12:神なんてものは実在しない
「例えば、こんなエピソードがあります。ある雑誌記者が取材の為に、地元では有名な高齢のユタの元を訪れました。すると、ユタは彼に『よくないことがあるので気を付けなさい』と語ります。それから何ヶ月か経ち、その記者が電車に乗っていると、不意に立ち眩みに襲われ、倒れそうになってしまいました。そして、彼は気付いた。ユタの口にした『よくないこと』とは、これを言っていたのか、と……」
「はあ? なんやそれは。そんなもん、偶然に決まっとるやろ」
「しかし、彼は信じました。彼の中では、ユタの予言は的中したのです。──また、別の人の体験では、ユタと面会した直後、まだほとんど会話を交わさぬうちから、家族構成や持病、過去に犯し秘匿して来た過ちや、当時抱えていた悩みなどを、悉く言い当てられてしまったそうです。何故そんなことまでわかったのかと尋ねると、ユタは穏やかな笑みと共に、『全て神様が教えてくださった』と答えました」
「そっちはまだ、信じてまう気持ちもわかるが……けど、何ちゅうかあれやな。たまにテレビとかに出て来る占い師なんかと、あまり変わらんように感じるわ。ほら、『どこどこの母』みたいな」
「そもそも、占いに必要な技法と言うのは、ユタもイタコも易者も霊能力者も、基本的には共通しているのだと思います。そして、それは大きく二つにわけられる。すなわち、“コールド・リーディング”と“ウォーム・リーディング”です」
「コールド・リーディングはなんとなく聞いたことがあるで。確か、相手の反応から情報を引き出すんやったか?」
「そうです。コールド・リーディングとは、相手の表情や仕草、その時身に付けている品や、質問への答えなどから、その場その場で情報を仕入れる話術です。これを成功させるには相応の訓練や、経験を積む必要があるでしょう」
「せやろうな。うまいこと占いに見せかけなあかんのやから、一朝一夕とはいかんやろう。──それで、ウォーム・リーディングってのは?」
「事前準備をしないコールド・リーディング対し、ウォーム・リーディングはその反対──つまり、そのまま事前調査です。人や事物などと対面する前から、占う対象について、徹底的に調べ上げるわけですね。それなりの熟練度が求められるコールド・リーディングと違い、こちらはリサーチ力が必要となって来る。──裏を返せば、十分な情報網や、探偵なんかを雇う財力さえあれば、誰にでも可能とも言えます」
「なるほど、わかりやすい説明やな」
院長は得心がいったとばかりに、息を吐いた。僕も、ここまでは同じ気持ちだ。
「けど、それは結局、インチキしとるのと変わらんのやないか? 神様の力やのうて、自分の話術やら何やらを駆使しとるんやから」
「インチキ? その言葉は、口八丁で不当に金を巻き上げるようなやり口に対し、用いられるべきでしょう。真っ当な占いは霊感商法などとは違います。実際に、誰かを救い導いていれば、それは本物となり得るんですよ」
こちらはすぐにはピンと来なかった。楡さんも同様だったらしく、さらなる解説を求める。
「昔から、ユタに占ってもらうことは、ある種のタブーとされて来たそうです。と言うのも、先ほどは霊感商法とは違う、と言いましたが、実はユタを騙り金銭を巻き上げるような輩も、多く存在します。また、そこまでいかずとも、ただでさえユタの言動──特にカミダーリィなんかは──、一般的な感覚からすれば、精神の異常だと見做されることが多い。事実、そう言った面がなくもないとも思います。少なくとも、巫病に関しては。
また、沖縄の巫と言いますと、他に祭祀を司る祝女がありますが、神職である彼女らとは違い、ユタはあくまでも民間の存在です。その為、時の支配者や権力者から疎んじられ、何度も迫害や弾圧を受けて来ました。
こう言った背景もあり、ユタには何かとよくないイメージが付き纏っています。そもそも、この『ユタ』と言う呼称その物が、侮蔑的なニュアンスを含んでいる、とも言われるのだとか。ですから、ユタに託宣を伺うこと──現地ではこれを『ユタ買い』と呼びます──は、あまり大っぴらにできるものではなく、専ら女性がその役目を負うことが多かったそうです。世間体を気にしがちな男性ではなく、家の中のことを司る主婦なんかが、人目を忍んでユタの元を訪ねるわけですね。例えば、家族が重い病にかかってしまい、医者にも手の施しようのない時などに」
すでに楡さんの倍以上語っている気がするが、緋村の講釈はもうしばし続いた。
「そうしたわけで、ユタを頼るのはあまりいいこととはされていなかった。しかし、その一方で、彼女たちの託宣が役立てられて来たことも、また事実。ユタを蔑視する男性たちも、その実、妻や母などが持ち帰って来た託宣には、素直に従いました。それが実際に効力のある適切なアドヴァイスだと、わかっていたからです」
緋村の言う「霊感商法との違い」とは、その点にあるのだろう。ただ霊能力者を装い金を騙し取るのと違い、ユタの占いに助けられた人たちがいる。だからこそ、長い歴史の中で、彼女たちの文化は綿連と受け継がれて来たのだ。
「それはよくわかったけど、さっき言っていた『思い込みの極地』と言うのは、結局なんなんだ?」
ちょうど質問を差し込めそうなタイミングだったので、尋ねてみた。
「ああ。要するに、占いの手法──コールド・リーディングにせよウォーム・リーディングにせよ、彼女たちはそれを自分の力で行なっているとは認識していないんじゃねえか、って話さ」
「また難しいことを言うなぁ。けど、実際に情報を引き出してそれを元に占っとるんは、他ならぬ本人なんやろ?」
僕が聞き返したかったことを、楡さんが口にした。
「そうですよ。神なんてものは実在しない──いたとしても、そんなに親切な存在ではないでしょう」
「それやのに、ユタは……神に憑かれるんか?」
「ええ。つまり、ユタはそうした技術その物を、神と交信することにより得られたのだと考えているのではないか、と言う話です。
そもそも、ユタの修行と言うのは、神の言葉を正しく受け取る──神に認めてもらう為に行われます。修行を積んでいない段階──ユタの特質が発現した当初、巫病に苦しむのは、取り憑いた神の意思を理解できていないから。神に選ばれはしたが認められてはいないが故に、狂乱状態に陥ってしまうのだと、先輩のユタたちから教わるのです」
そして、選択を迫られるのだ。このまま死ぬまで精神を狂わされるか、神を受け入れ巫女となるかの、二者択一を。
「思うに、ユタの素養と言うのは、この点にあるのでしょう。気が狂いかけてしまうほど、神の存在をリアルに感受することができるかどうか。それほど豊かな想像力を備えているか……」
そうした妄執に、囚われやすい体質か否か、か。
「巫病とは、想像力の暴走とも言えます。そして、そうした精神の異常状態に、それは『神様が憑いたのだ』と言う形を与えることで、ユタとして成熟する。神を受け入れることにより、巫病を克服するのです。その為に欠かせない通過儀礼が修行であり、その結果会得した以上、コールドリーディングは『神の言葉を聞いている』と言うことになる。自分で相手の情報を引き出しているのではなく、全て神が教えてくれているのです。──彼女たちの中では」
ようやく言いたいことが理解できた。
しかし、楡さんは再び猪首を捻る。
「なら、ウォーム・リーディングは? こっちはガッツリ事前調査しとるやないか。それを神様のお陰やと思い込むんは、さすがに無理があるやろ」
「確かに、実際に調べるのは自分自身であったり、協力者でしょう。しかし、その調査によって得られた情報を元に語られるのは、あくまでも神の言葉です。ユタ自身は神の言葉を代弁していると言う認識でいる。だから、どんな方法で知り得た事柄でも『神様が教えてくれた』となるわけです」
それほどまでに強力な「思い込み」によって、ユタの口寄せは成り立っていると言うことか。彼女たちに取り憑く神の正体は、謂わば尋常ならざる自己暗示なのかも知れない。
「そう言うことか。今度こそ納得できたわ。ありがとう、お陰でえらい勉強になったわ」
「お礼を言われるほどのことではありませんよ。それに、初めにも言いましたが、これはあくまでも一素人の個人的な見解に過ぎません。ただ僕はこう捉えている、と言うだけの話です。間違っている箇所もあるかも知れませんし、もっと詳しい人が聞いたら眉をひそめるでしょう。
そもそも、ユタの託宣には未解明な部分が多い。今回、僕は一般的な占いに用いられる二つの技法を当て嵌めて考えましたが、中には、それだけでは説明が付かないケースもあるそうです。そう言った事例を脇に措いて、無理矢理合理的な解釈を行おうとしたのですが……うまくいったかどうか、自信はありません」
「いやいや、なかなかどうして、堂に入っとったで」
「そう言っていただけて安心しました。大した意義のない話に付き合わせてしまい、申し訳ありません」
さすがに話し疲れた様子だった。緋村は椅子に深くもたれかかり、わずかに顎を引く。こうした知識を披瀝する際、彼が異様なほど饒舌になることはままあったが、今回のは僕の知る限りでは「最長」だった。それこそ、一種の入神状態だったのではないか、と思われたほどだ。
──君にも巫覡の素質があるんじゃないか? クールダウンするようにしばしの間沈黙する姿を眺めつつ、胸の内でそう語りかけた。




