序章・帰郷(2)
あれから二十一年……一旦は都会に出たあたしだったが、今は故郷の村に戻ってカズラと結婚。道具屋を開き、娘を一人育てながら幸せに暮らしている。人生たまには予想外の事件が起きたりもするけれど、今のところおおむね平和で楽しい毎日が続いていた。
そんな、ある日の朝。
「カズラっ!?」
懐かしい記憶と、その後に続く悪夢を見たあたしは飛び起きて周囲を確認する。昨日のことのように鮮明に思い出したせいで、ちょっとばかし頭が混乱していた。
(ベッド……? 子供の頃の……じゃなくて、今の……そうだ、あたしは三十一歳。もう十歳じゃない。窓の外が明るいってことは、朝なの? いつ寝たんだっけ……)
記憶を整理しながら現状を思い返す。昨日いつ就寝したのか思い出せない。
(えっと……夕方、みんなに送る手紙を書いていて、そろそろ晩御飯を作らなくちゃって思ったところで、あの子が帰って来たのよね? それからたしか……あっ!?)
ようやく全部思い出したあたしは慌てて愛娘の姿を探す。
「スズッ!? ──って」
「んう……?」
ホッと胸を撫で下ろす。探すまでもなくスズランは隣で眠っていた。見たところ怪我もしていないようだ。
「よかった……無事だったのね。三柱様、ありがとうございます……」
娘を見守って下さっていたであろう神様達に感謝の祈りを捧げる。こう見えてあたしは信心深いのだ。
で、昨日何があったのかというと娘の帰宅直後のことだ。この子から突然「幽霊退治を引き受けた」と聞かされたあたしは心配しすぎて意識を失ったのである。恥ずかしながら幽霊や怪談の類には滅法弱い。
その原因は……ああ、だからあんな夢を見たのね。原因はあの“やりすぎ肝試し”事件なのだ。あの時に魔女リンドウの策略で大量の幽霊に追いかけられてしまい、以来、幽霊とかそういうものを想像するだけで身体が震えるようになってしまった。実際今も小刻みに振動している。
でも、娘がここにこうして寝ているということは村長からの依頼は無事に達成できたのだろう。この子自身が昨日「平気だよ」と言っていた通りになったわけだ。まずは一安心と言うべきか。
それでも、この不甲斐ない気持ちは拭えない。あたしには何もしてやれなかった。
(ごめんね、スズ……本当なら抗議して依頼を取り消させるべきだったのに……あたしは駄目なお母さんだね)
「んん……?」
(っとと)
無意識に髪を撫でてしまっていた。危うく目を覚ましそうになったので慌てて手を離す。昨夜は遅くまで頑張ったのだろうし、今日くらいゆっくり眠らせてあげたい。いつも畑の手伝いだのなんだので早起きさせてしまっているし。
(それにしても、ほんと綺麗な子だわ)
まじまじと我が子を見つめ、改めて感心する。夢の中で久しぶりに思い出したあの魔女の親子も美人だったけれど、この子の場合、親の贔屓目を抜きにしてもさらに輪をかけて綺麗な顔立ちをしていると思う。まるで女神様が手ずから拵えて下さったかのよう。
今は閉ざされているこの瞼が開くと、大きくて海のように深い青色の瞳が現れる。長いまつ毛の一本一本が理想的な曲線を描き、その周囲を艶やかに縁取っていた。ふっくらとしてそれでいて小さな唇は化粧無しで自然に優しく色づいている。毎日の畑仕事で日焼けした肌は、それでも触れるときめが細かく、同時に若々しい張りに満ちていた。
でも、なにより目を引くのはこの白い髪だろう。年を取って色が抜け落ちただけの老人のそれとは全く異なる。どんな上質な絹より滑らかで艶があり、日の光を受けると何故か虹色に輝くのだ。夫が言うには、この子の微妙に透き通った髪が偶然プリズムと同じ働きをしているからではないか、とのこと。あたしには難しい理屈はわからないけれど、その透明な三角柱は陽光を七色に分ける力を持つらしい。
まあ、そんな特別な容姿でなくたって、あたしにとってこの子は他の全てと引き換えにしたって惜しくない宝だ。だからこそ昨夜気絶してしまったことが悔しい。
そういえば、この子がまだ赤ちゃんだった頃にも一度、散歩中に幽霊に遭って気絶したことがあった。しかもスズを抱いたままだ。幸運にも何事も無かったけれど、もう二度と同じ過ちは繰り返すまいと誓った。なのに結局また同じ結果になってしまうなんて本当に不甲斐ない。
でも流石だなとも思った。あたしなんかが守らなくたって、この子はちゃんと自分の力で幽霊に対処できたらしい。そもそもそれが可能な能力の持ち主でなければ、村長だって九歳の子に幽霊退治を依頼したりはしないだろう。今さらながら本当に凄い才能を持って生まれた“魔女”なのだなと痛感する。
魔女──魔法使いの女性を指す呼び名。知人に曰く、魔法使いの数はそれほど多くないらしい。魔法の才能は親から子へ受け継がれるもので、魔法を使えない両親から生まれた子が魔法使いになることは絶対に無い。片親だけ魔法使いの場合も確率は半々でなかなか数が増えないのだそうだ。最近ではむしろ減少する傾向にあり、大陸全体でも総数は千人程度になっているという。
あたしは最近、その内の一人が我が子スズランだと知った。半月前、村が巨大な怪物に襲われるという前代未聞の大事件が起きたからだ。この子は自分の身と村のみんなを守るため、それまで秘密裏に習っていた魔法を使って山のように大きな蜘蛛の怪物を命がけで退治してのけた。
(まさか、あそこまで出来るなんてね)
驚いたけれど、同時に納得もしていた。あたしと夫は、いや、村のみんなは知っていたからだ。この子が実の親から引き継いだかもしれない恐るべき資質のことを。
あたしとスズ、そして夫とスズの間にも血の繋がりは無い。この子は赤ん坊の時、何者かの手でこの村に置き去りにされた捨て子だ。どれだけ探しても親は見つからず、犯人は現場に残されていた証拠から、どこかの魔女だろうと推測された。
その後、あたしと夫がスズを引き取ったわけだが、この子が五歳になった時、スズランに瓜二つの魔女と友人で、行方不明になったその少女を自分も探しているのだという商人さんに出会った。
彼女──表向き、ただの商人として活動している魔女のクルクマさん──は、あたし達に配慮したのか実母の正体をぼかして話していたため、彼女と出会った時にはまだ“性格の悪い魔女”がスズの母親だという断片的な情報しか得ることはできなかった。
けれどそれから数日後、前任者と交代で赴任して来た新しい衛兵隊長さんに呼び出され、何事かと思って恐る恐る赴いたあたし達夫婦は、ようやく知ったのだ。この子の実の母親の正体を。
それは“最悪の魔女”と呼ばれる少女。
名前はヒメツル。
その悪名はこんなド田舎の村にも知れ渡っていた。生来の美貌を利用して貴族や商人を誑かし、財産を巻き上げては派手にばら撒き使い潰したという稀代の悪女。それと同時に、どんな高名な戦士や魔法使いでも太刀打ちできない桁外れの魔力の持ち主だったとも。
さらに宗教嫌いを公言していた彼女は、ある日、突然三柱教の聖地メイジ大聖堂に放火。これを焼失させてしまい、魔法使いの天敵と言われる聖騎士団の討伐対象になった。
ところがその聖騎士団まで返り討ちにした挙句、大陸最大の宗教とその信仰対象である神様に宣戦布告。教会の権威を失墜させた上、三柱に喧嘩を売った魔女として若干十七歳で悪の三大魔女の一角に名を連ねた。あたしのような凡人から見たら破天荒にも程がある人生だ。
ところがその直後、忽然と消息を絶つ。
あたし達は、何故これまで気が付かなかったのかと不思議に思った。クルクマさんから聞いていた実母の性格と噂に聞いていたヒメツルのそれは完全に同じだったし、彼女が姿を消した時期も村にスズランが捨てられた頃と極めて近い。
なにより、新しい衛兵隊長が証拠として取り出した手配書の似顔絵はうちの子と瓜二つだった。実の親子でなければ説明が付かないほどに。不思議なのはそこで、あたしと夫は仕入れのため頻繁に街まで出るから一度や二度は同じ手配書を目にしていたはず。なのに、どういうわけかこの瞬間まで本当に全く気が付けなかった。
そして驚いているあたし達夫婦に、新隊長のノコンさんが提案した。
『このことは秘密にしましょう』
彼は赴任した直後からスズの秘密に気付いていたらしい。念のため村人達から娘が捨てられた当時の話を聞き出し、手配書に書かれている情報と自分の聞いた噂を照らし合わせ確信に至ったのだと言う。
けれど真実を知った彼は思い悩み、前任者の家を訪ねて相談した。すると前の隊長さんから無意味なことをするなと叱りつけられたそうだ。
『親の罪は親のもの。子供に背負わせる必要は無い。上に報告したところで誰も幸せにはならんぞ。それとも懸賞金目当てに小さな子を教会に突き出すつもりか? お前は本当にそうしたいのか?』
そんなわけがない。そう思ったノコンさんはスズのことを決して外部には漏らさないと固く誓った。
実は他の兵士さん達も同じだった。前隊長の時からスズの素性には気付いていて、それでもずっと黙っていてくれたのだと、その時になって初めて知った。
とはいえ完全に秘密を秘密のまま保つことは難しく、この子が七歳になる頃には実母の正体は村中に知れ渡ってしまっていた。その上で通報したりせず、あたし達一家をずっと守ってくれているのだから、みんなには本当にどれだけ感謝しても足りない。あたし達の人生は優しい人との出会いに恵まれている。
そして、そう──だから半月前の事件でこの子が初めてみんなの前で魔法を使った時にだって、あたし達はさほど驚かなかった。
いや、もちろん驚きはした。いつ魔法を習ったのか全然わからなかったし、予想以上に凄まじい力だったから。でもスズの実母のことはみんな知っていたし、いつかはそうなるかもしれないと覚悟を済ませてあったのだ。この子の身体に流れる“最悪の魔女”の血が母親と同じ道へ引き込むこともありえるだろう、と。
もっとも、幸いにして性格までは遺伝しなかったらしい。あたし達のスズランは実母と違って良い子に育ってくれた。しっかり者で、働き者で、優しくて、可愛らしくて、村のみんなから好かれている。そうでなければ、あんな大事件に巻き込まれた後でなおも村に留まることを許されたりはしなかっただろう。あたし達親子が今も村に住めているという事実そのものが、この子の素晴らしさの証明になっている。
「あなたはあたし達の自慢よ、スズ」
まだ眠っている我が子の耳元で囁き、柔らかいほっぺにキスをする。たとえ血の繋がりが無かろうと魔女だろうと、この子はあたしとカズラの子だ。もし次の機会があったなら今度こそ幽霊でもなんでも決して近付けさせはしない。
──いや、違う。そうじゃないな……あたしはすぐに思い直した。優しいこの子は村のみんなが困っていたら今後も放っておけないだろう。だからスズがそうしたいと言うのであれば、あたし達がその手伝いをするのが正解なんだ。あの事件の時のように、みんなで力を合わせれば大抵の問題はどうにかなるはず。あたしはそう信じている。
(とりあえず今回は、頑張ったごほうびを用意しなくちゃね)
久しぶりに朝からパンケーキでも焼いてあげようか。バターとハチミツをたっぷり上にかけて果物とジャムも添えよう。それともムオリスがいいかしら? 甘辛く味付けした米を半熟の卵焼きで包む料理。スズはあたしの作るあれが大好きで、今よりも小さい頃には良くおねだりされた。おかげでムオリスに関してだけならあたしは隣のサザンカより上手になってしまったくらいだ。
どっちにしよう? いっそ両方? 食べ切れなかったらあたしと半分ずつにしたらいい。そんなことを考えながらベッドから降りて寝室を出る。
するとそこへ──
「ぃよう! 起きてるか~、カタバミ~っ!!」
「た、たらいま……」
突然玄関のドアが開け放たれ、二人の酔っ払いが家の中に押し入って来た。といっても片方はうちの旦那だ。酒に弱いから滅多に飲まない人なのに今はベロンベロンに泥酔している。
そして、その夫の頭を小脇に抱えている陽気な巨乳の女は──まったく手入れしている様子が無いあの長いボサボサ髪は、まさか!?
「帰って来たぜえ、アタイがよう!!」
「ナスベリっ!?」
それがあたしと宿敵“氷兇の魔女”との、十六年ぶりの再会だった。




