6:亡き主に代わって歓迎するよ
予想に違わず、玄関ホールも豪奢な物だった。芸術的なカーヴを描くサーキュラー階段と言い、その先にある踊り場と一体化した廊下と言い、海外の豪邸と聞いて真っ先に思い浮かぶだろう絵図が、目の前に広がっている。
ホールは吹き抜けとなっており、見上げた高い天井には、煌びやかなシャンデリアが吊るされていた。美しいと思うと同時に、あの高さからあれが落ちて来たらひとたまりもないなと、物騒なことを考えてしまう。
また、正面には大広間があり、テーブルと椅子が何組も並べられていた。格式あるホテルのエントランスのようだ。その奥には神殿の門を思わせる大理石のマントルピースを備えた暖炉が設えられていたのだが、その両脇に意外な物を発見し、少々面食らう。
それぞれ白と黒の毛並みを持つ猛獣──雪豹と黒豹が、まるで門番のように対になって寝そべっているではないか。
無論、本物の豹ではない──いや、本物には違いないのだが、どうやらそれは剥製のようだ。使用人による手入れの賜物か、今にも瞳を光らせ、威嚇の唸り声を発しそうなほどの生々しさがある。
この後すぐに判明するのだが、この屋敷にはこうした動物の剥製が至るところにディスプレイされていた。彼らこそが、本当の意味での「流浪園の住人」なのかも知れない。
さらに、そのまま視線を上げて行くと、二頭の豹の守る暖炉の上に、この館の亡き主の姿が確認できた。
肖像画に描かれた一人の老人が、額の中から来客を睥睨している。彼が先月に亡くなったと言う、榎園誉歴氏なのだろう。厳格そうだが、同時に猜疑心の強そうな顔付きと言うのが、素直な印象だった。
──これが本当に国外の屋敷であれば土足でいいのだろうが、そこは日本の別荘。僕たちはそれぞれ靴を脱いで靴箱に入れ、出されたスリッパに履き替える。
「お部屋にご案内致します。若庭様と緋村様は同室で構わないとのことでしたが、本当によろしいのですか? 客室にはまだ空きがございますが」
構わない旨を緋村が答える。飛び入りで訪問させてもらった身なのだから、これくらいは遠慮しなくては。
「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」
彼がそう言って階段へ向かいかけた時、その先の踊り場に、ある人物が現れた。
臙脂色のセーターと濃灰色のスラックスを身に纏った、背の高い男──老人である。
姿勢よく背筋を伸ばして佇立する彼は、無機的な表情を浮かべ、こちらを見下ろしていた。オールバックにされた強そうな灰色の髪が、鬣の如く、逆立って見える。クッキリと筋の通った鼻梁や、シャープな顎のライン、そして先の尖った薄い耳など、顔のパーツはどれも大きく、総じて日本人離れした造作と言えた。
深く眉皺を刻み、射竦めるような視線を眼下に注ぐ姿は、上空から獲物を狙う猛禽類を思わせ──この距離にもかかわらず、僕はスッカリ気圧されてしまう。
──間違いない、彼だ。ここに来る前、インターネットの記事で見た写真と同じ顔、同じ表情が、そこにあった。
「おお、軍司先生! こんにちは。今着いたところです」
楡さんが屈託なく笑いかけながら、わかりきったことを口にする。そう、そこに佇む人物こそ、世界的な生殖補助医療の権威──軍司将臣その人だった。
「長旅ご苦労。私は一足先に寛がせてもらっていたよ」
低く、深みのある声が玄関ホールに響く。バリトンヴォイスと言う奴か。
悠然と階段を下りて来る様は、まるで彼こそが、この館の主人であるかのようだ。
「みなさん、ようこそ流浪園へ。亡き主に代わって歓迎するよ」
ホールに立った彼は、その言葉が嘘ではないとアピールするように、両手を広げてみせた。芝居がかった動作だが、やけに板に付いている。こうして目の前にしてみると、上背の高さ──百九十近いのではなかろうか──がよくわかった。
不意に鳶色の大きな瞳がこちらに向けられ、ギクリとする。人間としての自分の値打ちがどの程度の物か、たちどころに見抜かれてしまいそうな、怖ろしい眼差しだった。穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、瞳の奥に宿る冷徹さを、隠そうともしていない。
「しかし、まさか本当に訪ねて来るとは思わなかったがね。せっかくここまで来たのだから、こんな老いぼれのことなど放っておいて、この島を満喫したらどうだ? すでに楡くんから聞いているかも知れないが、ここには珍しい物がたくさんある」
「歓迎のお言葉ありがとうございます。ですが、楽しませていただくのは、軍司さんのお話を伺ってからでも十分でしょう。もし差し支えなければ、さっそくこの後にでも」
「君はせっかちなんだな。まだ若いのだから、もっと気長に構えるべきだと思うが。──まあ、いいだろう。私は標本室にいるから、荷物を置いてから来なさい。場所は織部にでも教えてもらってくれ」
寛大なその言葉には、余裕の表れが見て取れた。不敵にさえ思えるほど。
「それと楡くん。君の奥方がお見えになっているよ」
「幸恵が? なんやあいつ、結局来たんか。俺と三日間孤島で過ごすなんて、耐えられへん言うてたクセに」
あまり夫婦仲は良好ではないらしい。一波乱ありそうだが、果たして大丈夫だろうか。
「私と同じ船で来たんだ。他のみんなも一緒だったよ。今は東條くんと二人で、食堂にいるんじゃないかな」
「あんな小煩い女の相手をさせられるなんて、彼も気の毒やな」
「そこまで言うのなら、代わってあげたらどうだね?」
「勘弁してくださいよ、絶賛別居中なんですから」
「これを機にヨリを戻したらいいじゃないか。ま、他人がとやかく言うようなことではないが。……何にせよ、あまり険悪な雰囲気にはならないでくれよ? 特に、衣歩くんの前ではね。彼女はそう言うことに敏感だから」
「もちろん、わかっとりますよ。いつもあいつの方が突っかかって来るだけです」
「幸恵さんも同じことを言っていたがね」
微苦笑を浮かべた彼は、これ以上世間話をするつもりはないのか、「では、またのちほど」と踵を返した。大股で歩いて行き、廊下の奥へと消えてしまう。
「ふう、あの人と話すんはやっぱり緊張するわ。──織部さん。私は勝手にいつもの部屋で休ませてもらいますから、彼らの案内をお願いします」
そう言って、楡さんは旅行鞄を携えて、さっさと階段に向かってしまった。彼に続き、僕たちも部屋を目指す。
屋敷の二階は踊り場で東西にわかれているのだが、客室のほとんどが東側に固まっており、西の方には二部屋しかないと言う、偏った部屋数となっていた。屋敷自体がちょうどLの字を左右反転させた形になっている為なのだろうが、かなり歪な構造に思える。
東側の廊下に出てすぐのところに、外へと迫り出したスペースがあった。二つ並んだ縦長の窓が冬の日差しを目イッパイ取り込み、多角形の木の天井も相俟って、暖かな雰囲気を作り出している。また、中央にはソファが一台置かれており、ちょっとした展望台のようでもあった。
塔屋の内側はこうなっていたのかと、素朴な感想と共にしばし足を止めた。そして、ここにも屋敷の住人を発見する。窓の敷居に添える形で太い流木が一本取り付けられているのだが、その幹の上に、立派な鷲が羽を休めていたのだ。
本当に、屋敷の至るところにコレクションが点在している。
塔屋以外にも、二階の廊下には熊や雄鹿、珍しいところではサイやバイソンの頭が、左右の壁に等間隔で生えていた。こうした首から上だけの剥製は、トロフィーと呼ばれるらしい。
──部屋に通され荷物を置いたところで、ここでの過ごし方について簡単に説明を受ける。
「この島には水道がございませんので、水はそちらにご用意致しましたペットボトルの中の物をお使いください。お手洗いも、使用される前にタンクに水を注いでくだされば、流すことができます」
客室にはトイレと浴槽、そして洗面所が一体となった三点ユニットのバスルームが備わっており、その入り口の傍に、一・五リットルのペットボトルが七本も並べられていた。足りなくなった場合は、言えば補充してくれるそうだ。
「当然お風呂にも入ることはできません。体をお拭きになったり頭を洗ったりされる際は、お手数ですがストーブの上でお湯を沸かしていただいて、水で温度を調節してください。ご面倒であれば、キッチンでお湯を沸かしてお待ちすることもできます」
不便ではあるが、こんな場所にあるのだから致し方ない。湯船に浸かれずとも、最低限体を清めることさえできれば十分だ。
「鍵は内側からしかかけられないので、貴重品はなるべく持ち歩いてくださりますよう、お願いします。もっとも、誰も人の物を盗むような方は、ここにはいらっしゃいませんが」
部屋のドアは、ノブの下にツマミのあるタイプだった。中に籠ることは可能だが、外出中は施錠できないわけだ。
「何か質問はございますか?──ないようでしたら、わたくしは廊下でお待ちしておりますので、準備が整いましたら、お声がけください」
暗に「軍神様に謁見する覚悟が決まったら」と言われているように感じた。やはり緊張しているせいだろうが、ここまで来てしまった以上、腹を括るしかない。
「いいか?」
さっさと準備を終えていた緋村が簡潔に問うて来る。それに応え、僕は彼に続いて部屋を出た。