二章・ビーナスベリー工房(1)
商業都市オサカ。魔法使いの森西端と接しているこの街は、南北を繋ぐ交易路の中間に位置しており、昔から商人の都として栄えてきました。
さらに百年ほど前、彼等はその財力をもって旧来の支配者であるキョウトから自治独立の権利を買い取り、国家となりました。つまり三柱教の総本山シブヤと同じで、この都市一つがオサカという国でもあるのです。
より正確に言うなら街の中心部から半径八十マフの範囲内が彼等の領土。なので都市の周辺にもいくつかの小さな集落が点在しています。そのうち一つを横切り、上空から私とクルクマは都市内へ入りました。
「安いよ安いよ! そこのお兄さん、ちょっと見てって!」
「馬鹿! こんな安モン掴まされやがって! 丁稚からやり直せ!!」
「まいど! お買い上げありがとうございます! いやあ、いつもいつも本当にお世話になって……」
「次の選挙、誰になると思う?」
「またハナビシじゃないか。あの爺さん、とことん貧乏クジ引くからな」
「ゼラニウムさんくらい要領が良ければ理事長なんて立場でも儲けられるだろうに」
「まあ、そこがあの爺さんの良いところだろ」
空から見下ろした街の様子は活気に満ち満ちています。大陸広しと言えども、ここまで賑やかな街は他に知りません。流石はオサカといったところ。行き交う人の数も、そして動くお金の額も桁違い。
『検問は無いんですね?』
着ぐるみ姿で訊ねる私。私達のような魔法使いがいるので、街によっては対空監視専門の見張り番が立っていたり、魔法使いを雇って哨戒させていたりします。シブヤには領空侵犯を阻む大結界が張られていました。あの街で暮らす神子が構築した防衛システムだと聞いたことがあります。
ところがオサカは無警戒。空どころか地上でも自由に出入りを行っています。世界最大の商業都市にしては意外な話。
「商人は合理主義だからね」
そう言って懐かしそうに目を細めるクルクマ。怪我のせいでここしばらくは商人としての活動も休んでましたものね、貴女。
「ここは人と物資の出入りが激しいから、いちいち検問なんかしてらんないのさ。そんなことに金と人出を回すくらいなら少しでも多くの荷を流通させて利益を増やしたい。そう考えるのが商人だよ」
『なるほど。でも、それじゃあ治安は──あ、いや、忘れてください』
我ながら馬鹿な質問をするところでした。ここはビーナスベリー工房の本拠地。つまり、あの森妃の魔女のお膝元です。そんな街で下手なことなどできないでしょう。犯罪が皆無というわけではないのでしょうが、あの方を怒らせた場合のリスクが高すぎます。
もしかしたら世界一安全な都市でもあるのかもしれませんね、ここは。
それにしても広い。シブヤの四倍はあるんじゃないでしょうか? あの街は狭さゆえに高層建築が多い場所なのですが、ここも面積が広い割に負けず劣らず高い建物だらけです。流石は大都会という雰囲気。ふと横を見ると小さな子供が私を興味深そうに見つめていました。手を振ってあげるとビックリしてから振り返してきます。お可愛いこと。
「スズちゃん、オサカには来たことないんだっけ?」
『あの人がいますもの……』
アイビーさんにはなるべく関わらない方が良いと思っていたので、ヒメツル時代の私もこの街には立ち寄ったことがありません。すぐ近くのキョウトやナラになら何度かお邪魔しましたけれど。
そういえばキョウトの魔道士達と一悶着起こしたこともありました。あの国の軍は大陸最多の魔道士保有数を誇っているのですが、そのためか自分達の力に過剰な自信と誇りを抱いており、当時世間に名が知られ始めたばかりの私に目を付けてケンカを売って来たのです。
まあ、本人達はスカウトに来たと言っていましたが、あの偉そうな態度はどう考えても宣戦布告でした。だから十人ばかしやって来た連中をまとめてふっ飛ばしたのです。そしたら今度は百人に数を増やして戻って来まして──
『……今は、キョウトの方が行ったらまずいでしょうね』
「赤っ恥かかせたもんね。百人まとめて簡単に撃退しちゃうんだもん」
『馬鹿正直に正面から仕掛けて来るのが悪いんです。あれじゃ負けようがありません』
「スズちゃん相手に単純な力比べに持ち込んだら、そりゃねえ」
そう、私の魔力は大陸最強。というより世界最強。これだけはアイビーさんにもすでに認められています。そんな私に真っ向勝負を挑んだあの人達が悪いんですわ。
(勝った後、あちこちで吹聴して回ったのは不味かったかもですが)
悪名を高めたかったので、宣伝に利用させていただきました。
う~ん、やっぱり怒ってるでしょうね、キョウトの人達。
「あ、スズちゃん、あれだよ」
『わっ……』
クルクマが肩越しに指差した建物を見て、思わず声を上げます。オサカの建物はどれも財を誇示するかのように華やかに飾り立てられているのですが、そんな景観の中にあってなお一際目立つ白亜の塔。他のどの建築物より曲線が多用され、女性的な艶めかしい印象を与える特異なデザイン。
それがビーナスベリー工房の本社でした。




