6:私を裏切らないでくれたまえ
「ほう、それでは君は我々を疑うと言うのか。驚いたな。瀬戸くんはともかく、私たちが、家族同然である鮎子くんを殺すわけないだろう。ましてや、あんな死者の尊厳を踏み躙るような真似、誰がするものか」
「お言葉ですが、肉親を殺害することなど、昨今何も珍しくはありません。それにあの見立てに関しても、本当は何か合理的な意味があるのかも知れない」
「答えになっていないな。いったいどんな事情があれば、死体に剥製を縫い付けることになるんだ?」
「それはまだわかりません。が、剥製を用いた以上、犯人はそうした物がこの館にあると言うことを知っていたことになります。昨晩夕食の席でペリュトンの話になった際、軍司さんが仰っていたように。……そして、わざわざ縫合糸まで用意していたと言うことは、この殺人は計画的な犯行である可能性が高い。であれば、少なくともこの流浪園にある剥製の種類を知っている人間が、計画を立てたと考えるのが自然かと」
「だとしても、何も我々だけが知っていることではあるまい。あの時はああ言ったが、よくよく考えてみれば、榎園くんに剥製を売った業者や、彼の友人であれば、コレクションの内容を知り得たはずだ」
「しかし、その中で今回みなさんが流浪園に集まり、遺言書の公開式を行うことを把握していた人間は限られるでしょう。また、神母坂さんの遺体に施された見立てに関しても、見逃せない点があります。──みなさんは、件と言う妖怪をご存知ですか?」
知っていたのは軍司さんだけのようで、顔をしかめた彼は、「……なるほど、予言か」と呟く。
「そうです。──件と言うのは仔牛の体に人の顔を持つ妖怪で、牛から産まれるとされます。生後間もなく人語を話し、大きな凶事が起こることを告げた直後、そのまま死んでしまうそうです。
また、中には大病の流行を予言したのち、『自分の姿を描いた絵があれば難を逃れる』と告げるパターンもあり、このことから、件の絵は魔除けとして広まって行きました。この辺りは、アマビコやアマビエ、神社姫など、他の災禍を予言するタイプの妖怪と共通していますね。こうした凶兆として現れる妖怪は多くの場合、親切なことに、身を守る術をセットで教えてくれるのです。──少々脱線気味になりましたが、とにかく、件は予言をする。そして、神母坂さんには占い癖があると伺いました。犯人が見立てのモチーフに件を選んだのは、彼女のこうした癖や、巫病のことを知っていたからではないでしょうか?」
本当に彼の言うとおりであれば、犯人は死体に見立てを施すことを先に決めていた──あるいはそうせざるを得なくなった後で、そのモチーフを選んだと考えられるが。
「緋村さんの言いたいことはわかりました。しかし、それでは瀬戸さんの場合はどうなんでしょう? 彼は、おそらくミノタウロス──これくらいは僕でも知ってます──に見立てられていたと思うのですが、何か共通する要素があったと言うことですよね?」
東條さんは眼鏡のつるを弄りながら、重ねて尋ねる。
「それに、ミノタウロスって、確か迷路の中にいる怪物でしょう? だったら、死体を迷路の跡地に遺棄した方が、より見立てであることを強調できると思うんですけどね。あるいは、単に運ぶのが大変だったので近場で済ませた、と言う可能性もありますが……」
「ミノタウロスが閉じ込められているのは、迷路ではなく迷宮です。この二つはよく混同されることがありますが、その性質は全く異なる。道が枝分かれし入り組んだ構造になっている迷路に対し、迷宮は一本道です。また、前者には基本的にゴールがありますが、後者はそれがない──つまり出口はなく、最終的に辿り着くのは中心部になるわけです。──ちなみに、かつて丘の下にあったのは、迷宮の方でした」
「ああ、そうなんですね。どちらも同じ物だと思ってました。──ですが、ならば余計に、死体をミノタウロスに擬えるには、打って付けの場所なのでは?」
「これはあくまでも僕の推測ですが、犯人が丘の下に死体を運ばなかったのは、そうする必要がなかったからだと思います。つまり、労力に対して得られる物が見合わない為、手近な場所に遺棄したのでしょう。先ほど瀬戸くんの遺体を運ぶのを手伝った際実感しましたが、死体を運ぶのは、想像した以上に重労働でした。それこそ、東條さんの仰ったように『面倒』な行程です。
あるいは、コンサバトリーに死体を遺棄したのではなく、そもそもあそこが犯行現場だったのかも知れません。首や両手だけを切り取って持ち去る方が、遥かに楽ですからね」
「しかし、そうなると、死体を切断した時の痕跡が残るような……」
「瀬戸くんの死体が座らされていたベンチやその周辺に、それらしい物がありました。座板に小さいながらも血溜まりができていたのと、背もたれやベンチの下にも、わずかに血痕が付着していました」
死体を運び出す際、僕も緋村の言った物を目にしていた。東條さんも同様だったのか、「そう言えば……」と呟き声を漏らす。
「思うに、犯人は彼を殺害した後、死体の頭をベンチの座板に乗せ、木材を切るような要領で、首を切断したのでしょう。無論、出血が少なかったのは、完全に心臓が停止した後だったからです」
言葉で聞くと、より犯行の残虐性が際立つ。それを口にした緋村自身でさえ、さすがに顔をしかめていた。
コンサバトリーが犯行現場とは思ってもみなかったが、言われてみれば、別の場所からわざわざ死体を運び入れたと考えるよりもずっと自然な気がした。他の人も、この意見には納得せざるを得ない様子である。
「そして、もし本当に瀬戸くんはコンサバトリーで殺害されたのだとしたら、彼はどうしてそんな場所に──それも、おそらく真夜中に──いたのか。一人でお茶を楽しんでいたとは思えません。であれば、彼は誰かに呼び出され、そこへ向かったと考えるべきだ」
「つまり、こう言いたいんやな? 瀬戸くんを呼び出すことができた以上、犯人は彼の知らない第三者やのうて、我々の中の誰かである可能性が高い、と」
「そうです。どう言った手段を用いたにせよ、彼を呼び出すには密かに接触するか、彼の泊まっていた部屋に手紙を差し込むなどしなければなりません。これはどちらも、外部から潜入した第三者にできることとは、考え難い」
緋村が言い終えると、低く唸る声が聞こえた。軍司さんの物だ。
「……なるほど、君の言うことにも一理あるようだ。しかし、それでも我々の中に犯人がいるとは思えない。初めにも言ったとおり、鮎子くんを殺す理由のある者など、この中にいるはずがない」
「できることならば、僕もそう信じたいです。ただ、みなさんのことをよく知らないままでは、それは非常に難しい。ですので、よろしければみなさんのことを僕たちに教えてくださいませんか? そして十分にお話を伺った上で、最終的な判断を下したいのです」
──なるほど。胸の内で納得した僕は、思わず緋村の横顔を窺い見た。どうやら、彼は単にクローズドサークル物の「お約束」をしていたのではないらしい。自然に聴き込みができる展開へと持って行くのが、本当の目的だったのだ。抜け目がないなと感心すると同時に、少しだけ呆れたのも事実だった。
あれほど面倒ごとにかかずらうのを厭うていたクセに、彼はまたしても、謎を解こうとしている。
「……いいだろう。君たちの尋問を受けさせてもらおうじゃないか。ただし、信用が置けないのはお互い様だ。君たちの質問に応じるかわりに、こちらから訊かれたことには素直に答えてもらうぞ? 互いに身の潔白を証明し合うわけだ」
「もちろん、それで構いません。腹蔵なくお答えします」
「可愛げのない受け答えだな。──他の者もよいかね?」
軍神様の決定には逆らえぬのだろう。反対する者は誰もいなかった。
「決まりだな。──それと、私から一つ条件を付け足させてもらう。衣歩くんを尋問の対象から外すことだ。彼女にあんな悪逆無道な真似ができるはずがない。そうでなくても、姉のように慕っていた鮎子くんが亡くなったばかりなんだ。追い討ちをかけるような真似は絶対にしないでもらいたい」
「……わかりました。約束しましょう」
「賢明だな。くれぐれも、私を裏切らないでくれたまえ」
そんな真似、とてもする気にはなれなかった。少なくとも、僕は。




