二章・理解(4)
──いつの間にか眠っていたらしく、あたしはまた夢の中にいた。どうしてそれが夢だと自覚できたのかは自分でもわからない。
まず見たのは、リンドウの影に飲み込まれ、しばらくしてから目を覚ました直後の記憶だった。
「ここ、は……?」
真っ暗で何もわからない。あたしが戸惑っていると、やがて「光れ」という聞き覚えのある呪文が聴こえて頭上に光の玉が現れた。
「ナスベリ?」
「アタイしかいねーだろ、こんなの」
憮然とした表情で答える彼女。まあたしかに、村の子供で魔法が使えるのはこいつしかいないのだから確かめるまでもなかった。
周りを見ると他の子供達もみんないた。やはりリンドウの影に飲み込まれたのは現実の出来事だったのだと確信してナスベリを詰問する。
「なんなのよこれ? あんたのお母さん、あたし達に何をする気よ?」
「るっせーな、アタイだって知らねえよ。それよりいつまで握ってんだテメー」
「は? 何を……って、うわっ!?」
あたしはずっとカズラの手を握ったままだった。そのことに気付いて赤面しながら振り解くと、それがキッカケになって彼も目を覚ます。
「う、ん……? カタバミ……? ここ、どこ?」
「わ、わからないわよ」
「あれ? 遺跡の一番奥じゃないか?」
「だよな」
そう言ったのはナスベリの取り巻きの、あたし達よりも年長の少年達だった。遺跡って村外れの地下遺跡のこと? どうしてわかるのかと訊ねたら、来たことがあるからだって予想外の答えが返って来た。
「オレら男子は十二歳になったら必ずここに来るんだよ、度胸試しでな」
「度胸試しは橋から飛び降りるんじゃなかったの?」
「ばーか、それは十歳のだよ」
毎年そんな馬鹿なことをしてんのかと、あたしを始めとした女子達は心底男子共を軽蔑した。カズラは別だけど。
「あなたもやったの、サザンカ?」
「ああ、もちろん……って、レンゲ!? どうしてここに!?」
サザンカだけでなくあたし達も仰天する。読み書きそろばんが達者だという理由で大人達の買い出しに付き合ってトナリの街まで行ったはずのレンゲが、何故かそこにいたのだ。あの場にはいなかったはずなのに。
「馬車に乗って移動してる時に、何か黒いものに飲み込まれて……というか、私だけじゃないわよ」
その言葉で改めてみんなの顔を見渡すと、たしかにあの時決闘の場にいなかった顔触れまでもが全員揃っていた。リンドウは村中の子供をさらってきたのだ。
「おい、どういうことだよ?」
「お前らいったい何やらかしたんだ!?」
当然、巻き込まれただけの面々は混乱している。あの場にいたあたし達にはリンドウの仕業だとわかっているけれど、彼等は違うのだから。
「ナスベリの母さんに訊けよ! 俺達にゃわかんねえって!!」
「なんだよそれ、またあのおばさんの悪戯かよっ!!」
「いいかげんにしろよナスベリ!」
怒った連中はナスベリに食ってかかった。リンドウに対して怒ろうにも本人がいないのだから矛先がその娘に向くのは当然だろう。けれどナスベリが一言「あ?」と呟いて睨みつけると全員が簡単に押し黙ってしまった。
「アタイに文句があんのか?」
コォォォォと音を立ててナスベリの両手から冷気が噴出する。あれに触れられたらただでは済まない。
「い、いや、お前にじゃなく、お前の母ちゃんに……」
「だったら最初からそう言えよ」
「何言ってんの、あんたにも文句はあるわよ」
と、情けない男子達に代わって詰め寄ったのは、もちろんあたしだ。
「ああ?」
「何が『ああ?』よ? あんたのお母さんのせいでこうなってるんだから少しは責任ってもんを感じなさいよね!」
「カ、カタバミ……」
あたしの後ろでハラハラしているカズラ。そんな彼を背後に庇って、当時はまだあたしよりずっと背が低かったナスベリを真っ向から睨みつける。
「あんたの魔法なんてあたしには通じないわよ」
本当はもう腹巻型湯たんぽはぬるくなってしまっていたし、地下なので元々寒くて冬服でも身体は冷え始めていた。でも意地っ張りなあたしは絶対にナスベリとカズラにだけは弱い姿を見せたくなくて虚勢を張った。
そのうち、あいつの方から目を逸らして「しゃあねーな」と言った。
「アタイがいなくちゃ真っ暗闇のまんまだしな。助けてやんよ、ついて来な」
「偉そうに言うな」
先頭に立って歩き出した彼女の背中に、カズラの手を引いてついて行くあたし。レンゲ達も他の子供達をまとめて全員で遺跡の中を歩き始めた。
そのうちあたしは気付く。ナスベリの足取りには全く迷いが見当たらないと。
「待って、あんた、道知ってるの?」
「アタイも前に来たからな」
「ナスベリは女子で唯一この“試練”を潜り抜けた猛者だぜ。しかも八歳の時にだ」
「くっだらない」
本当こんなことをして何の意味があるんだか。こんな遺跡、ただちょっと暗くて気持ち悪いだけじゃない。
あっ、暗いといえば──行き先に次々と魔法の照明を灯してくれているナスベリへ問いかけた。
「あんた、いつの間にそんな魔法覚えたのよ」
おかげでさっきの決闘では逆転を許してしまった。予め知っていたならちゃんと対策を立てておいたのに。あたしはそれが気に喰わなかった。
すると、ナスベリは難しい顔になって唸る。
「う~ん、こないだいきなり母ちゃんに覚えろって言われて、これとあと二つ新しい魔法を覚えさせられたんだよな。絶対必要になるからって」
「え? じゃあ他にまだ二つも新しい魔法があるってこと?」
「ああ」
なんてこった。それじゃあ、ますますこっちが不利になるじゃない。なんとしても今のうちに情報を聞き出しておかないと。幸い、同じ境遇になった連帯感からか相手はいつもより口が軽くなっているようだ。あたしは慎重に言葉を選んで質問する。
「へ、へえ~、そりゃすごいじゃない。どんな魔法か知らないし、どうせあたしには通じないでしょうけど? でも新しい魔法か~、どういう魔法かしらね~」
「カタバミ……」
何故かカズラが妙に優しい目であたしを見ていた。他のみんなも同じ。
なに、なんなの? あたしなんか間違えた?
ただ一人、ナスベリだけは呆れたような表情であたしを見ていた。それから小さく嘆息して口を開く。
「別に。魔力ショーヘキっていう魔力で壁を作る魔法と、幽霊を浄化する魔法だけだよ」
「へえ」
幽霊云々は眉唾物だけど、魔力ショーヘキは厄介そうね。魔力の壁ってどんだけ硬いのかしら? ものすごく硬いとして、どうやって壊したらいいんだろう? あたしは真剣にその対策を考え始めた。
すると突然、背後で悲鳴が上がった。
「きゃあっ!?」
「なんだ?」
驚いて立ち止まったあたし達が振り返ると、列の半ばにいた女の子がガタガタと震えて怯えていた。
「なに、どうしたの?」
あたしが駆け寄って訊ねると、彼女はこう答えた。
「ゆ、幽霊! 今、そこの通路に幽霊が!」
ざわり、と空気が揺れる。他には誰もその幽霊を目撃してはいなかったけれど、その子の態度はとても嘘をついているようには見えなかった。
あたしは正面から彼女の目を見つめて諭す。
「しっかりして、きっと気のせいよ。暗くて不気味だから、怖がっていると全然別のものでも幽霊に見えてしまったりするんだわ」
この頃のあたしは幽霊なんてものを全く信じてはいなかった。だって一度も見たことが無かったから。自分の目で見るまでは信じられない、そういうタイプだったのだ。
「気を強く保って。道はわかってるみたいだし、必ずここからは出られるから!」
「う、うん、わかった」
あたしに励まされたその子は力強く頷いた。
だというのにその直後、またしても悲鳴が上がってしまう。今度は前方からだ。
「なんなのよもう」
あたしは振り返り、そしてその瞬間、くるりと手の平を返す。
目の前に、青白くて半透明な顔が浮かんでいたからだ。目玉が無くて歯茎は剥き出しで、とてつもなく不気味で虚ろな表情をした亡霊の顔がだ。
「ぎっ……」
『……』
あたしの目の前でその亡霊は小首を傾げる。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
と、あたしが女の子らしからぬ野太い悲鳴を上げた直後、それを合図にしたかのように次々と周囲の壁や床や天井をすり抜けて無数の霊達が這い出して来た。
「じょ、浄化ァ!」
焦った表情で魔法の光を放つナスベリ。その閃光に包まれた亡霊は苦悶の叫びを上げて消滅して行く。けれども後から後から際限無く湧き出してきてキリが無い。子供達は当然パニックに陥り、それぞれがてんでバラバラの方向に逃げ出してしまった。
──そこからのことは、あまり覚えていない。とにかくひたすら怖い目に遭って、気が付いたら全員が遺跡の外で倒れていた。多分リンドウがどこかであたし達を見ていて気を失うか何かしたらすぐに外へ運び出していたんだと思う。幽霊が急に見えるようになったのも彼女の仕業だったんだろう。
今ならわかる。あの人は多分、本当にあたし達を楽しませようとしていただけだ。実際あたし達は怪我一つせず、あの幽霊だらけの遺跡から逃げ出せたのだから。心には深い傷を負ったけれど。
その後、あたし達を探しに来た大人達とリンドウとの間で一悶着あったそうで、大人も何人かは深刻な幽霊恐怖症に陥り、村全体が魔女嫌いを悪化させた。
そしてこの一件以来、あたし達の決闘は行われなくなった。同じことをしたらリンドウによってまた遺跡送りにされるのではという恐怖が抑止力になったから。ひょっとするとそれも彼女の狙いだったのかもしれない。
でも、あたし一人が懲りなかった。というより、こだわっていた。どうしてもナスベリに勝ちたい。一度でいいからギャフンと言わせたい。そんな気持ちがあたしを突き動かし、何度も何度も彼女に戦いを挑ませた。決闘という形ではなく、男子がするような度胸試しだったり、すごろくだったり、時には料理勝負だったり、内容は多岐に渡ったけれど。
あたしはその全てで一度も勝てなかった。普段の言動のせいでそうとは思われなかったものの、あいつもうちの娘と同じ天才だったのだ。どんなことでもそつなくこなす器用な奴だった。もちろん種目を選ばず、あいつが一方的に不利になるような勝負を仕掛ければ勝てたかもしれない。でも、そんな勝ち方はプライドが許してくれなかった。
プライド……そうだ、あたしはそこにこだわっていたんだ。どうしても格好良くあいつに勝ちたかった。カズラを巡る恋敵だったからとか、リンドウに酷い目に遭わされたからとか、年下なのに生意気だからとか理由は色々あったけれど……一番は結局のところあの遺跡で見た姿だ。
幽霊が出てから後の記憶はほとんど飛んでしまっている。でも、そんなあたしの脳裏に鮮烈に焼き付いた光景があった。
たった一人で幽霊達に立ち向かい、みんなを守ろうとするあいつの背中だ。あれを見た瞬間、不覚にもあたしはあの馬鹿を格好良いと思ってしまった。あたしみたいな凡人では永遠に敵わない、物語の中の英雄のような存在だと。
それが悔しくて何度も挑み続けて、そのせいでリンドウに目を付けられて、あたしだけまた悪戯の標的になって怖い目に遭わされて、それでも諦められなかった。一度くらいはあいつに勝ちたかった。
だから、あの時──リンドウがトリトマさんを連れ戻すため村を出て行って、ナスベリまで後を追っていなくなってしまった日、あたしは酷く落胆した。もう二度とチャンスは訪れないんじゃないかと不安になって。
それからの日々は退屈だった。クロマツさんの言う通りだ。あたしは退屈だったせいでカズラの夢に便乗して村を出て、都会で遊び呆けていたんだ。全て忘れるために。あんな馬鹿にこだわる、もっと馬鹿な自分を黙らすために。