三章・氷解(5)
ナスベリが帰ってから二日後、うちでは新たな問題が発生していた。
「はあっ! てやっ! こんのっ!」
ぐぬぬ、叩いても叩いてもウンともスンとも言わない。このところ不調だった冷蔵箱がついに完全に息絶えてしまったらしい。
「駄目かあ……」
「というか、やっぱり叩いて直すのが不味かったんだよ」
娘と夫も残念そうにうなだれる。な、なによ、それじゃまるであたしが悪いみたいじゃない。
「今までは叩いたら動いてたでしょ!?」
「うん、その通りだね、君だけじゃない。悪いのは正しく使えなかった僕ら全員だ」
「スズにも直せないの?」
「中は一応見てみたけど、チンプンカンプンだったよ~……構造が複雑すぎ」
カウンターに突っ伏して嘆くスズ。この子にもわからないんじゃお手上げね。お師匠のクルクマさんにならどうにかできるかもしれないけれど、まだ戻って来ていないし。
「あっ、じゃあナスベリみたいに“冷やす魔法”は使えない?」
今日は稀に見る猛暑日なのだ。さっきから三人とも汗だくである。こんな日には冷たい物が飲みたい。それが叶わないにしても、せめて店内を涼しくするだけでもできないだろうか? 暑さで傷む食品もあるから、このままではお昼ご飯と晩ご飯でそれらを消費する羽目になってしまう。
あたしの問いかけに、スズはぐったりしたまま頭を振る。
「ああいうのは出力調整が難しくて……私がやると店が丸ごと凍っちゃうかも」
「それは……」
「まずい……」
店内が氷漬けになってしまったら流石に涼むどころではなくなる。というか、その場合あたし達も氷像になっているだろう。
「おおっ」
何かを思いついたらしく、カズラがポンと手を打った。
「外でタライに水を張って、それを凍らせてから中に持って来たらいいよ」
「それだ!」
「お父さん天才!」
──というわけで早速実行してみた。タライいっぱいの氷のおかげで若干ながら暑さが緩和され、あたし達はハァ~ッと長いため息をつく。別の小さな容器に暑さに弱い食品をまとめて放り込んで氷の上に置いたから、三人でこれらを消費する必要も無さそうだ。
「生き返るね~」
「後で他の家にも氷を配ってあげよう。この暑さじゃみんな死んじゃうよ」
「ほんと、この村でここまで暑くなるなんて滅多に無いものね。スズ、悪いんだけど後でもう一仕事頼むわね」
「うん」
まったく、よりにもよってこんな日に壊れるなんて、あの冷蔵箱も薄情なやつ。何年も共に戦って来た仲間じゃないの。唇を尖らせたあたしは、ついさっきカズラが持って来た取扱説明書に目を留めた。たしかこの裏表紙に……。
「あ、やっぱり。ここに連絡先が書いてあるわ。製造元に文句言ってやりましょ。えっと、VB工房……? なんて読むのこれ?」
「ああ、大丈夫。実はもう何日か前に修理の依頼を出しておいたんだ。保証書を読んだら“どんなに遠くても必ず修理に伺います”って書いてあったから」
「あら、そうなの? なら少しの間だけ我慢すればいいのね」
流石はカズラ、手回しが良い。あたしは冷蔵箱に近寄ってポンポンと白いフタを叩いてやった。
「良かったわね、直るわよあんた」
ま、あんたが薄情だろうとなんだろうと、あたし達はそう簡単に見捨てたりしないわよ。修理しても駄目なら流石に買い替えるけれど、また元気に動いてくれるなら、これからも長く付き合っていきましょ。
「お母さん、それはビーナス──」
と、娘が何か言いかけた時だった。突然入口のドアが開いて二人の人物が入店して来る。あたし達は咄嗟に営業スマイルを浮かべ、スズは慌ててメガネをかけた。
「「「いらっしゃいませ!」」」
声を揃えてお客様を歓迎する。客商売に限らず、人との付き合いは挨拶が大事。あだやおろそかになどできない。
ところが、直後にあたし達は目を見開いて驚愕した。
「ナ……」
「ナスベリ!?」
なんと、そこに立っていたのはナスベリだったのだ。
しかも、何故か職人風のツナギを着ている。
「えっ? なに? なにその恰好?」
「よ、よう……」
いつもの男物の服と大差無いというのに、何故か恥じらいながら片手を上げるナスベリ。そんな彼女の前にはもう一人、ノイチゴちゃんくらいの年頃の碧色髪の幼女が立っていた。これまた可愛らしいお子様で、貴族のご令嬢なのかえらく派手な服装をしている。
そのお嬢様は妙に大人びた表情で優雅に会釈してみせた。
「はじめまして、ビーナスベリー工房社長のアイビーと申します」
「社長!?」
「この度は当社の製品が故障してしまったそうで、大変ご不便をおかけしてしまい、誠に申し訳ありません」
社長を名乗る幼女は丁寧にそう語り、深々と頭を下げた。あたしとカズラは困惑して顔を見合わせる。
「あっ、そうか、ゴッコ遊び。そういう設定のおままごとか何かでしょこれ?」
あたしがそう言った瞬間、スズがハッと何かに気付いた。
「アイビーって……その姿、その魔力、もしかして“森妃の魔女”ですの!?」
「え? 有名なの?」
「千年くらい生きてるっていう、伝説の魔女……」
「千年!?」
待って、それって神話の時代の話じゃないの!?
「いえいえ、お客様。私はまだ千年も生きておりません。九百と六十年程度ですよ」
「す、スズ、本当なの? いくらなんでも冗談よね? 人間そんなに長生きできるわけがないじゃない」
「わ、わかんない……私も初めて見たし」
それはそうか。うちの子だってなんでもかんでも知ってるわけじゃない。とにかく落ち着くのよあたし。自分に言い聞かせて深呼吸する。
というかナスベリ、何であんたまで大口開けて驚いてるのよ?
「社長? 最初会った時に五十歳って」
「端数を削ったの」
九百歳を端数と言い切ったわこの子。あたしの中で、やっぱり魔女って変人だらけなのではという疑念が再浮上する。
「あ、あの……とりあえず修理に来て下さった、ということでいいんですよね?」
いちはやく立ち直ったカズラがアイビー社長に問いかけた。
「ええ、安心の十年保証が我が社の売りです。幸いにもお客様の冷蔵箱はまだ保証期間内ですから無償で修理いたしますよ」
「え、無料?」
そこまでサービスしてくれるの? 現金なもので、あたしは一瞬でこの社長さんが好きになった。
「それでナスベリは、もしかして……」
あ、そっか。社長さんについて来たということは、ナスベリが修理作業員なのね。なんたる偶然。まさかこいつがこんな仕事をしているとは夢にも思わなかった。
勝手に納得しているあたしの目の前でアイビー社長が再び頷く。
「あ、はい。お二人は彼女の幼馴染だそうですが、一応、改めてご紹介を。彼女は当社の“副社長”ナスベリです」
「はあっ!?」
もう何度目かわからない衝撃発言。まさか、あのナスベリが? 冷蔵箱を作ってる会社の副社長?
「冷蔵箱の開発には彼女の魔法を大いに参考にさせて頂きました。その後の功績も大きく、今では私の右腕として働いてもらっています」
「ナ、ナスベリが、ですか!?」
「はい、ナスベリが」
「でも、だって、ナスベリですよ!?」
「おい」
「いえ、これがけっこう優秀なんですよ。特に、この顔と胸でしょう? 交渉事なんかは私が表に立つより、彼女に任せた方が有利に進むことが多くて」
「なっ、ちょっ、色仕掛けしてんのあんた!?」
「いいかげん殴るぞテメー!!」
言うが早いか掴みかかって来るナスベリ。
「なによ!?」
あたしも反射的に胸倉を掴んでしまった。そして気付く。和解したとはいえ、やっぱりこいつとはこういう関係がしっくり来ると。ナスベリ、これからも良いケンカ友達でいましょうね。
「二人とも落ち着いて。ともかく修理に来て下さったのはわかりました。でも、どうして社長と副社長が自ら?」
あたし達を引き離しつつ訊ねるカズラ。するとアイビー社長はニヤリと笑い、ナスベリの尻をパンと叩いた。
「ひゃっ!?」
「それなんですが、修理のついでにご挨拶もさせて頂こうかなと思いまして。実は、このたび我々ビーナスベリー工房はタキア王国内に初の支社を置くこととなりました」
「えっ?」
「支社?」
「はい、その方が今回のような遠方からの修理依頼を請け負った際に、大陸の反対側から飛んで来るよりも効率的だと判断したのです。本社はオサカですからね。
また、都市部にある本社では安全面の観点から行うことができない類の実験も行うため、建設予定地はここからホウキで一時間ほどの平野にと考えております。彼女はこの地域の出身で土地勘もあると聞き、支社長に任命いたしました」
──すぐには、理解できなかった。
あたし達四人はナスベリの顔を見つめる。
「ナ、ナスベリ……? それって、もしかして……」
「……まあ、そういうこった」
照れ臭そうに目を逸らした彼女に、次の瞬間、私とカズラは飛びついた。
「どこに住むの!? ねえ、どこに住むのよ!?」
「む、村じゃねえよ。一応その支社の中に住む予定だけど……ま、まあ、すぐ近くだから遊びには来てやるよ、たまにな!」
「それでもいいよ、おかえりナスベリ!」
「おかえりなさい、ナスベリさん」
スズも微笑み、控え目にナスベリの足に抱き着いた。あたしは今すぐにでもこの吉報を村中に伝えたい衝動に駆られている。
ああっ、でも腕が離せないわ。こんなことスズを初めて抱き上げて以来。何度でも何度でも言ってやるわ、この馬鹿っ。
「おかえり、ナスベリ!」
「いいから離せよ、わかったから! ただいまっ! ああもう、ただいまっ!!」
アイビー社長はそんなあたし達を見て「オサカにもいつでも遊びに来なさい」と言って笑った。こころなしか目の端が潤んでいるような気がする。
見た目は幼子なのに、ナスベリに向けるその眼差しは母親のように優しかった。




