11:執念は、時に理屈を凌駕する
「先ほどの原っぱに迷宮があったことは、すでに聞いていらっしゃるんですね? ……そう、楡先生から。──あそこにあった迷宮は、少し変わった経緯で作られたんですよ。
なんでも、誉歴さんがこの島を買い取ったのは、今から二十年ほど前──奥様が亡くなった直後だそうです。そしてその際、奥様を哀悼する目的で、館を建てると共に、迷宮も一緒に作らせたのだとか。落雷の影響で崩れてしまいましたが、迷宮の中心には、立派な慰霊碑も建っていました」
確かに、変わってると言うか、意外な理由である。そもそも、迷宮を作ることのどこが、哀悼に繋がるのか。そう尋ねると、さらに突飛な答えが寄越された。
「おそらく、私の祖母のせいでしょう。私の祖母はユタと言う、沖縄の民間的な霊媒師をしていました。そして、誉歴さんは生前何度か祖母の元をお訪ねになり、託宣を伺うことがあったんです。実を言うと、私をこの館に招いてくださるようになったのも、祖母に紹介されたことがキッカケでした。
奥様が亡くなって間もなく、祖母の家に誉歴さんがお見えになったそうです。その際、祖母はこんなお告げを口にしたと聞きました。『誰も人のいない島を買い取り、そこに館と迷宮を拵えなさい。そうしなければ、奥方の魂を慰めることはできない』と」
とんでもない託宣もあったものである。教えてもらっておいてなんだが、正直なところ、かなりキナ臭い話だと感じた。普通、そんなことを言われても、実行に移そうとは思わないだろう。
しかし、誉歴氏は巫女の言葉に従ったのだ。
「当初、ここを別荘として使う予定はなかったそうです。だから、電話や無線と言った外との連絡手段は一切設置されていません。無人島ですから水道も通っていませんし、電気に関しても、非常時用のディーゼル発電機で賄われています。……あくまでも、このお屋敷は奥様の魂が安らげるよう、祈りを捧げる為の場所だったんです」
先ほど船の上で抱いた疑問の答えを、ようやく得ることができた。金持ちの道楽などではなく、もっと切実な動機があったのだ。
「それなのに、落雷のあとは迷路を修復せずに、生垣を切り払ってしまわれたのですね」
未だに紅茶に口を付けるのを躊躇っていた緋村が、不思議そうに言う。ふうふうと執拗に息を吹きかけていたが、結局またカップを置いた。
「それも祖母の指示でした。落雷のあったあとも、誉歴さんは私の祖母に託宣を伺ったそうで……祖母によれば、『薔薇の樹を素材にしたのがよくなかった』ようです。そして、『このままではよくない気が迷宮の中に留まってしまう。いっそのこと壊してしまいなさい』と告げたのだとか……」
その結果が、あの寒々しい荒野と、慰霊碑の残骸なのか。完全に巫女の言いなりだ。
「誉歴さんは、お祖母様に全幅の信頼を寄せておられたのですね?」
「そのようです。流浪園以外にも、祖母のお告げに従って本邸の家具の配置を変えたり、金庫の暗証番号を設定し直したりもしていたそうですから。──でしょ?」
隣りに話を振る。尋ねられた衣歩さんは、オズオズと頷いた。
「今の番号のままだと、『いつか必ず泥棒に入られる』って言われたそうです。どう言う理屈でそうなるのか、私にはわかりませんけど……」
養女は養父の盲信ぶりに、内心呆れていたのかも知れない。家具のレイアウト程度ならまだしも、家の金庫の暗証番号まで託宣どおりに変更していては、そう思われても仕方あるまい。
「ところで、お二人はウィンチェスター・ミステリ・ハウスのお話をご存知ですか?」
急に話が飛ぶなと思いつつ、頷き返す。以前、緋村から借りて読んだ荒俣宏先生の著書で紹介されていた為、知っていた。
「カリフォルニア州サンノゼに建つ、世界一ミステリアスな邸宅のことですね。なるほど、言われてみればミステリ・ハウスと似ている気がします」
確かに、「荒唐無稽なお告げを盲信し、館を建てた」と言う点は、重なる部分がある。
ただし、その規模も、お告げのあり得なさも、ミステリ・ハウスの方が遥かに上を行っているのだが。
三十年間にも亘り増築を続けた結果、ミステリ・ハウスは複雑怪奇な混成動物の如き大邸宅と化した。部屋数は悠に一六〇を超え、あまりにも広く入り組んでいる為、地図がなければ、まともに中を歩けないほど。至るところに超芸術トマソン──不動産に付随した無駄な物を指す言葉。語源はかつて巨人軍に在籍していた助っ人外国人選手の名前──が溢れており、行き止まりの階段や壁に続くドアなどは、その一例に過ぎない。
主であるサラ・ウィンチェスター夫人の没後も屋敷は残り、一九七四年に州の史蹟に指定される。また、一九〇三年には時の大統領、セオドア・ローズヴェルトの訪問を受けたこともあったそうな。
現在も邸内を探索するツアーが組まれるなど、ウィンチェスター邸は最もミステリアスな屋敷として、世界にその名を轟かせている。
「あちらは巫女ではなく、夫人自身が霊と交信し、お抱えの大工に指示を下していたそうです。事実は小説より奇なりと言いますか、もの凄い妄信ぶりですね……」
そもそも、夫人がサンノゼへ引っ越すキッカケからして、非常にオカルティックな物だった。
時は十九世紀末のアメリカ。心霊ブームの真っ只中、最愛の夫と娘を喪った彼女は、ボストンにてある霊媒師から警告を受ける。曰く、「西海岸へ行って、豪華で美しい家を建てなさい──そして、その家の建築を決して止めてはならない」「このお告げに従わなければ、あなたは呪いによって命を落とすだろう」と。ウィンチェスター家は元々ライフル銃の販売で財を成したのだが、霊媒師は彼女に、「あなたたちの売った銃によって大勢の人々が亡くなった。彼らへの“償い”として、あなたは家を建て続ける必要がある」と告げたのだ。
いったいその行為のどこが償いになるのかは不明だが、とにかく夫人はその託宣を盲信じ、莫大な財産を館の建築へと費やした。そして三十年間毎日休むことなく、霊と交信し、大工に指示を出し続けたのである。
「ここまでいくと、さすがにやりすぎです。普通はお告げを受けた時点で怪しむべきですし、あるいは、そもそも呪いなどあり得ないと、一蹴するものでしょう。……ただ、私にはウィンチェスター夫人のような、盲信に取り憑かれてしまう人の気持ちも、少なからず理解できるんです。他人からしたらどんなに異常なことだとしても、一度そう思い込んでしまったら、容易にはやめられない。芸術や宗教、それに恋愛だって同じでしょう? 言ってみれば、人は常に何かを信仰しているのです。……そして、そう言った盲信──すなわち執念は、時に理屈を凌駕する」
やけに印象深い言葉を残した彼女は、実に優雅な所作で、紅茶を唇へと運ぶ。それこそ巫女の御託宣を授かったかのような不思議な気分で、僕はしばし、その艶姿を見つめていた。