5:あ、あ、あ、あ、あ……
その際、横目で軽く振り返ってみると、扉に近い場所に立った衣歩さんは青褪めた顔で、胸の上のペンダントを握り締めていた。彼女はすでに、ある種の予感めいたものを抱いていたのかも知れない。
そして、それは僕たちにも伝播した。
不吉な感覚が恐るべき速度で増幅し、やがて絶頂へと達しようとした時。織部さんは意を決したように、書き割りを両手で掴み、真横へと退けた──
直後、断末魔の如き叫び声が室内に響く。
尻餅を搗いた織部さんが、震えの為に指し示す場所の定まらない指の先を、必死にその場所へ向ける。
書き割りの下にあったのは、人骨だけではなかった。一頭の仔牛の剥製が横たわっていたのだが、その首の先には──
人の頭が縫い付けられていた。
幽霊画のように長い黒髪を振り乱した、不気味な女の頭が、獣の体から生えているではないか。
「あ、あ、あ、あ、あ……」
先ほどのミノタウロスとは真逆──牛身人頭の幻獣の骸を目の当たりにし、東條さんが必死に何かを言おうとしていた。が、どうにも歯の根が噛み合わないらしく、意味のない音を繰り返すばかりだ。
ほどなく、彼の言いたかったであろう名を、衣歩さんが口にする。
「鮎子、さん……?」
そう。
無理矢理剥製と縫合されたことにより酷く歪んでいたものの、その顔は、確かに神母坂鮎子の物だった。
第二の殺人は、すでに成されていたのだ。
※
彼女の悲鳴を聞いた緋村たちが展示室に駆け付けたのは、それから間もなくのことだった。彼らが戸口に現れるのとほぼ同時に、衣歩さんが気を失い倒れそうになる。その華奢な体が床に落ちるすんでのところで、東條さんが手にしていた古武器──大振りなナイフのような物だった──を放り出し、衣歩さんを抱き止めた。
そこから先は、瀬戸の死体を発見した直後と同じことが繰り返される。すなわち、鮎子さんの遺体を図書室へと安置し、今後の方針を話し合うべく再び食堂に集まったのだ。
しかし、今回は以前とは座の空気が全く違っていた。卒倒してしまった衣歩さんと、彼女の部屋に付き添っている幸恵さんと織部さん、それから繭田さんがいない為、単純に人が少ないのもあるのだろう。が、それ以上に、やはり彼らにとっては身内の死──それも、あのような変わり果てた姿で発見されたと言う事実──が、相当なダメージとなって堪えているようだ。
そして、程度は違えども、それは僕にとっても同様である。
神母坂さんとは昨日初めて会った程度の間柄だが、それでも瀬戸に比べれば、交流の機会は多かった。彼女の落ち着いた声音をもう二度と聞くことができないと思うと、酷くやるせない気持ちになる。
彼女は結局最後まで巫病を克服できぬまま、何者かの手によって、惨殺された。
「改めて、今後の話をしなければならなくなった」重々しい沈黙を破ったのは、前回同様軍司さんだ。「……しかし、その前に、みなに尋ねておきたいことがある。自分が犯人だと、白状する者はいないか?」
椅子に深くもたれ首を折った姿勢のまま、軍司さんは大きな目だけを上げ、楕円形のテーブルを見渡す。まるで昨晩の再現のようだ。
もっとも、単なる悪戯にすぎなかった──と目されていた──ペリュトンの一件とは、わけが違う。酸鼻を極める猟奇殺人の犯人はいないかと、問いかけているのだ。
そして当然、名乗り出る者はなかった。
「……わかった。諸君らを信じるとしよう。犯人はおそらく外部から侵入した異常者だ。気の狂った、許しがたい凶悪犯がこの島に潜んでいる。そして、何度も言うように、我々は明日の午後まで奴から身を守る術を講じなければならない。どんなことでもいい。何か意見がある者は教えてくれ」
「少し気になったことがあるのですか、いいですか?」
この中でおそらくただ一人、平時と何ら変わらぬ様子の緋村が、静かに口を開いた。
「ああ、何かね?」
「素人目に見ても、二人の遺体は死後間もなく、と言った様子ではありませんでした。とは言え、朝っぱらからあんな大胆な犯行に及ぶとも考えられませんから、事件があったのは深夜から未明にかけてでしょう。ちょうど瀬戸くんの両手首の断面も、血が固まってはいたものの、まだ割と真新しかったですし」
そんなところ、よく観察する気になれたな。僕なんて、思い出しただけで胃がムカムカすると言うのに。
「そこで、軍司さんと楡さんにお訊きしたいのですが、彼らの死亡推定時刻はいつ頃か、わかりませんか?」
指名された両先生は、一様に眉皺を刻む。
「難しい質問だな。詳しく検死したわけではないし、私も楡くんも専門外だ。
一応、瀬戸くんの遺体は、肩の辺りまで死後硬直が見られたことから、君の見立てどおりだと言えるだろう。しかし、首しか見付かっていない鮎子くんに関しては、顎関節が硬直していたものの、どこまで進行しているのか判然としない。確実に言えるのは、彼らは『死後間もなくではないが、そう時間は経ってはいない』と言うことくらいか」
人間の体は死後二、三時間ほどが経過すると、各関節が順番に硬直し、動かなくなる。これを死後硬直と呼び、一番初めに顎の関節が硬直したあとは、首から肩へと、体の上から下へ向かって進行する。死後硬直のピークは約十二時間後であり、その状態が丸一日ほど持続したのち、死後三十から三十六時間ほどで、発現した場所から順に、緩解を始めるそうだ。
瀬戸の死体は少なくとも肩の辺りで死後硬直が進行していたようだから、死後四、五時間ほどと考えられるわけか。
「もっとも、犯行時刻などわかったところで、大した意味はないと思うがね」
「同感ですな。こんな島の中じゃアリバイも何もあったもんやない。そもそも、犯人は外から来た人間やねんから」
「本当にそうでしょうか? 僕にはどうも、我々の中に犯人がいるように思えてなりません」
彼は臆面もなく断言した。正直なところ、僕も同意見だった。僕たちの知らない間に何者かが島に忍び込んでいるなど、やはりリアリティに欠ける気がする。
とは言え、この状況、この流れの中でいきなりそれを口にするのは、いかがなものか。案の定、緋村の発言は顰蹙を買った。




