四章・生みの苦しみ(1)
──五日後、私は製品開発の拠点として与えられた小さな研究室の中、頭を抱えて唸りました。目の前には大きな机と白紙が数枚。手には鉛筆。お尻の下には丸椅子。周囲には様々な機材が揃えられていますが、まだ何一つ稼働させていません。
『ううん……ううううん……う~~~~~ん……』
唸っても唸っても何も思いつきません。
発明、舐めてました。
『特許特許特許……どんなアイディアを思いついても、必ず誰かに先を越されてしまっている……』
世に出る製品の大半は法令によって定められた“特許”を取得しており、それによって他者ないし他社による知的財産権の侵害から守られています。製品に使われている重要なアイディアを盗まれたり、海賊品を販売されてしまった場合、その法律によって相手方を訴え損害賠償を請求できるのです。侵害した側があまりにも悪質だと判断された場合には軍や警察が出動して武力制圧することもあるそうです。
そのルール自体は知っていたのですが、世の中にこんなにもたくさんの特許が存在することは知りませんでした。私がこの五日の間に考えた、中に入れた物を温める箱、温風が吹き出す筒、風の魔法でゴミを集める掃除用具等々はすでに特許出願中。発売済みのものまでありました。雑貨屋の娘としては少し恥ずかしいお話。
「百八十年前、我が社が大成功を収めて以来、同じ形のビジネスモデルを選択する企業が続出しました。当時から始まった発明ラッシュは今も続いているのです」
教えてくれたのはナナカさん。彼女は午前中、私からいくつかの案を受け取ると、それらが出願済みの特許に抵触していないかを調べて来てくれました。アイビーさんの命令で、しばらくはこちらを手伝ってくださるそうです。
──俗世に関わらず研究に打ち込みたい魔法使いと社会の橋渡し。その役を担うことで利益を上げ、半分を魔法使い達に還元してきた会社。それがビーナスベリー工房。
今では同じような企業が他にも複数設立され、日々画期的な製品を生み出しながら鎬を削り合っている状態。
ということは、本当に画期的な製品を生み出す難度は年々上がりつつあるのでしょうね。それを知っていながらこんな課題を出すなんて、アイビーさんも見かけによらず意地悪な方ですわ。
『そういえば、このゴッデスリンゴ社なんかも有名ですよね』
ナナカさんが特許庁から貰って来た資料に目を通し、クマちゃんハンドで示す私。業界最大手は今もビーナスベリー工房なのですが、ゴッデスリンゴもそれに次ぐ大企業として名を馳せています。
「あそこはキョウトの魔道士隊から引退した魔法使い達の受け皿ですね。たしかに優秀な技術者が多く、しかも元・軍人であることから軍用品の製造開発において極めて高い評価を受けています」
あ……そういう会社なんですか。キョウトの元・軍人さん達なら、あの時の方々もいるかもしれませんし、なるべく関わらないようにしないと。ここの特許を侵害するのは危険だと肝に銘じておきます。
もちろん、他の特許も侵害したら駄目ですけれど。
ちなみに、この特許というものを管理・保護している特許庁は、あの三柱教の下部組織だそうです。国境を越えて大陸全土で通用する法律が必要になった場合、それを定め遵守させる役割を担うのはたいがい彼らなのだとか。
(毎日毎日、お経を読んでいるだけじゃなかったんですね)
だからといって好きにはなれませんが、まあ彼等も一応、社会貢献はしていたようだと少しばかり見直しました。昔より紙が安くなったのも三柱教が製紙業を支援しているからだそうですし。
(たしか本好きの神子がシブヤにいて、その人が主導しているって話でしたね)
読書好きの彼女は本がどんどん増えますようにと、自分の能力で稼いだお金を三柱教を通じて社会に還元しているとのこと。まだ会ったことはありませんが、もし機会があれば直接お礼を言いたいものです。私と父も本好きなので。
『あっ! 夜間の読書用に誰でも点けられる魔力灯なんてどうです!?』
「申し訳ございません。それは我が社で開発中の製品に既に……」
『あるんですね』
「はい」
ええ、予想はしていました。五日間ずっとこんな調子ですもの。障害は社外の人間だけではありません。むしろビーナスベリー工房の皆さんこそ、今の私にとっては最大のライバル。
物作りで世界の頂点に立ったメーカー。その社員を納得させられる発想なんて、本当に私に捻り出せるものでしょうか? 自分でもらしくないと思いますが、こうも行き詰っていてはやはり弱気になってしまう。私が思いつくようなことは、すでに他の誰かが閃いている。だからこそこの課題が最も難しい。アイビーさんとクルクマの言葉を今さらながら実感中。
本当にどうしたらいいやら……いいかげん出せるだけのアイディアを出し尽くした感があります。昨日から頭も痛い。
『あ、そういえば』
「なんでしょう?」
『この会社の魔道具って、どうして魔力無しで動くんですか?』
前から気になっていたこと。さっきの読書灯のアイディアが出て来たのは、ビーナスベリー製の魔道具が文字通り“誰にでも使える”からです。他の会社の製品は基本的に魔力無しでは動きません。なので魔法使いを雇える上流階級の人間や、そもそも魔法使いを対象とした製品が多い。けれどビーナスベリー工房の製品はどれも魔力を持たない一般人が気軽に扱える。だからこそ今も業界のトップに君臨している。
他社の製品には呪物を内蔵したり特定の位置に設置して地脈から魔力を吸い上げさせる製品もあります。でもビーナスベリー製の場合、呪物の気配はありませんし地脈にもアクセスしていません。遡って調べてみるとうちにもある冷蔵箱あたりからそうなったようなのですが、いったいどうやって実現したのかはどんな資料にも記載無し。
『他の方にも訊ねてみたんですけど、なんだかはぐらかされてる感じで』
明らかにその情報を口外してはいけないという雰囲気でした。まあ他社に対する大きなアドバンテージなわけで企業秘密にしたいのはわかります。でも新製品を開発しろというなら私には教えていただいてもいいのでは?
「それは……」
ナナカさんも言い淀みました。その様子で察します。やはりこれは外部の人間には絶対漏らしてはならない秘密なのだと。
『すみません、今の質問は忘れてください。とにかく“魔力が無くても動作する”という事実だけ知っていればいいんですね?』
「申し訳ございません。お察しの通り、当社製品の動力に関してはお教えできない決まりなのです」
こちらこそ申し訳ないです。彼女は神子を崇拝する“聖域”の人だから、私には教えてくれるかもなんて小狡い期待をかけてしまいました。
ただ、一つだけ確かめておかないと。私は参考資料として借りて来た冷蔵箱の設計図を広げ、一点を指差します。
『多分ですけど、構造的にこの“変換装置”とだけ書かれた部品が動力ですよね?』
「はい」
今度はあっさり答えてくれるナナカさん。それだけなら秘密を明かしたことにならないのでしょう。
まあ、これって特許庁が公開しているデータですしね。特許を出願する際に説明もしているはず。
逆に言えば、名称だけしかわからない謎の部品が設計図に記載されていても特許として認められる。その理由はアイビーさんが神子で、特許庁のバックにいるのが三柱教だからなのかもしれません。
そんな私の推測を裏付けるように、ナナカさんが付け加えました。
「あと一つだけ」
『え?』
「スズラン様は必ず我が社の製品の秘密を知ることになります。いつか聖域に訪れるのと同じ理由で」
つまり、私が神子だから?
『それだけ重大な秘密ということですか』
「……」
沈黙するナナカさん。これ以上は教えられない、か。
ともかく、そういうことなら了解です。私はその日が来るのを大人しく待つことにしましょう。
──ちなみに、ここにクルクマがいないのはゲッケイの屋敷へ向かったから。先に一人で下調べだけ済ませておきたいそうです。分業した方が修行期間も短くなると言われ了承しました。
ゲッケイ亡き今、あの屋敷の内部に一番詳しいのは間違い無く彼女。ここは一旦任せておきましょう。手助けが必要になったらすぐに戻るとも言っていましたし。
正直、今はこちらの方が助けて欲しい気分ですけれど。
『う~ん……』
製品開発のことだけでなく、モミジをココノ村まで運ぶ方法も考えなければなりません。いっそ、それを可能にする製品を開発したら一石二鳥ではとも思ったのですが、モミジの方の課題で工房の力を借りてはいけないと言われたことを思い出しました。彼女の運搬に関わる製品を工房の技術で作ることは明確なルール違反。
なので、どちらもまだまだ暗中模索。考えすぎて頭の茹だってきた私は、無意識にクマぐるみの頭部を両脇から掴みます。
瞬間、ナナカさんの目が見開かれたのを見て急停止。
『……あの、私の出自について聞いていますか?』
「存じております」
『じゃあ、これを外しても……?』
「……そうですね、念の為ドアは施錠しておきましたし、ここは外からも見えない構造の部屋になっております。今なら大丈夫かと」
『わかりました。それじゃあ』




