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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第一章:珍奇の園
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8:逃げずにやって来たか

「井岡とお会いになることは、どなたかに話されましたか?」

「ああ。ちょうど今日、流浪園に来ている人間には教えたよ。今回の打ち合わせも兼ねて、集まる機会があってね。その時『実はこんなことがあって』と報告したんだ」

「それは、どの程度まで?」

「ほぼ全てだな。彼女が芸術大学の学生であることや、待ち合わせした場所と時間──それから、どうやら衣歩くんの金縛りのことを知っているらしい、と言った風に」

「その際、みなさんはどう言った反応をされましたか?」

「当然だが、驚いていたよ。それと意外なことに、()()()()()()()()と言う者が、三人もいた」

 聞き捨てならない言葉が飛び出す。緋村も片眉を上げ、それは誰なのか訊き返した。

 僕は井岡と面識のある人物がいたのかと身を乗り出したのだが、そうではなかった。

「東條くんと鮎子くん、それに衣歩くんだ。三人が井岡さんを知ったのは、みな同じ理由だった。井岡さんは芸大の学生として、とても優秀なようだな。なんでも学内で個展が開かれ、その様子が雑誌に取り上げられていたそうじゃないか。東條くんたちはその特集を読んでいて、彼女の名前と顔を知っていたらしい」

「三人ともが、ですか?」

「そうだ。奇妙に感じるかも知れないが、別におかしなことじゃない。衣歩くんと鮎子くんは、以前東條くんの仕事場に遊び行った際、一緒にその雑誌を読んだそうだ」

「東條さんと言う方は、芸術雑誌を購読されているんですね」

「ああ、彼の場合仕事の一環でもあるんだろう。東條くんは画商でね。梅田でビルのワンフロアを借りて、オフィスとちょっとした画廊を持っているんだが、そこに雑誌が置いてあったわけだ。気になるようなら、後で彼らにも話を聴いてみるといい」

「そうさせていただきます」

 簡潔に答え、緋村はわずかな間黙考する。

 これで榎園衣歩さんが井岡のことを知っていた理由について、一応判明したことになる。が、しかし、雑誌の記事を読んで存在を認知しただけの相手から、逃げる必要があるとは思えない。彼女は本当は別の理由からも井岡を知っており、そちらに関しては親しい人間にも秘匿しているのではあるまいか。

 つまり、衣歩さんはすでに瀬戸と面識を持っており、そのこと自体を隠そうとしているのでは?──まだ会いもしないうちから、彼女への疑念が強まっていく。

 考察を打ち切ったらしい緋村は、一転して事件とは関係のなさそうな問いを発した。

「軍司さんは、現在は大阪──確か高槻市内にお住まいだとか」

「ああ、数年前に売家に出されていたのを買い取ったんだ。生家は誰も住む者がおらず売り払ってしまったよ」

「事件当時、軍司さんは移動中だったことと思いますが、具体的にはどの辺りにいらしたのでしょう?」

 事件が起きたのは、一週間前の十六時過ぎ頃。二人が待ち合わせをしていた時間は十六時半とのことだから、犯人は憎たらしいほど絶妙なタイミングで、犯行に及んだことになる。

「今度はアリバイ調べと言うわけか。まるで警察の取り調べだな。確か、心斎橋筋商店街を目指して歩いていたたところだったかな。できる限り人混みを避ける為に、御堂筋沿いから向かったんだが」

 つまり、ハッキリとしたアリバイはないことになる。井岡が怪我を負わされた場所は、心斎橋駅付近の交差点であり、彼女を車道に突き飛ばしてから急いで商店街へ向かえば、証言どおりの時間にカフェに入ることは可能なはずだ。待ち合わせの場所を指定したのは軍司さんだそうだが、犯行に必要な時間を計算した上でそのカフェを選んだのかも知れない。

 言い条、軍司さんの身長や年齢は監視カメラに映っていた男には全く当て嵌まらないことも確かだった。長身で高齢の彼は、少なくともあの「立ち去る男」ではない。

「衣歩さんの金縛りと言うのは、日常的な物なのでしょうか?」

「そうらしい。確か、数年ほど前からよく起こるようになったそうだ。それも、決まって大雨の夜に」

「金縛りの内容について、みなさんはご存知だったんですか?」

「ああ、みな衣歩くんから聞かされていたよ。無論、亡くなった榎園くんもな。……しかし、そんなことを訊いて何になるのだね? 先ほどからチラホラ、事件とは関係のなさそうな質問があるが」

「今はどんな情報でも欲しいので、思い付くままに尋ねさせていただきました。とは言えそろそろ弾切れです。どうか、最後までお付き合いください。──またしても取り止めのない話で恐縮ですが、軍司さんは《Sunny tourist》と言う旅行代理店の経営に、携わっているのですね?」

「よく知っているな。──あ、いや、SNSのプロフィールに書いていたか」

 そうだ。だからこそ、井岡は彼に辿り着くことができた。《Sunny tourist》の事業に携わっている「グンジ先生」は彼に違いあるまいと当たりを付け、メッセージを送ったのだ。

「と言っても、直接的に携わっているわけではないがね。現役時代に培ったノウハウやコネクションを活かして、アドヴァイザーをさせてもらっているんだよ。《Sunny tourist》以外にも、幾つか助力している企業はある。まあ、昔取った何とやらを駆使して、年金の足しにしているわけだな。榎園くんの会社なんかもその一つだ」

 先生は、引退後も手広くやっているようだ。

「ところで、君たちはメディカル・ツーリズムと言う言葉を、聞いたことがあるかね?」

 緋村は首肯する。一応、僕も。

 メディカル・ツーリズムとは読んで字の如く、治療目的の観光であり、近年盛んになっていると言う。より高度な技術の確立されている国や、より安価に治療を行うことのできる国へ渡るのが主なパターンだが、その歴史は意外に古く、古代ギリシャにまで遡ることができるのだとか。

「ならば話が早い。《Sunny tourist》はそのメディカル・ツーリズムのプランに注力していてね。私は主に、現地病院とのパイプ役をさせてもらっている」

「軍司さんがアドヴァイザーを務めると言うことは、国外での代理母出産でしょうか?」

「そのとおり。ウクライナの首都キエフと言うところにある病院に、少々ツテがあってね、そこでの代理母出産や産みわけ──男の子か女の子か、赤ん坊の性別を選別できるんだよ──がメインとなる。後は、国内の病院での採精及び採卵や、人工授精なども行なっているな。自分で言うのもなんだが、この()()にはそれなりの影響力を持っているのでね。色々と便宜を図ってやっているんだよ」

「今日ここに集まっている人たちの中で、どなたか《Sunny tourist》をご利用になった方はいらっしゃいますか?」

「……いや、私の知る限りいないはずだ。ただ、『私の知人が来店する機会があればよろしく頼む』とは、伝えているがね」

「そうですか……」

 そう呟いた緋村が黙り込んだ為、暫時部屋の中がシィーンと静まり返った。軍司さんは笑みを湛えたまま、酷く無機的な視線を彼に注ぐ。

 油断なく、相手の真意を見抜こうとするように。

 するとほどなく、不意に緋村が目配せをして来た。ひとしきり彼が質問を終えたところで、ある物を軍司さんに見せることになっていたのだ。

 少し緊張しつつも頷き返した僕は、スマートフォンを取り出した。

「あの、この人に見覚えはありませんか?」

 言いながら、画面を相手に向ける。そこに表示されているは、一人の青年の写真。それはゼミのコンパの際に撮られた物で、居酒屋の店内を背景に、彼はレモンサワーらしきグラスを両手で持っている。中性的なその顔は、酔いの為か、わずかに紅潮していた。

 大きな黒い目が動き、僕と、それから僕の持ったスマートフォンに視線が向けられた。

 無言のまま蝙蝠の瓶を置いた軍司さんは、しばし画面の中を覗き込む。深く眉皺を刻み込み、睨み付けるかのような表情で。気分を害してしまったのかと肝を冷やしかけたが、ほとなくして、落ち着いた声音が響いた。

「生憎だが、知らないな」静かにかぶりを振る。「もしかして、これが例の瀬戸くんなのか?」

「ええ」答えつつ、自分の手の中の画面に目を落とす。この瀬戸の写真はここへ来る前、井岡に送ってもらった物だった。

「残念ながら、あまり君たちの役には立てなかったようだな」

 最後に、元産婦人科医はそんな風に言った。が、とても残念がっている風には見えず、むしろ勝ち誇っているように思えたのは、さすがに気のせいか。もしかしたら、未だ彼に対する嫌疑を払拭しきれていないせいで、そう映ったのかも知れない。

 いずれにせよ、これ以上聴けることはなさそうだった。僕たちは改めて礼を述べ、一度退出しようとした。

 が、そうするよりも先に、背後のドアがノックされる。

「軍司先生、よろしいでしょうか」織部さんの声だ。

「なんだ?」

「……繭田(まゆだ)様がお見えになりました」

「ほう、臆病者のクセに、逃げずにやって来たか」

 唐突に辛辣なフレーズが聞こえ、僕は思わず、軍司さんの姿を見返した。親しい間柄故に飛び出した軽口なのか、それとも純然たる嫌悪の表れなのか、判別が付かない。

「わかった。ぜひ、ご尊顔を拝みに行こうじゃないか。──と言うわけで、私は客を出迎えに行くが、君らはどうするかね?」

 誉歴氏のコレクションを鑑賞しながら、たった今の謁見について意見交換をするのも悪くない。そう思ったのだが、緋村がニコチンを所望した為、喫煙所に移動するついでに、僕たちも標本室を出ることにした。

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