三章・スズランの魔法(1)
(気まずい……)
家の中に入った私はずっと沈黙していました。
そんな私を、それでもモミジは甲斐甲斐しく世話しようとします。
『ご主人様、お疲れですか? お食事、入浴、マッサージ、ご要望があればなんでも私にお申し付けください』
「い、いえ、さほど疲れてはいません。大丈夫」
『でしたら、お茶をご用意いたします』
「ええ、ありがとう……」
それだけ会話して、また沈黙──九年間もほったらかしにしていた手前、どう接したらいいのかわかりません。
(これではまるで駄目な親みたいですわ……)
家族を置き去りにして失踪していた親が何年も経ってから行き場を失くして戻って来る。たまに聞く話です。聞く度にろくでもない親だこと、なんて思っていましたけれど、よくよく考えたらモミジを放置していた私も似たような立場なのですよね。別に私は彼女の親ではないですけれど。
『どうぞ、ご主人様』
「ありがとう」
目の前に置かれたカップを持ち上げて軽く頭を下げます。
ううっ、自宅なのに肩身が狭く感じる……。
しかし──
「ん?」
お茶を口に近付けた私は、その段階で気が付きました。
「これって……もしかして、うちの畑の茶葉?」
『はい、クルクマ様に頂きました。ココノ村特産の銘茶カタバミ。ご主人様はそのお茶がとてもお気に入りだと伺っております。生憎ミルクは切らしておりますが』
「それは構いません。けれどクルクマ……来てましたの、ここに?」
『はい、一年に数回は訪ねていらっしゃいます。その度にココノ村でのご主人様のお話を聞かせて下さいますよ』
初耳ですわ。彼女ったらそんなこともしてくれていたんですのね。
私はお茶を一口飲んで、ふうと溜息をついてからカップを下に置きました。
『お気に召しませんでしたか?』
「いえ、相変わらず良い腕前ですわ。本当に……相変わらずですわね」
室内を見渡します。モミジの体内でもあるこの屋敷の中は、昔となんら変わらず綺麗に掃除され整頓されていました。あの頃も掃除や整理の苦手な私のために彼女がいつもそうしてくれていたことを思い出します。
「あなたは九年間、ずっとここを守っていてくれましたのね」
『ここは私の体内であり、ご主人様の帰る家です。当然のことと心得ております』
「そう……」
彼女の態度も相変わらず。それが私にはかえって怖い。私を恨んでいないの? 九年間も帰らなかった主を憎んでいない?
「貴女はどうしてまだ私を主人と認めてくれるのです? 帰るまでこんなに時間をかけてしまいましたのに」
ここまで九年間も回り道をしました。これ以上余計な時間をかけたくなかったので率直に訊きます。
モミジに顔はありません。けれど彼女は頭を振った──ような気がしました。
『私はもう長い年月を生きております。ご主人様の何十倍も。たかが九年で、一度枯れた私を蘇らせて下さった貴女への感謝と敬意は揺るぎません』
「なるほど」
たしかに人間の何倍何十倍と生きるのが当たり前の彼女達樹木にしてみれば九年なんて時間は大したことではないのかもしれません。
つまるところ私の気負い過ぎ、ということだったのでしょうか? でも人間の感覚ではやはり九年は長すぎですわ。このまま彼女になあなあで許されて終わりではこちらの気が晴れないでしょう。
「やっぱりちゃんと謝りますわ! ごめんなさいモミジ!」
私は椅子から立ち上がって深く頭を下げました。モミジからは戸惑いの気配が伝わってきます。
『ご主人様、申し上げた通り、私は何も気にしてなど……』
「私が! 気になるのです! 主でありながら貴女を長年放置してきた自分を自分が許せないのです! だから大変身勝手だとは思いますが、どうか私を罰して下さいまし!」
そうしなければ前に進めない。たとえモミジにその気が無くても、彼女にとっては迷惑な話だったとしてもケジメはつけたい。それが人間という生き物なのです。
しばし沈黙が続きました。私の願いにどうにか応えようとしているのでしょう。彼女はそういう子です。
やがて問いかけられました。
『ご主人様は、ココノ村での生活が、とても楽しかったのですよね?』
「そ、そうです」
それが彼女を九年間も放置してしまった最たる理由です。他にも子供に戻ったので村を離れるのが不安だったとか気まずかったとか色々と理由はありますが、八割方はあの場所での暮らしが楽しすぎたことが原因。
するとモミジは予想外のことを言いました。
『では、お願いがあります。私を──』
「えっ?」
モミジの願いのその内容に、私は顔を引き攣らせました。
『やはり、無理でしょうか?』
「い、いえ……」
できなくはない──と思うのですが、かなり難しいのもまた事実。とはいえ、できれば叶えてあげたい話。
(九年……ですものね)
彼女にとっては短いけれど、私にとっては長い歳月。それだけ長期間放っておいたからツケが溜まってしまったのだと思うことにしましょう。つまり、苦労するのも致し方無しですわ。
「わかりました、その願い、必ず叶えてみせます」
『ありがとうございます』
モミジの声はこころなしかいつもより弾んでいるように聴こえました。私は覚悟を固め、彼女の淹れてくれたお茶を改めて楽しむことにします。
「良い香り……私も、お母さまが恋しいですわ」
そろそろ村にも帰りませんとね。
さて、モミジのお願いを叶えるためには、まずアイビー社長のお仕置きをどうにかして乗り切らなければなりません。私は九年ぶりに自分の書斎に足を踏み入れました。
「ここも変わりませんわね」
『掃除は怠りません』
「良い仕事ですわ。どこに何があるかもわかりますわね?」
『はい』
「じゃあ、えーっと……とりあえず魔導書を五十音順で持って来て下さる? 五冊ずつで結構ですわ」
『かしこまりました』
机についた私の前にモミジの枝が次々に魔導書を運んで来ます。温故知新という言葉もありますし、こういった書物から新製品のヒントを得られる可能性もあるでしょう。
もちろんビーナスベリー社でも様々な資料に目を通したのですが、ここにあるのはあそこの蔵書にも劣らない貴重な書物ばかりです。昔羽振りが良かった頃にお金と魅了の魔法を使って方々からかき集めました。私の魔法の知識は大体がこれらを使って得たものなのです。
「とはいえ今の私には不要な物ばかりですし、読み終わったらクルクマに頼んで処分してもらうのもありですわね……」
ずっとここで眠らせておくのももったいないでしょう。必要な方に譲るか、さもなくばアイビーさんと交渉する際の取引材料として献上してもいいかもしれません。
(うーん、それにしても……やっぱりこれといって目新しい情報はありませんわ)
そもそもここにある本は全て一度目を通したものなのですから、さもありなんという話ですね。ビーナスベリー社の新製品を開発するならやっぱり日常の中で不便に感じたことからヒントを得るのが……。
って──
「ッ!?」
私は思わぬところで思わぬヒントを見つけ出しました。新製品開発の役に立つかはまだわかりませんが、別の悩みはこれで解決できると思います。
「神代文字……“漢字”……」
この世界の言葉は基本的に“ニホン語”と“エイ語”の二つの言語を組み合わせて構成されています。創世の三柱が人類に教えた言葉がその二つだからです。
文字はさらに種類が多く“ひらがな”“カタカナ”“アルファベット”“漢字”の四種類があります。けれど他の三つに比べて漢字だけは習得の難易度が高く、いつしか廃れてしまいました。そのため読める者のほとんどいない現代では神々が身近にいた時代にしか使われなかった文字として“神代文字”と呼ばれているのです。
私は何故かこの文字をあっさりと覚えてしまいました。まるで最初から知っていた知識を思い出していくかのように。ひょっとすると私の体内に流れているという創世の三柱の一柱“ウィンゲイト”の血が影響しているのかもしれません。
この文字の面白いところは象形文字と言って物の形を象っていることです。つまりこれは文字でありながら絵でもあり、その特性から一文字に込められた情報量が他の文字種に比べて多くなっているのです。
たとえば“木”は“き”ですが“もく”とも読めます。一文字で読み方を複数持つのが感じでは普通のことなのです。場合によっては意味までも変わります。
さらに“木”を二つ組み合わせると“林”になり、三つなら“森”になります。異なる漢字の“寸”と組み合わせれば何故か“村”になります。
「これです」
別に漢字そのものを何かに使おうとしているわけではありません。同じもの、あるいは異なるもの同士を組み合わせて一つの新しい何かを生み出す。その思想こそが私にとって大きなヒントとなりました。
「お父さま、みんな……私の、私だけの“短縮呪文”を、やっと思いつきましたわ」
早く試したくてワクワクします。でも、まずはお仕事から片付けなければ。
気分が乗って参りました。
「モミジ、次は趣味に関する本を片っ端から持って来て下さいな!」
『かしこまりました。楽しそうでなによりです、ご主人様』




