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二章・理解(2)

「あはははは! すごいすべる!」

「おにいちゃん、たすけてー! たてないっ!」

「こらこら、おめえらあんまり騒ぐな。魚が逃げちまう」

「お父さんも遊ぼうよ!」

「おとーさーん」

「サザンカ、オメーも来いよっ!!」

「いや、オメーらこそ釣れよ! 釣りしに来たんじゃねえのかよ!?」

 釣り好きのサザンカが嘆いている。彼の子供達とナスベリはあっさり釣りに飽きて別の遊びを始めてしまった。何をしているのかと言えば、バケツで湖から汲んで来た水を地面に撒いて魔法で凍らせ、即席スケートリンクを作ったのだ。その中心で魔法を使い続けているナスベリが反論した。

「バカ!! アタイがこっから動いたらすぐに溶けっちまうだろ!」

「わかったよ! じゃあオメエらは遊んでろ!」

 昼食のおかずを調達するという重要な使命を帯びているサザンカは不服そうな顔で別の場所へ移動して行った。彼がいないのは残念だしナスベリ一人にあの兄妹を任せっぱなしにするのも不安だけれど、今がチャンスかもしれない。

 あたしとスズ、カズラ、そしてレンゲの四人は湖を囲む森の中で食べられる野草や茸の類を集めていた。サザンカの釣果が揮わなかった時のための保険だ。ナスベリが急かしたので弁当なんかは用意する暇が無かった。

 サザンカには後でレンゲから説明してもらえばいい。そう判断して手を止めたあたしは娘に呼びかける。このためにモモハル君の反対を押し切ってついて来てもらったのだ。

「スズ、さっきの話の続きなんだけど」

「あ、うん。じゃあお父さん、レンゲおばさんも聞いて」

「なんだい?」

「どうしたのスズちゃん?」

 素直に集まって耳を傾ける二人。日頃の素行の良さがあってこそのこの信頼よね、うん。我が子ながら流石だわ。

「ナスベリさんのことなんだけど」

 と、出発前にあたしに耳打ちしたのと同じことを説明するスズ。それを聞いたカズラとレンゲの表情が見る間に曇っていく。そりゃそうなるだろう。なんせ──


「記憶障害?」


 ──なのだから。

「そんな、ナスベリが……?」

「多分、だけど」

 スズにもまだ確信は無いようだった。けれど疑う根拠ならある。

「ナスベリさん、さっき空を飛んで行こうって言ったでしょ? でも、それはおかしいの。ナスベリさんのホウキは一昨日の夜、墜落した時に折れちゃったから」

「それは……予備があるだけじゃ?」

「私もそう思って、さっき馬車の中で訊いてみた。でもナスベリさん、そもそもホウキが折れたこと自体を忘れてるみたいで、何度も呼び出そうとして首を傾げてた」

 半月前の事件以来あたし達も何度か見る機会があったけれど、魔女のホウキは持ち主がどこにいても呼びかけに応じて一瞬で手元に現れるらしい。

「距離のせいじゃないのかい? 宿に置いてあったなら離れ過ぎていたのかも」

「距離は関係ないわ。魔女のホウキは普通のホウキと違って半分幽れ……じゃなく、霊的なエネルギーと物質の中間に位置する存在で、普段は契約者の近くの位相のずれた空間に隠れているの。だからほら」

 と、スズはいつものように自分のホウキを呼び出してみせた。瞬間、あたしはビクッと震えてしまう。

「お母さん、大丈夫、幽霊じゃないから。半分それっぽい道具ってだけだから」

「そ、そうね、そうなのね、わかった、わかったわ」

 娘の言うことだもの、信じましょう。でもあたし、もう二度と魔女のホウキに乗りたいなんて思わないわ。本当はちょっと憧れてたんだけど。

「ここにいても呼び出せる……なら、たしかに距離は関係ないみたいね」

 レンゲも納得して頷く。その直後、はたと気付いて顔を上げた。

「待って。そういえばさっき“墜落”とか言わなかった?」

「あっ!」

 声を上げたのはカズラだ。彼には思い当たる節があったらしい。

「そうだよ、そういえばあの時、ナスベリは血まみれだったじゃないか」

 一昨日の夜、花火の音を聴いて心配になった彼はスズとクルクマさんを探して外へ飛び出し、同じく様子を見に外へ出たサザンカと合流してナスベリと再会した。その時に彼女が出血しているのを目撃したそうだ。

「あれって、その時に……?」

「うん、落ちた時に怪我したの。幸い大怪我ではなかったから私が治癒したけど、それが原因で記憶障害になった可能性もある」

「も?」

 カズラはそれを聞き逃さなかった。彼のおかげであたしとレンゲも気付いて顔を見合わせる。

 それはつまり、他にも可能性があるということ?

「やっぱり確証は無いんだけど……ナスベリさん、この村に来てから頻繁に何かの魔法を使っていると思う」

 スズはナスベリと初めて出会った一昨日の夜以降、何度かそれを感じ取ったと言う。何らかの魔法を発動させた気配。けれど見た目には何も変わっていないらしい。

 ただ、先程のホウキの件のようなおかしな言動が、その気配の後で散見されるそうだ。

「あっ、そうなんだよ、だから僕も……」

 カズラも一昨日の夜の酒盛りの時、その不自然さに気付いた。彼とサザンカはナスベリからこれまで十六年間何をしていたのか聞かされたのだが、どう考えても辻褄が合わない箇所が複数あったという。

「あの時はアルコールのせいで記憶が混乱しているか、あるいは気が大きくなったせいで話を盛っているんじゃないかと思ったんだけど……後からどうしても気になってね」

「だから、あたしにあいつを見ていろって頼んだわけね」

「うん」

 なるほど、これでようやく彼が無茶をした理由については納得できた。そりゃ幼馴染の頭がおかしくなっているかもと気が付けば心配にもなるだろう。

「これは推論なんだけど」

 スズは、この九歳とは思えないほど賢い子は、そう言って一つの仮説を述べた。

 記憶の部分的な欠落。言動の矛盾。正体不明の魔法の気配……それらの要素から魔女のこの子だからこそ辿り着けた答え。


「あの人は多分、自分の記憶を“凍らせて”いる」



 ──ナスベリと子供達が粘りに粘って長々と遊び続け、結局予定より大分遅れて村まで戻って来たあたし達は、そのまま馬車で村の教会裏の墓地まで赴いた。

 日が傾き始めた上、空が曇ってしまったせいで辺りは薄暗い。その中であたし達は二つ並んだ質素な墓石の前に集まる。

 片方はあたしの家のお墓。ご先祖様達と、両親と弟が眠っている。もう片方はカズラの家のお墓で、やはり彼のご先祖様と、両親とお兄さんと妹さんが眠っている。レンゲ達の家のお墓はそれぞれ離れた場所にあるので後で順番に訪れる予定。幸いにも二人の両親はどちらもまだ健在だから、中にいるのは先祖の霊だけだ。

(父さん、母さん、スイレン……おかえり)

 瞼を閉じると、死んだ家族の姿が脳裏に浮かんで来た。あたしには普段幽霊は見えないけれど、実在することは知っている。だからきっと帰って来てくれていると、そう信じていた。でも──好奇心に負けた。

「スズ、おじいちゃんとおばあちゃんとスイレンおじさんが見える?」

 この子になら見えているかもしれない。そう思って訊いてみる。

 娘は手を合わせたまま残念そうな表情で首を左右に振った。

「ううん、私にも見えない」

「そっか」

「もう生まれ変わったのかもしれないね」

 カズラの言葉にあたしも小さく頷く。それならそれでいい。あたしは家族の次の人生が幸せなものであるように祈り続けるだけだ。カズラもきっと同じだろう。

 それからあたし達はレンゲの家のお墓、サザンカの家のお墓と順番に拝んで回り、最後に打ち合わせ通り提案した。

「ナスベリ、あなたのお父さんの家のお墓にも行く?」

「……ああ」

 レンゲの言葉にゆっくりとした反応で答える彼女。墓地へ近付くにつれて口数が減っていって、中へ踏み込んでからはほとんど無言だった。表情にもいつものような生気が感じられない。

 こいつ、やっぱり……。

「さあ、ここだよ。皆で手を合わせよう」

 一つの墓石の前で立ち止まるカズラ。そのお墓はここにあるどの墓石よりも新しかった。本来この家のお墓は村の西側の山の上にあったからだ。それが十二年前の地震で失われてしまったため、ここに代わりのお墓を建てた。

 墓石の表面には亡くなった人達の名前が刻まれている。けれど、本来の墓石に刻まれていた名前の全ては村の人々の記憶に頼っても思い出せなかったため、この墓石には少数の名前しか彫られていなかった。

 その一番後ろに二つの名前を見つけたナスベリの表情が文字通り凍り付く。

「ナスベリ、あんたのおじいちゃんと、おばあちゃんは……」


 十二年前、あの地震で、あたしやカズラの家族と一緒に──


「知ってる」

「……」

「戻って来た日に空から見た。山の形が変わって、じいちゃんとばあちゃんの家も、畑も無くなってた」

 やっぱりそうだったのか。だからこいつは一度もそこへ戻ろうとしなかったのだ。

 もう誰も、待ってはいないと知っていたから。

「ナスベリ……」

「あんまり気ぃ落とすなよ……」

 カズラとサザンカが心配して声をかける。

 けれど、振り返った彼女は──

「ヘッ、なんだよオメーら、そのシケた面はよ?」

 酷く虚ろな目で笑っていた。

「だいじょうぶ?」

「ナスベリおばちゃん」

 子供達も心配そうに見つめた。ナスベリの表情は作り物の人形のように不気味な笑顔のまま固まっている。

「おう、こんなことで凹んだりしねえよ。アタイを誰だと思ってやがる」

「ッ!」

 その時、あたし達は気付いた。

 ナスベリの周囲にほんの少しだけだが、白い冷気が漂っていることに。そしてその目の端から零れ落ちた一滴の涙が凍り付いて落下したことに。

「あれ? なんだ今の音?」

「あんた……」

 自覚が無いの? これだけの異常に。

 けれど、おかげであたし達は確信した。スズの言っていた通りだと。

 ナスベリは自分の記憶を凍らせている。そして、おそらくは感情の一部まで凍結させて無理矢理自分を保っているのだと。

(冷やす魔法でそんなことまで出来るの……?)

 スズの話では、世の中には人の心や記憶を操る魔法というものがあるらしい。おそらくナスベリのこれもその類の魔法だろうと言っていた。冷やす魔法そのものではなく、そこから派生した全く新しい術なのではないかと。

 そんな魔法まで使って、こいつはどうして自分の記憶を封じているのだろう? 祖父母の死を悼んでいるのはわかる。けれどあたしやカズラだって家族の死を受け入れた。他のみんな、世の中の大半の人はそうだ。なのにこいつには、それがどうしても受け入れられなかったと言うのか?

「じいちゃん、ばあちゃん、ただいま」

 ナスベリは気楽な調子でそう言って、ほんの一瞬だけ、ふざけるように両手を合わせた。あたしはカッとなって詰め寄り、胸倉を掴む。

「あんたね!」

 せめて死者に対する敬意くらいきちんと払えないのか? そう言おうとした瞬間、間に誰かが割り込んで来た。

「お母さん!」

 小さな身体であたしを突き飛ばしたのはスズだった。同時にスズのかざした右手の先に光の壁が現れ、ナスベリの放った強烈な冷気を二つに割る。

「なっ!?」

「ナスベリ! 何してるのっ!?」

「あっ……」

 レンゲに叱責されて我に返るナスベリ。彼女の周囲にあるものはスズの魔法で守られたあたし達以外全てが一瞬で凍り付いていた。もしあれが直撃していたら──今さらながらゾッとする。

「ご、ごめん、そんなつもりじゃなくて……私……あ、れ?」

 急にふらりと倒れ込む彼女。サザンカが素早く動く。

「おっとお!?」

 彼が抱き留めたおかげで怪我は無い。けれど完全に意識を失ってしまったようだ。いや、これは──

「もしかして……やっぱりだわ」

 ナスベリの頭部に触れてみたあたしは昨夜のことを思い出す。死んだように眠っていたあの時と同じく、その部分だけが異様に冷え切っていた。きっとこれは記憶を凍結させる魔法の副作用なんだろう。

 つまり、昨夜も眠りながら何か辛い記憶を封じようとしていたのだ。

「とにかくうちに運びましょう!」

 いつも落ち着いているレンゲも、この時ばかりはあたし以上に困惑していた。それでもしっかり指示は出すのだから流石である。

「なあスズちゃん、コイツ、どうなってんだ……?」

「戻ってから説明します。とりあえずおばさんの言うとおり客室に。お母さん、私は先に家まで戻るね」

「え、どうして?」

 あたしの言葉にスズはナスベリを見つめながら返答した。

「ナスベリさんの力、私が思っていたより強い。周りに被害が出ないように客室に結界を張ろうと思う。だから必要な物を取って来るよ」

「なるほど、それなら僕も手伝おう。行こうスズ」

「頼むぜスズちゃん! よし、ナスベリはオレが運ぶから、レンゲ、オメエは先に行ってドアを開けてくれ。カタバミは子供らを頼む」

「わかった。二人ともおいで」

 たしかに、今のナスベリの近くにモモハル君とノイチゴちゃんを置いておくのは不安だ。あたしは子供達に駆け寄って少し離れた場所へ移動させた。

 その時、モモハル君があたしを見上げて微笑んだ。

「大丈夫だよ、おばさん」

「えっ」

 あたしはギョッとして自分の目を擦る。次の瞬間にはいつも通りのモモハル君だったが、何故か一瞬この子の瞳がいつもより透き通って見えたのだ。ガラス玉のように。

「おばさんなら、きっと助けられる」

「あたしが?」

 親しかったカズラやサザンカではなく、しっかり者のレンゲでも魔法の知識があるスズでもなく、あたしが、どうして?

 モモハル君はそれ以上何も言ってくれなかった。というより、どういう意味なのか問い質しても何故か彼は今しがた自分の言ったことを覚えていなかった。

 なにこれ、これもナスベリの魔法の影響?

 困惑しながらもあたしは二人を馬車に乗せて自分の家まで連れ帰り、入れ違いで家から出て来たスズとカズラにナスベリのことを託して、レンゲとサザンカからは兄妹のことを改めて任された。

「──さ、召し上がれ」

 そうして二人に夕飯を作り、お風呂に入れた後、絵本を読んで寝かしつけた。このまま今夜はうちで預かることになるだろう。

 ナスベリはどうなったのか……気にはなるものの、この子達を置いて行くわけにもいかない。いっそあたしも眠るべきか? けれど墓地でのあいつの姿とモモハル君の不思議な言葉が頭から離れない。

 おかげで気もそぞろだったあたしの耳に、ほどなくしてドアをノックする音が聴こえた。ひょっとしてナスベリに何かあったのではと慌てて玄関に走る。

 そしてドアを開くと、そこには予想外の顔触れがあった。

「こんばんは」

「こ、こんばんは」

 それはクロマツさんと、他数名の老人達だった。

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