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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第一章:珍奇の園
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15:ホムンクルス

「ま、『また、正式な手続きを完了するまでの間に瀬戸藍児が死亡、あるいは相続を拒否した場合、先に述べたとおり、榎園衣歩が全ての遺産を継ぐものとする。

 最後に。衣歩、誕生日おめでとう。そして、約束を違えるような真似をしてしまい、申し訳ない。どうか、この不出来な養父を許してくれ。二〇一八年、六月十日』──ゆ、遺言は、以上となります」

 そう言うと、織部さんは恐る恐ると言った風に蒼白な(おもて)を上げた。

「貸せ」

 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった軍司さんは、問答無用で遺書を奪い取る。そして大きな目玉を動かし、その内容を自ら改めた。

 が、少しもしないうちに、彼は乱暴にそれを使用人に突き返した。

「……何のつもりだ」酷く掠れた声──それは至って静かな声音にもかかわらず、やけに大きく響いた。「繭田。これはいったい、何のつもりなんだ?」

 軍神が問いかける。異様な緊張感が座を支配していた。少しでも答え方を間違えれば、取り返しの付かないことになる。それは火を見るよりも明らかだった。

 大きな影に射竦められ、管理人は狼狽を露わにする。

「な、な、何のつもりと言われましても──わっ、私はただ、遺書を管理していただけで、どんな内容かなんて知りませんでした!」

「だったら、何故こんな巫山戯たことが書いてあるんだ? え? あの小僧と榎園くんに『遺伝的な繋がりがある』だと? 馬鹿馬鹿しい! そんなこと、絶対にあり得ないんだよ!」

 怒りと侮蔑を綯い交ぜにした表情を赤黒い顔に浮かべ、声を荒げる。不動明王もかくやと言った、スサマジイ形相だった。

「まさか、隠し子とでも言うつもりじゃないだろうな? だとしたら、見当違いにもほどがある。いいか、榎園くんにそんな物は作れなかったのさ。何故なら──彼は()()()()だった! だからこそ、亡くなった二人の息子たちはどちらも、()()()()()()()()()()()()()だったんだ! それなのに、『遺伝的な繋がりを持つ実の息子』だなんて──悪巫山戯も大概にしろ! 死者への冒瀆もいいところだ! 恥を知れこの盆暗が!」

 面罵されている間、繭田さんは俯いていた。降り注ぐ非難の雨を浴びながら、彼は額の古傷に指をやる。

 が、ほどなくして。再び彼が顔を上げた時、そこには実に奇妙な表情が浮かんでいた。まるでベソっかきの子供が泣くのを我慢しているような顔付き──それでいて、必死でお追従笑いを拵えようとしている。

「そ、そ、それくらい、わた、私だって存じ上げております! ご、ご持病の為に、社長がどれほど苦労なさって来たのか、そして、先生がその治療に尽力されて来たことも! で、ですが、それでも瀬戸さんが──藍児さんが社長の息子だと言うのは、紛れもない事実なのです!」

「はっ、何を根拠にそんな戯言を」

「社長から打ち明けられたんですよ! 二人のお子さんの他にもう一人、体外授精によって儲けた実の子供がいて、昔のツテに預けてあると! 藍児さんを流浪園に招んでほしいと頼まれた私は、彼が育った家を訪れ、親御さんにも確認を取りました!」

「だから何だと言うんだ! どの道遺伝的な繋がりだなんて、あるはずが」

「精巣精子採取術」

「なに?」

「社長は精巣から直接精子を取り出す方法で、藍児さんを授かったのです!」

「馬鹿な」その瞬間、軍司さんの顔に驚愕の色が浮かぶ。どのような治療法なのかはわからないが、それほど予想外の物だったのだろう。

 二の句を継ぐ代わりに彼は振り返り、奥の壁にかけられた肖像画を睨み付けた。いったいどのような感情が渦巻いているのか、その胸中を察するのは困難であった。

 そうしている間にも、繭田さんは何かタガが外れたように喋り続けていた。相変わらず、古傷に触れながら。

「しかし、奥様や二人のご子息への遠慮──そして何より、先生に無断で治療を受けたことへの罪悪感から、社長は藍児さんの存在を隠し、当時子供のいなかった瀬戸さんご夫婦に託されたのです。

 ……結局、最後まで、社長が藍児さんとお会いになることはありませんでした。養育費を陰ながら援助されるのみで、とうとう成長されたお姿を一目見ることもなさらぬまま、ご病気によって倒れてしまわれた。社長はこのことを、痛く後悔しておられました。罪の意識に苛まれていたのでしょう。本当の父子として過ごすことが、できなかったと。──だからこそ、ご遺産やこのお屋敷を譲り渡すことで、せめてもの罪滅ぼしをとお考えになったのです!」

 話しているうちに感極まったのか、次第に声が震え始めた──かと思うと、堪える素ぶりもなく声を上げて嗚咽し始めたではないか。

 いったい、何なんだこの状況は。短時間のうちに色々なことが起きすぎて、思考が追い付かない。

 僕を含め、その場にいた全ての人間が困惑していたのではあるまいか。大の大人が幼児のように泣きじゃくる姿は、到底正視に堪える物ではなく、僕は目を逸らした。

「……言いたいことはそれだけか?」

 やけに気の抜けた声が聞こえた。相手の情けなさに呆れてしまったのかと思い、再び彼の方に目をやったが、どうやら違ったらしい。

 軍司さんの顔からは、完全に表情が消えていた。それが激しい忿怒(いかり)の為だと言うことは、直感的に理解できた。

 繭田さんはウンともスンとも答えず、ひたすらに咽び泣く。

 ──直後、涙と鼻水に塗れたその顔を、容赦のない()()()()が見舞った。

 軍司さんが、彼の顔面を蹴飛ばしたのだ──そう思った時には、繭田さんは椅子ごと床に投げ出され、呻き声を上げながらその場でのたうっていた。口と鼻を抑えた両手の指の間から、血がダラダラと浸み出す。

 が、その程度では軍神様の怒りは収まらなかったらしい。無言のまま彼に歩み寄ると、馬乗りになって拳を振り下ろし始めたではないか。一言も発さず、無心に殴り続ける背中から、怖ろしいほどの怒気が、黒い陽炎となって放たれているようだった。

「せ──先生! いけません!」

 やっと事態を呑み込めたのか、慌てて立ち上がった東條さんが、果敢にも彼を宥めにかかる。それに続いて織部さんと緋村までもが、軍司さんを止める為に動いた。彼らはそれぞれ軍神の体や腕にしがみ付き、東條さんに加勢する。

 遅れて僕も腰を浮かせたのだが、組み付く隙がなく、結局何もできなかった。

「離せ!」

「先生、落ち着いてください! そんなことしたって何にもなりませんって!」

「黙れ若造が! こいつは! こいつは()()!」

 三人は苦労しながらも、どうにか軍司さんを引き剥がすことに成功した。その隙に、彼の下から脱け出した繭田さんが、顔を庇いながら、半狂乱になって逃げて行く。

 エントランスホールを駆け抜けた彼は、直後閉じた扉に激突した。思い切りぶつけた右肩を抑え、暫時その場で悶える。

「繭田!」

 咆哮した軍神は、羽交い締めをしていた東條さんに肘鉄を食らわせ、拘束が緩んだ隙に大股で進撃を開始した。

 振り返った繭田さんは迫り来るその姿を目にし、断末魔めいた悲鳴を上げる。大急ぎで扉を開くと、靴を履くことやコートを着込むことなど考えも寄らないとばかりに、一目散に、外へ飛び出してしまった。

 夜気に満ちた庭へ消えた彼を、軍司さんは尚も追いかけようとしたが、織部さんがその前に回り込み、必死に押し留める。大広間では、鼻を抑え蹲る東條さんへ、その傍に駆け寄った衣歩さんと幸恵さんが、心配そうに声をかけていた。また、神母坂さんは椅子の上から動けなかったのか、白い手で口許を覆ったまま、青褪めた顔で凍り付いているのが見えた。

 それは僕にしても似たようなもので、エントランスまで付いて来たものの、結局何の役にも立てず、ただ傍観していることしかできなかった。

 中途半端な位置に突っ立ったまま、ふと頭上を見上げる。

 すると、二階の踊り場に、ある人物の姿を発見した。

 渦中の青年、瀬戸藍児だ。

「…………」

 表情のない中性的な顔が、頭上からこちらを見下ろしていた。手摺に乗せられたシャツの袖の先には、例の白い手袋が。やはり、あれは防寒用などではなく、室内でも着用する必要のある物なのか。そう思ってしばし見上げていると、奇妙なことに気付く。

 手袋のサイズが合っていないらしく、指先がやけに()()()()()のだ。

 どうして、ぶかぶかの手袋なんかを──それも屋内で──着用しているんだ?

 そんな疑問が頭に浮かんだ時。

 不意に、彼と目が合った。

 直後、青年の顔に、()()()()が浮かぶ。まるで堪え切れないとばかりに、彼は狡猾そうに唇の端を歪め、両目を三日月型にしならせた。

 予想外の表情──井岡から聞かされていた彼のイメージとはかけ離れた物だった──を目の当たりにし、僕は戸惑う。その隙に、瀬戸は軽やかに身を翻し、すぐさま廊下の方へと引っ込んでしまった。

 ──彼は()()()()()()であり、城の宝を奪おうとする。

 コンサバトリーで聞いた予言者の声が耳の奥で蘇り、全身の毛が粟立つ。

 もしも「ホムンクルス」が瀬戸を、「黒い死」がペリュトンの剥製を指しているのであれば、彼女の予言は順当に的中していると言える。だとすれば、この後「さらなる災禍(わざわい)が降りかかる」ことになるはずだが……。

 不吉な予感を増長させるが如く、開け放たれた扉から冷気が吹き込み、僕は体を慄わせた。

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