9:狂気のパズル
「……ホンマに瀬戸さんが性同一性障害やったとして、どうして神母坂さんの提案を受け入れる気になったんでしょう?」
幸恵さんが、控えめに問う声が聞こえた。
「緋村さんは彼女が『唆した』と仰いましたけど、そう簡単に人を操れるとは思いません。ましてや、顔や性別を変えて他人になるやなんて……。瀬戸さんは春也さんのように、お金に困っていたわけでもないようですし、まだ二十歳やったんですよ? そんな、残りの長い人生を左右するような選択が、どうしてできたんですか?」
「そこに関しては、またのちほど説明させていただきます。ひとまず、今は話を進めましょう。──瀬戸くんは神母坂さんとして生きることを望み、最初に顔を整形した。性転換に関しては、おそらくのちのち行う予定だったのでしょう。……要するに何が言いたいのかと言うと、昨年十二月の時点で、瀬戸くんの整形は顔しか間に合っていなかった。だからこそ、神母坂さんは彼の首だけを島に持ち込んだのです」
彼女にとっては、それで十分だったのだろう。どのみち首だけの方が、搬入しやすい。
「また、死体に剥製を縫い付けた一番の理由も、これだったのでしょう。神母坂さんの物として現れる死体が、首しかないことに違和感を抱かせ難くする為に、猟奇的な演出をしたわけです。……こうして、瀬戸くんの死体は件となった。そして、もう一つの幻獣の骸を用意することで、見立てそのものに何か意味があるように見せかけた。彼女はそうやって、本来の目的から、少しずつ焦点をズラして行ったのです」
順序が逆なのか。神母坂さんにとって最も重要だったのは、自分の身代わりとしてもう一つの首を残すことであり、それを成立させる為に件の見立てが生まれた。そして今度はその目眩しとして、春也さんの死体をミノタウロスに仕立てたのだ。
「おそらく、題材は何だってよかったのだと思います。人頭獣身の存在であれば。……あるいは、自身の予言癖や、衣歩さんの金縛りに現れる幻影から、着想したのかも知れません。
さて。『もう一つの首』の正体に関してはこれでわかったと思います。残る疑問は三つでしたね。──神母坂さんはどこへ消えたのか、死体の数が合っているのは何故か、繭田さん父子を殺害した動機は何か……。これらの疑問の解答は全て、『神母坂さんの物と思われていた首が、実は瀬戸くんの物だった』と言うピースを当て嵌めることで見えて来る。……あの首が瀬戸くんの物である以上、本来焼け跡からは、男性の首が二つ発見されなければならなかったはずです」
しかし、実際に見付かった男の首は、一つだけだった。これは何故か。
「結論から言えば、図書室で発見された男性の首は──実は瀬戸くんの首だったから。つまり、神母坂さんは自身の身代わりとして持ち込んだ瀬戸くんの首を、今度は発見されなかったミノタウロスの死体の首に見せかけた。謂わば、死体をスライドさせることで、帳尻合わせをしたわけです」
「そ、そうか! 幾ら女性の顔に整形しとっても、実際の性別は男やから、数が合う!」
興奮気味に渋沢さんが叫ぶ。
「そのとおり。──本物の春也さんの首は、犯行後すぐ、処分してしまったのでしょう。両手と一緒に、重しを付け、海に沈めて。だから、男性の首は一つだけしか出て来なかった。
ちなみに、春也さんの両手を切断したのは、彼に罪をなすり付ける為と言う以上に、瀬戸くんの両手にあるべき特徴が死体にはないことを、誤魔化す目的もあったのだと思います。いや、むしろそちらがメインであり、整合性を持たせる為に──そして、本当の理由を悟られぬように──、瀬戸くんの両手を、春也さんの部屋に残したのかと」
「ああ……瀬戸くんは、薬指が長かったから」
井岡がそう呟いた時、流浪園の関係者たちはみな驚愕を露わにした。知っているからだろう。誉歴氏の両手にも、同じ特徴があったことを。
「どうかされたんですか?」
彼らの反応が気になったらしく、井岡は不思議そうに尋ねる。
「い、いえ……なんでもございません」
目を逸らしつつ答えた織部さんは、話題を変えるかのように、緋村の方へ向き直り、
「しかし、それでは女性の首と体の方はどうなるのでしょう? もし緋村様の推理なさったとおりであれば、今度は神母坂さんの首がなくなってしまいます。……それに、女性の体を持ち込むことも、できなかったのでは?」
「できなかったと言うより、そんなことをする必要はなかったんですよ。そちらに関しては、初めから現地調達するつもりだったんです」
「現地調達……?──ま、まさか!」
織部さんは気付いてしまったらしい。彼女が作り出した、二つ目の身代わりの正体に。
蒼褪めた彼は、凍えるようにガクガクと慄えながら、それでも懸命に言葉を紡ぐ──そうせずにはいられない、とばかりに。
「そ、それでは……例の女性の首と体と言うのは、い──衣歩様だったのですか⁉︎」
彼が言い終えるまで待っていた緋村は、再び苦しげに頷いた。
「ど、どう言うことなんですか? 衣歩ちゃんは、コンサバトリーで亡くなったはずじゃ」
「違ったんですよ、東條さん。あれは、衣歩さんではなかった。コンサバトリーで劇薬を浴びて焼死したのは、本当は神母坂さんだったんです。……おそらく、本物の衣歩さんは、屋敷に火が放たれた時点ですでに亡くなっていた──神母坂さんに殺されていたのでしょう」
「衣歩ちゃんが、殺されていた……?」
「ええ……。密かに彼女を殺害した神母坂さんは、バスルームで死体を首と体とに切りわけ、図書室に運びました。そして、そこで仔牛の体と縫い付けられていた瀬戸くんの首を、縫合糸の結び目の部分を切って取り外し、代わりに衣歩さんの首を縫い付けた。無論、シッカリ固定する必要はありませんから、簡単に針と糸を通す程度でいい。さして時間の要る作業ではなかったはずです。
それから、瀬戸くんの首と衣歩さんの体を、羆の剥製の中に隠した──ように見えるよう、その真下にでも置きました。どうせすぐ燃やしてしまうのですから、実際に羆の腹を割いて、中にしまい込む必要もありません。──最後に、神母坂さんは、予め物置から拝借して来ていた予備の灯油をぶち撒け、火を放った」
出火元は図書室だと見られていると、ニュースでも言っていたか。
「なるべく身元の特定が困難になるよう──そして、瀬戸くんの整形の痕跡を誤魔化す為に──、死体のある場所から火を点けたのです。……と言っても、告白文の中で死体の隠し場所にした図書室が、遺体の安置所となったのは、単なる偶然でしょうがね。
もしそうならずとも──例えば死体発見現場にそのまま放置されたとしても──、流浪園の屋敷は木材が多く使われており、薬品室には劇薬も保管されていた。そうした物に引火すれば、孤島と言う立地もあり、簡単に鎮火される心配もない。問題なく、屋敷ごと死体を焼き尽くすことができると考えたのです。火事の現場から、わざわざ死体を救出するような人なんて、いませんから」
春也さんの死体はコンサバトリーに遺棄されていたが、初めからそちらにも火の手が回るよう、灯油を撒くつもりだったのだろう。
「で、でも、どうやって衣歩ちゃんを図書室まで運んだんです? いつ誰が廊下に出て来てもおかしくはないし、もしかしたら広間に人がいる可能性だってあるのに……。二階の衣歩ちゃんの部屋から、一階にある図書室まで死体を引き摺って行くなんて、さすがに目立ち過ぎますよ。それが真夜中ならいざ知らず──いや、例え丑三つ時だとしても、楽なこととは思えません」
またしても、東條さんが反駁する。
「神母坂さんは屋敷の中を移動したのではなく、窓から死体を放り投げたんです。こうすれば大幅に道のりをカットできるし、誰かに見られる可能性もグンと減る。……もちろん、多少死体がダメージを負ってしまうでしょうが、元から燃やすつもりなのだから、さして支障はなかったはずです。
あるいは、首に関しては抱きかかえるなりして、一緒に飛び降りたのかも知れません。体の方と違い、『神母坂さんの首』は一度発見されています。そして、その際、顔が歪んではいたものの、首しかないと言うこと以外には、目立った外傷はなかった。それなのに、焼け跡から見付かったあとで、生活反応のない死後の傷が残っていては、矛盾が生じてしまいますから」
「一緒にって……もしかして、鮎子さんも⁉︎」
「ええ。彼女も窓から地上へ降り立ちました。物置を経由して。……ちょうど、衣歩さんの部屋の窓の真下には、外付けの物置がありました。神母坂さんはその上に一旦下りてから、屋敷の裏手に飛び降りたんです」
物置の高さは二メートル弱。たとえ片手が「荷物」で塞がっていたとしても──怖気付きさえしなければ──、飛び降りることのできる高さだ。
「その後、神母坂さんは、屋敷の裏側を回り込むようにして裏口から中に入り、衣歩さんの首と体──と、ついでに凶器の毒薬や鋸──を、図書室に運び入れた。
また、神母坂さんは衣歩さんを殺害した直後、彼女の服を奪い、それに着替えていました。衣歩さんとして、死ぬ為に。……もう一度言いますが、コンサバトリーで焼死したのは、実は神母坂さんでした。彼女はどこにも消えてなどなく、ちゃんと死体となって発見されていたんです」
薬品室の扉から現れたバフォメットは、狂乱に陥った衣歩さんではなく、彼女の服を着た神母坂さんだった。神母坂さんは「普段からあまり足音を立てなかった」と、先ほども話に上がったが──あのバフォメットも、音もなく標本室に入室って来たのだったか。
「最後に、繭田さん父子を殺害した動機ですが……二人のうち春也さんに関しては、単なる数合わせでしょう。今言った死体の錯誤トリックを成立させる為には、瀬戸くんと似た年恰好と体型の死体を、もう一体用意する必要がありました。
顔を整形しただけでは、身体的な性別は変えられません。女性が殺されたのに、男性の首が現れては不自然極まりない。──が、かと言って、衣歩さんの首と入れ替えたあとで、瀬戸くんの首を海に棄てにいくのでは、少々不効率だ。真夜中とは違い、それこそ人目に付く危険がありますからね。……では、いったいどうすれば、首を余らせずに済むか。考えた彼女は、春也さんに、白羽の矢を立てたのです」
自身の身代わりとして発見される瀬戸の首の、「体役」にする為に、神母坂さんは春也さんを殺害した。
緋村の解説を聞いているうちに、改めて恐ろしい犯行だと感じた。彼女は他人の命や肉体さえも、自らの望みを叶える為の道具としか、思っていなかったのだろうか?
まるでパズル──人体を用いた、狂気のパズルだ。
神母坂さんは、殺した者の肉体を「分解」し、別の形に「統合」することで、それを組み上げた。彼女はまさしく、バフォメットだったのだ。




