9:あまりにも華がなさすぎねえか?
コンサバトリーの手前で足を止めた緋村は、徐に黒い革手袋を取り出し、手に嵌める。彼がそんな物を持っているとは──そして携帯していたとは──思いもしなかった。
「どうしたんだ、それ」
「ああ、最近何かと事件に巻き込まれることが多かったからな。いちいちその場で調達するのも面倒だし、いっそのこと持ち歩くことにしたんだ」
だからと言って、そのチョイスはいかがなものか。どちらかと言うと、犯罪者サイドが使う品に思うのだが。
呆れる僕の視線の先で、彼はしゃがみ込み、ある物を拾い上げた。例のメッセージの書かれた、林檎である。そう言えば、死体を発見した際に衣歩さんが落としたきり、そのままになっていたか。
緋村はしばし、角度や向きを変えたりしてそれを眺め回していたが、これと言って発見はなかったようで、結局上着のポケットにしまった。
そんな彼の姿を見ているうちに、僕はあることを思い出す。
「手袋って言えば、瀬戸もしていたな。しかも、屋敷の中でも外していないようだった」
「確かに、玄関で会った時に俺も見たが……屋敷の中でもってのは?」
僕は公開式の混乱のさなか、彼の姿を目にしたことを伝える。その時、瀬戸はまだ手袋をしていたこと、そして手袋のサイズが合っていなかったことを。
「へえ、どうしてなんだろうな。素手を見せたくない理由でもあったのか、あるいは指紋を残したくなかったのか……」
「指紋を? でも、それなら手袋のサイズが合っていなかったのは何故なんだ? 指先が余るような大きな手袋をする必要なんて、ないだろう」
「俺に訊かれても困る。思い付きで口にしただけだからな。今の段階じゃ、断言できることの方が少ねえよ」
肩を竦めた彼は、再び歩き出す。
「いずれにせよ、やっぱりあいつは怪しい。半年もの間音信不通だったクセに、こんな孤島に建つ館にヒョッコリ現れたんだ。そして、その翌日に死体となって発見された。死んだ人間をこんな風に言うのは気が咎めなくもないが、これで裏がなかったら、嘘ってもんだろ」
同感だ。問題は、その「裏」がどのような形で事件と関係しているのか、だが。
「まあ、その辺りのことは、繭田さんが何か知ってそうだけどな」
言いながら扉を開け、ようやく中に入る。
彼はまず、瀬戸が座らされていたベンチの座板に顔を近付け、ジッと眇めていた。
「思ったとおり、犯人はここで瀬戸の首を切り落としたんだろう。ほら、見てみろよ。刃物が当たったような、小さな傷があるぜ」
彼はやけに嬉しそうに、小さな血溜まりの中を示す。見てみると、確かにそこには、数ミリほどの深さの傷があった。こんなわずかな痕跡、よく見付けたな。
「そして、切り取った瀬戸の首をどこかに隠すなり海に棄てるなりして処分した後で、牛の頭とすげ替えたわけか。けど、なんでそんな猟奇的な真似をしたんだろう? いったい、何のメリットがあるんだ?」
「わからねえ。しかし、わざわざ縫合糸を用意していたってことは、偶発的に見立てを行うことになったんじゃなく、初めからやるつもりでいたんだろう」
「となると、やっぱり昨日のあれも、犯人の仕業だったのかな? ほら、ペリュトンだっけ? あの時降って来た剥製も、同じ糸で繋ぎ合せてあったように思ったけど」
「その可能性は高いな」
あくまでも、断言はしないのか。
「見立てのモチーフとなった物に、共通点は?」
「架空の生き物ってことくらいしか思い当たらない」
「もしかして、ボルヘスの『幻獣辞典』の内容に擬えたんじゃないか? 少なくとも、ペリュトンのことが紹介されているんだろ?」
「ああ。そう言えば、ミノタウロスの項目もあったな。ただし、件は載ってない。八岐大蛇伝説なんてのは取り上げられているのに、日本の妖怪に関してはノータッチだ」
ならば、『幻獣辞典』はあまり関係ないのかも知れない。
「そっちは何か思い付かないか? こう言うのは、ミステリじゃ割と定番だろう。お前の得意分野なんじゃないのか?」
「得意かどうかはともかく……一応、考えがないでもないよ。──こう言った場合、大抵見立ては単なる目眩しでしかないことが多い。つまり、犯人の真の目的は他にあって、そこから目を逸らさせる為に猟奇的でインパクトのある演出をするわけだ」
「なるほど、ありがちな展開だな。それで?」
「もしかしたら、犯人にとって重要だったのは、死体の首を持ち去ること自体だったのかも知れない。つまり、ミステリで言うところの『顔のない死体』って奴だ。死体の首を持ち去ったり、顔を潰したりすることで、それが誰なのかを判別できなくさせるわけだな。……あるいは、別の誰かの死体だと誤認させると言うケースもある」
科学捜査の発達した現代では通用し難いトリックだが、今でもこれが成立しうる場合がある。今回の事件のように、閉鎖空間──ミステリ風に言うとクローズド・サークル──を舞台にしている作品だ。警察がすぐに介入できないような状況であれば、関係者たちの目を誤魔化すだけでいい。
「これは単に死体の身元を不明にすると言うだけではなく、その人物の死その物を偽装することにも繋がる。すなわち、本当は生きている人間を、殺されたように見せかけること。その中でも最もメジャーなのは、被害者だと思われていた人物が、実は犯人だったと言うパターンかな。自らの死を偽装してしまえば、鉄壁のアリバイを手にすることができる」
今回の事件で言うと、犯人は「首なし死体」となって発見された瀬戸自身であり、彼はまだ密かに生きていることになる。
「初めにも言ったとおり、見立てに関してはただのカムフラージュだと思う。瀬戸として発見される死体から、首が持ち去られていると言う不自然さを誤魔化す為に、神母坂さんの首に仔牛の体を縫い付けたり、ペリュトンを出現させたりしたんだろう」
であれば、死体の残りのパーツは、すでに犯人が処分してしまったのかも知れない。絶対に誰にも見付からないよう、海に沈めるなりして。
「ふむ……一応筋は通ってるな。素直に感心したよ。しかし、そうなると幾つか疑問が生じる」
無論、それくらいは僕も気付いていた。瀬戸が犯人だとすると、大きな謎が残ることになる。
「身代わりとなる死体をどうやって島に運び入れたのか。あの死体は本当は誰の物だったのか。首だけではなく両手をも持ち去ったのは何故なのか──ザッと挙げただけでも、クリアすべき課題だらけだ。
何より、『本物の瀬戸はどこに潜んでいるのか』と言う問題もある。自らの死を偽装しアリバイを手にした以上、彼の犯行はまだ終わっていないってことだろ? であれば、必然的に屋敷の中かその近辺に潜伏しているはずだが……それはいったいどこなのか。この設問に答えられない限り、瀬戸が犯人だと断じるのは難しい」
仰るとおり。そして、これだけ探したにもかかわらず何も見付けられなかったと言うことは、やはり死の偽装説は間違っており、犯人は生きている人間の中にいると考えるべきか。
もしくは、まだ僕たちが気付いていないだけで、屋敷内に人が隠れられる空間が存在するのか……。
「ひとまず、可能性の一つとして考慮させてもらおう。──ちなみに、仮に瀬戸が犯人だとして、動機は何だと思う?」
わからない。そもそも、瀬戸と神母坂さんに接点はあったのだろうか? 二人は昨日、初めて会った──いや、厳密に言えば、僕たちの知る限り顔を合わせてすらいないではないか。
身を潜める場所と犯行の動機。死の偽装説を考える場合、この二点が最大の謎となる。この話は一旦脇に措いておく方がよさそうだ。
──その後も、僕と緋村はコンサバトリーの中を歩き回り、犯行の痕跡が残されていないか探したのだが、特筆すべき物は発見できず。結局些細な傷痕を見付けたのみで、屋敷へと引き返した。
次に、標本室へ移動する。
中に入ると、緋村はまず、倒れた人骨のアダムとイヴの側にしゃがみ込んだ。が、大して見るべき物はなかったのか、すぐに立ち上がり、今度は横に置かれた書き割りを起こし、床の上に視線を這わせる。
「何か、探しているのか?」
「ああ。──イヤリングだよ。神母坂さんの死体は、右耳にしかイヤリングを付けていなかった。だから、どこかに落ちていやしないかと思ってな」
イヤリングが片方消えていたのか。最初に死体を見た時は混乱していたし、それ以降はあまり目に入らぬようにしていたので、よく覚えていない。が、緋村が言うのだからそうなのだろう。
「彼女がしていたのはピアスじゃなかったのか? どうしてイヤリングだとわかった?」
「だって、耳たぶに穴が空いていなかったじゃねえか」
「ああ……」別に不思議がるようなことでもなかったなと、なんとなく損をした気分になる。
緋村は首を失った成牛の体を横に退かした──その下から現れたのは、目当ての品ではなく、仔牛の首だった。犯人は、見立てに不要な剥製の一部を、まとめて放置していったのだ。
「見当たらねえな。もしかしたら、別の場所に落ちているのかも知れない」
「実際の殺害現場とか?」
「あるいは、ここまで運んでいる途中で耳から落ちたとも考えられるが……」
何にせよ、被害者二人の部屋は、改めて見ておく必要がありそうだ。
「犯人は、衣歩さんが神母坂さんを起こしに来ることを知っていて、あんなメッセージを残したのかな? 林檎を使ったのも、彼女に拾わせる為だったのかも」
「失楽園に擬えたってことか? なるほどチープな発想だが、あり得なくはないな。だとすると、お前がアダムの役ってことになるが……イヴに対してあまりにも華がなさすぎねえか?」
「悪かったな、役者不足で」
「いずれにせよ、衣歩さんが起こしに来ることくらい、誰にでも予測できたんじゃねえかな」
そう言えば、彼女も「ここに滞在する時はいつもそうしていた」と言っていたか。であれば、現在集まっている人間の大半が予想できたことになる。
「一つだけ確かなのは、それこそ犯人は悪魔みてえな野郎だってことか。論理的な思考を持っているのだとしても──いや、だからこそ──、ある種の狂気がなけりゃ、こんな事件を起こせるはずがない」
「悪魔……」
そのフレーズを繰り返した僕は、薬品室で見たあの絵のことを思い出す。




