13:カインコンプレックス
その後、緋村は意外な問いで、最初の事情聴取を締めくくった。
「最後に一つ教えてください。迷宮の跡地に花束が供えられていましたが、誰が捧げた物か、ご存知ですか?」
「花束? そう言えば、衣歩ちゃんたちが買うて来たって言うとったな。彼女らが供えたんとちゃうか?」
「いえ。お二人よりも先に、献花をされた方がいたようです。──楡さんではないのですね?」
院長は意外そうな表情で首肯した。それでは、あのトルコギキョウの花束を捧げたのは、いったい誰なのか。
確かに謎ではある──が、しかし。そんなことがわかったところで、犯人の正体に辿り着けるわけでもあるまい。僕には大して重要なこととは思えなかった。
※
次の相手として緋村が指名したのは、東條さんだった。彼は幸恵さんと共に衣歩さんに付き添っている為、そちらの部屋を訪ねる。
ノックし来意を告げると、彼はすぐに応対してくれた。開いたドアの隙間──東條さんの肩越しに中の様子が少しだけ見える。
衣歩さんはまだ眠っているのか、ベッドに横たわり、長い睫毛に縁取られた瞼を閉じていた。均整の取れた美しい寝顔に、僕は妙な話だが一抹の罪悪感を抱いた。自分なぞが目にしてはいけない物を、見てしまったかのような……。
慌てて視線を逸らすと、その拍子にこちらを振り向いた幸恵さんと目が合ってしまう。彼女はベッドの傍に置いた椅子にかけており、感情の読めない冷たい黒眼を寄越して来る。大方その瞳には、僕たちは推理小説ごっこに興じる野次馬のように、映っているのだろう。
「おや、もう僕の番ですか? 思ったより早かったな。あまり女性だけにしておくのも心配ですし、場所はそこでいいですか?」
中にいる幸恵さんに話を聞かれてしまう恐れがあるが、協力してもらっている以上、贅沢は言えまい。僕たちは部屋の前の廊下に立ち、聴き込みを開始する。
「僕が答えられる範囲でよければ、質問に応じますよ」
先手を打つかのように、東條さんは言った。つまり、答えたくない問いには答えないと宣言しているのだ。
「よろしくお願いします。──先ほど、楡さんから四年前のことを教えていただきました。香音流さんたちと衣歩さんのご関係も。そこで思ったのですが、本当は東條さんも、ある程度四年前のことを、聞き及んでいるのでありませんか?」
「ああ、先生ってばそこまで話しちゃったんですね。──ええ、知っていますよ。香音流くんが衣歩ちゃんを襲おうとしたことや、逃げ出した彼を、明京流くんが追いかけて行ったことは」
知っていながら、言わなかったと言うことらしい。客人相手においそれとできるような話ではないし、ある種常識的な判断とも言えるが。
「身内の恥を晒すような真似はしたくなかったのでね。それに、別にこの事件とも関係のあることとは思えませんでしたので、少し嘘を吐きました。……と言うか、あの日のことはみんな知っていると思いますよ。もちろん、実際の当事者は、今は衣歩ちゃんと織部さんだけですけどね」
「その件と今回の事件は無関係だとお考えのようですが、何か理由でも?」
「理由も何も、そうとしか思えませんから。──こう言う場合、過去の出来事で亡くなった人の復讐の為に、犯人は事件を起こすわけじゃないですか。現実の事件では珍しいのかも知れないけど、推理小説や刑事ドラマの中じゃ鉄板だ。巫山戯て言っているわけじゃないですよ? 要するに、もし四年前のことがこの事件に繋がるとして、復讐と言う動機だけは絶対にあり得ない、と思うんです」
「言われてみれば、事故ですからね」
「ええ。復讐する相手がいません。……それに、明京流くんはともかく、香音流くんの為に事件を起こそうと考える人間は、誰もいないんじゃないかな」
「それはどうして?」
「彼、元々少し孤立していたんですよ。弟の明京流くんばかり持て囃されるのが気に入らなかったのか、自分から周囲と距離を置いていていましたね。まあ、我々がもっと構ってあげればよかったのかも知れませんが……。四年前の落雷のあとは、さらに悲惨でした。二人は別々の病院に入院したんですけどね、明京流くんの所には毎日のように、誰かしらがお見舞いに行っていましたよ。しかし、香音流くんの方は違った」
カインは、孤独の中で最期を迎えたのだ。
「今にして思うと、少々薄情ですね。許されざる過ちを犯そうとしたとは言え、大人たちみんなで黙殺したんですから。かく言う僕も、香音流くんのお見舞いに行ったのは一度きりでした。その時、香音流くんは先ほどお話しした絵を、お父さん──誉歴さんに観せてほしいと、頼んで来たんです。どうも、画廊を貸し切りにしたいと言って来たのも、誉歴さんに観てもらう為だったようで……。僕は、その願いを聞き入れました。が、結局またしても、約束を果たすことができなかった」
いったい何故なのか。その理由は想像していた以上に残酷な物だった。
「誉歴さんに断られてしまったんですよ。『あんな人でなしの描いた絵など、興味はない。燃やしてやりたいくらいだ』と、ハッキリそう言われてしまいました。誉歴さんは、以前から香音流くんを、少し遠ざけていた節がありまして……。明京流くんのことは溺愛していたんですけどね。どう言うわけか、二人に対して全く違う接し方をしておられました。ですから、元々彼の創作活動にも、かなり否定的だったんですけど、そこへ来て衣歩ちゃんに狼藉を働こうとしたわけで……相当トサカに来ていたんでしょう。彼の絵を鑑賞するどころか、最後まで見舞いに訪れることさえなかったようです」
「何故、誉歴さんは香音流さんにだけ、辛く当たっていたのでしょう? 心当たりはありませんか?」
「ないですね。むしろ、僕もずっと不思議でしたよ。例えば、明京流くんだけが実の息子とかであればまだわかりますけど、どちらとも遺伝的な繋がりはなかった。つまり、二人ともイーヴンな関係だったはずなのに」
「しかし、誉歴さんの中では、何かが違っていた?」
「そのようですね。──いずれにせよ、それが原因で、兄弟の仲はどんどん悪化して行ったんでしょう。香音流くんは父や周囲の人間から愛される弟を、妬ましく思っていたようです。こう言うのを、カインコンプレックスって言うんでしたっけ? 彼にはピッタリだ」
東條さんは、その言葉に、少しも悪意を覚えていない様子だった。ただ自然と口を衝いて出た、とでも言うように。
「神母坂さんとはどうだったのですか? 彼女はかつて、香音流さんに好意を抱いていたと、伺いましたが」
「ああ、そんなことまで聞いてるんですか。──確かに、昔はそうだったみたいですね。本人から伺ったわけではありませんけど。……しかし、僕の知る限り、誉歴さんの次に香音流くんを嫌っていたのも、鮎子さんだったんじゃないかなぁ」
ここまでは概ね楡さんから教えられていたとおりだった。しかし、この後彼の話は予想外の方向へと転がり始める。
「ただ、一つおかしな噂を聞いたことがありましてね。あまり気持ちのいい話ではないんですが……」
「なんでしょう? 気になりますね」
そう言って、緋村は無機的な眼差しで相手の反応を待っていた。
が、しかし、
「すみません、やっぱり僕の口からは言いたくないです。今のはなかったことにしてください」
見事に肩透かしを食らわされてしまった。いったいどのような噂なのか、余計に気になる。
「まあ、真偽のほども定かではありませんし、あくまでも噂ですからね。どの道、今回の件とは関係ありませんよ。もうずっと、過去の話なんだから……」
まるで、その噂とやらを、信じているような口振りではないか。




