12:朱い太陽
「それって、鮎子さんの予言も同じなの? 自分で信じ込んでるから、いつも堂々と不思議なことを言えるとか?」
それまで、借りて来た猫のように話を聴いているだけだった衣歩さんが、小首を傾げながら尋ねる。そう言えば、彼女には予言癖なる物があるのだったか。
実にストレートなこの問いに、神母坂さんは意外そうな顔でカップを置き、
「衣歩ちゃん、私のことアブナイ人だと思ってる?」
「そう言うわけじゃないけど……ちょっと変わってるとは思うかな」
「同じじゃない。──私のは、本当にただの体質と言うか……病気みたいなものだから」
「ふうん……でも、その割には治す気なさそうだよね」
「治療できる物じゃないからね。タイミングを逃したら、巫病は一生治らない」
「フビョウって?」
「シャーマン特有の精神的な病気のことですね。主に思春期に発症し、シャーマンとして成熟する過程で克服されるのだとか」
例により、答えたのは緋村だ。
「よくご存知ですね。──先ほど私の祖母がユタをしていたと言いましたが、私にもその素養が受け継がれていたんです。きっと、そう言う家系だったんでしょう。母も同じだったと聞きました。
私の場合、中学に上がったくらいから、おかしな物が視えたり、聞こえないはずの声が聞こえたりし始めました。それくらいならまだいい方で、突然自分でもわけのわからない言葉を叫び出したり、酷い場合は何時間も体の制御が効かなくなって、自傷行為を繰り返したりすることもありました。これはカミダーリィと呼ばれる一種のトランス状態なのですが、傍目からすれば、気が狂ってしまったのと変わらないですね」
世間話でもするような口調で、凄絶な体験が語られる。どこまでが事実なのか、こうした方面に明るくないので判別できないが、静かな語り口のせいか、かえってリアリティがあった。
「そんな話、初めて聞いた……」
衣歩さんも初耳だったようだ。
「まあ、言う機会もなかったからね。私も、お客様を前にして昔の話をするなんて、思ってもみなかった。──緋村さんはご存知かも知れませんが、ユタの巫病を治すには、ユタになるしかないと言われています。神様から与えられた力として受け入れるか、さもなくば死ぬまで狂い続けるか……。理不尽な話ですね」
まさしく生死をわかちかねない選択を、年端もいかぬ少年少女に迫るのだ。つまり、実際のところ、一度神に選ばれてしまった子供は、それを受け入れるより他ないのである。
しかし、彼女は別だった。
「結局、私は母の意向で、そちらの道には進めませんでした。ですので、今ではそこまで酷いカミダーリィはなくなったんですけど、それでも時折奇妙な夢を見たり、何か気配を感じたりすることがあります。ちょうど昨晩も、怖ろしいお告げが夢に現れて……」
「それは、いったいどのような?」
水を向けられ、予言者はある言葉を口にした。曰く、
──招かれざる客が城に入り込む。彼はホムンクルスであり、城の宝を奪おうとする。そして、頭上より黒い死が舞い降り、さらなる災禍が降りかかるだろう、と。
また、「カインの描いた絵」を探し出し、飾ることができれば、最後の悲劇は免れる──とも。
予言など、荒唐無稽なエセオカルトの代表格だ。そう思ってはいたものの、直前に聞かされた「体験談」が耳に残っているせいか、彼女のお告げを一笑に付すことはできなかった。我ながら単純なもので、スッカリ神秘的な力の片鱗に触れたような気分になってしまったのだ。
無論、それでもそんな予言が的中するなどとは、到底思えなかったが……。
「お前、ホムンクルスだったのか?」
出し抜けに、いつもの片頬だけを歪める笑み浮かべ、緋村が言って寄越す。
「誰が『招かれざる客』だ。ちゃんと人間の両親から産まれてるよ。……まあ、確かに僕たちのことを暗示している可能性もあるだろうけど」
「ご安心ください。お二人からは、嫌な感じはしませんから。……ですが、胸騒ぎがするのは確かです。もしかしたら、もうすでに何かが、起こり始めているのではないかと……」
再び意味深長なセリフが飛び出した──途端に、奇妙な変化が、彼女の白い面の中に表れる。
突如として大きな黒い瞳を見開いたかと思うと、驚愕したような表情で、僕と緋村の間を見つめたのだ。
その頃には、天井や壁のガラスを透過した鮮烈な西陽が、コンサバトリーの中に差し込んでいた。その逆光と黒尽くめの服装の為に彼女の姿は半ばほど影法師と化していたのだが、それでも何かを目にして凍り付いているのが、ハッキリとわかった。
驚いた僕たちは、反射的に背後を振り返る。
しかし、その先には何もない──入って来た時と変わらない、閉じた扉があるだけだ。
いったい、どうしたのだろう? 神母坂さんには、そこに何かが可視えているとでも言うのか?
「鮎子さん……?」戸惑ったように、衣歩さんが声をかける。
しかし、もう一人の美女は応じない。
毒々しい夕焼けを背後から浴び、ただひたすら虚空を見つめ続けていた。まるで、金縛りにでも遭ったかのように。
かと思うと、影法師の唇が、幽かに震え──
「来る」
確かに、そう聞こえた。
しかし、何が「来る」と言うのか。
彼女の方に向き直り、尋ねようとした矢先、それは起きた。
頭上から、ドサリと言う鈍い音が聞こえたのだ。どうやら、コンサバトリーの屋根に何かがぶつかったらしい。
見上げると、ちょうど朱色に染まった屋根の上から、何やら黒い物体が地面へ滑り落ちて行くところだった。
「鮎子さん!」
突如、衣歩さんが叫び声を上げる。ベンチに座った神母坂さんはいつの間にか目を瞑り、グッタリと背もたれに身を預けていた。気を失っているのだろう。肌の白さや整った顔貌も相俟って、精巧に作られた人形のように見えた。
──あるいは、美しい死体か。
何が起きているのか全く見当も付かぬまま、僕はそんなことを考えていた。
すると、椅子を蹴るようにして緋村が立ち上がり、足早にドアへと向かう。そこでようやく我に返った僕は、反射的にそのあとを追いかけた。
表に出ると、それはすぐに見付けることができた。渡り廊下のすぐ外側に、ドス黒い異形の存在が横たわっていたのだ。
僕と緋村はスリッパのまま裏庭に下り立ち、その傍らへと歩み寄る。
──それは、二つの生き物が融合した混成動物だった。首から上は立派な角を持つ雄鹿なのだが、その下に生えた体は、濃い茶色の羽毛に覆われた猛禽類──おそらくは鷲──の物だ。角や鉤爪は落下の衝撃の為か、ところどころ欠けてしまっており、鹿の口は絶叫するかの如く大きく開かれたまま、永遠に閉じようとしない。
虚ろな目は黒々と淀んでおり、ヘドロのように濁っていた。
そう。
これは、死骸。
僕たちの目の前に、最初の幻獣の骸が現れた。
その醜怪な姿を目にした途端、現実感がグラリと揺らぐのを感じた。本来、この世界には存在し得ないはずの生物の死骸が、何かの間違いで漂着したのではないか──そしてそれは、この先起こる災いの前触れであり、彼女の予言は的中してしまうのではないか。そんなあり得ない考えが、瞬時に頭をよぎる。
──僕の妄想を打ち破ったのは、緋村の無機的な声だった。
「……どうやら、剥製みてえだな」
「剥製?」
鸚鵡返しをしてから、改めてそこに目を向ける。確かに、雄鹿の首も猛禽類の体も剥製であるらしく、黒い糸でその二つを縫い合わせているのがわかった。おそらく、屋敷の二階に飾られていた物を利用したのだろう。
しかし、いったい誰が何の目的で、こんな物を拵えたんだ?
「あそこから落とした──いや、コンサバトリー目がけて放り投げたんだろう。ほら、窓が開いてる」
緋村の言葉のとおり、館の二階の窓の一つが、開け放たれたままになっていた。どうやら、剥製をスローイングした人物は、窓を閉める暇もなく、大急ぎで立ち去ったらしい。
そして、必然的にその何者かは、現在館の中にいる人間の誰か、と言うことになる。
「でも、誰がこんな意味不明な悪戯をしたんだ? それに、どうして鹿と鷲を縫い付けたりなんか……」
「さあな。しかし、こいつが何を表しているのかは、俺にもわかる」
死んだ幻獣の姿をしげしげと見下ろしながら、彼はこう続けた。
「おそらくこれは──ペリュトンのつもりなんだろう」
その耳慣れない言葉は秘密めいた呪文のように、しばし頭の中で揺蕩う。
こうしている間にも恐ろしい速度で陽は傾いて行く。まるで、夕陽が罪人を追いかけて、地上に降り立とうとしているようだ。
僕は自然と、ブレイクの絵に描かれていた光景を──逃げ出したカインを追いかける、不気味な朱い太陽を──思い出していた。




