもこの部屋で床に就きました。──明京流様の怒鳴り声を聞き、わたくしが目を覚ましたのは、午前二時になる少し前でした」
すぐに非常事態であることを察した彼は、取るものも取り敢えず、慌ててその声のする方へ向かった。
「玄関ホールまで来ると、ちょうど香音流様が外へ出て行かれるところでした。明京流様にぶたれたのか、頬を手で抑え、血走った瞳に涙を浮かべながら……。とっさのことで、引き留める間もございません。それから、慌ててその後を追いかけようとしたのですが、ちょうどそこへ、明京流様が階段を下りて来られたのです。いったい何があったのかお話を伺うと、香音流様が衣歩様のお部屋に侵入されたとのことでした」
香音流さんは屋根裏を通り彼女の部屋に入り込んだらしい。
僕たちの泊めてもらった部屋のみ、屋根裏への入り口が封鎖されていた理由が、ようやくわかった。それはいいのだが、一つだけ気になる点が。
「屋根裏の入り口は、屋根裏の方からも開けられるんですか?」
「さっき見たら、内側にもツマミが付いていたよ。だから、屋根裏からも問題なく開閉できる」
緋村が答えると、織部さんも「左様にございます」と首肯した。友人には、つまらぬことで話の腰を折りやがって、と思われたかも知れない。しばらく口を挟まないことにした。
「とにかく外は土砂降りでごさいますし、真冬の深夜のことですから、香音流様のご体調が心配でした。わたくしが連れ戻しに行くと申し出たのですが、明京流様は『兄貴と話し合いたい。衣歩が心配だから、織部さんはここに残っていてくれ』と仰って……懐中電灯を手に、香流様を迎えに行かれました。──あの時、何故わたくしが代わりに行かなかったのか、あるいは同行しなかったのか、今でも後悔しております」
表情の乏しかった顔を、苦しげに歪ませた。その直後、二人は落雷に遭ったのだ。




