七章・氷兇の魔女(2)
「スズちゃん!?」
クルクマは咄嗟にスズランを守ろうとした。彼女がこの状況でどうするかなど火を見るより明らかだから。
だが自分の魔力では弱すぎて、あの距離まで障壁を届けられない。届いたところで圧倒的に出力で勝るナスベリの術を受ければ脆く砕け散るだろう。
虫達も無理だ。ナスベリから放出される冷気のせいで動きが大幅に鈍ってしまう。
次の瞬間、スズランが無数の魔法の直撃を受けた──ように見えた。
だが違う。彼女は無事だ。
「よくやった!」
涙目で拳を突き上げるクルクマ。ナスベリの魔法は一つも当たらなかった。魔力障壁で防いだからではない。彼が掻き消してくれた。
「モモハル!?」
「あれ?」
スズランの窮地に、また無自覚で空間転移を発動させたのだろう。モモハルが目の前に割り込み“加護”で己を盾と化した。
そして、カタバミは──
(怖い怖い怖い! これが、魔法使いの戦い!?)
先日のあの巨大な怪物との戦いより、よほど強烈な恐怖に見舞われていた。相手が人間だからこその生々しい感覚。子供の頃のケンカとは全く違う。放たれた魔法の一つ一つに殺意を感じた。
もうここで立ち止まりたい。
逃げ出したい。
でも、目前にまで迫った姿が目を背けることを許してくれない。
「ナスベリ!」
「ッ!?」
冷気と粉塵を割って宿敵の前に躍り出る彼女。カタバミは我が子を信じた。スズランも当然のように全力で彼女を守った。でなければ魔道士としての本領を発揮したナスベリにここまで近付くことなど不可能だったろう。
そのまま体当たりを仕掛け、相手を地面に押し倒す。
「ぐっ!?」
「このっ……!!」
仰向けになったナスベリの上に素早く馬乗りになり、拳を振りかぶる。ナスベリの全身から放出される冷気のせいで触れた箇所が凍り付くほど冷たく感じたが、スズランの護符のおかげで少しの間なら耐えられそうだ。
「なっ……おい、ちょっと待て!?」
「まさか」
「よさんかカタバミ!」
揉み合っていた村人達とキンシャ騎士団も決着の気配を感じ、一斉に振り返る。老人達は焦った表情で手を伸ばす。
けれどカズラとサザンカは違った。いや、レンゲもだ。
彼等は二十五年前のあの日、全く同じ光景を見ている。レンゲはカタバミの性格を良く知っている。
──案の定、カタバミは握った拳を振り下ろさず、ただナスベリの肩に置いた。それを見てホッと息をつく一同。
そう、彼等はナスベリを叩きのめしに来たわけではない。
「あんた、どうしたのよ?」
「なに、を……?」
てっきり殴られると思って覚悟を決めたナスベリは、信じられないものを見るような目でカタバミを見上げた。
こつこつと音を立て、氷の粒が落ちる。
カタバミの流した涙が凍って落ちる。
「なんで、そんなに辛そうなの? 村を出てから何があったの? そもそもどうして急に出て行ったのよ……」
少女時代、カタバミにとってナスベリは宿敵だった。
だからこそ、いなくなった時、ぽっかりと胸に穴が空いた。
彼女が一度ココノ村を捨てたのは、カズラが大学へ行ったことや、強引に結婚させられそうになったことだけが理由ではない。
ナスベリがいなかったからだ。カズラを挟んでずっと睨み合って来た幼馴染が、不意に姿を消してしまったせいだ。
張り合いが無くなり、村にいても何もかもがつまらなくなった。
「教えてよ……あんた本当に記憶が無いの? 本当は忘れてるふりをしてるだけなんじゃない? あたし達を恨んでいて、だから村を潰してしまいたいの? それとも、どこかで忘れたいほど辛い目に遭ったの……?」
「私、は……」
ナスベリは、もう記憶を取り戻している。
けれど記憶凍結の術が、また全ての記憶を封じようとしていた。
きっと後少しで何もかも忘れてしまう。彼女達との思い出だけでなく、ビーナスベリー工房での日々のことも全て。
後に残るのは空っぽの抜け殻だけ。そう、二十年前のあの日のように。
(すいません、社長……今回の仕事には失敗しました。それにもう、お役に立てません)
だから、せめてその前に伝えよう。もう一度記憶の扉が閉じられてしまう前に一言でも多く彼女達へ言い遺そう。
「……カタバミ」
「え?」
「心配しなくていい。アイビーは、社長は良い人だ。厳しいけど優しい人なんだ。きっと酷いことなんてしないよ。今回のこれだって、絶対に皆のためにしてることさ。あの人を二十年も近くで見て来た“アタイ”が保証する。信じていい」
そう、森妃の魔女は全人類の母のような人。彼女にとっては誰もが我が子。ここで自分が倒れても、ココノ村の住民を害することなどけっしてありえない。
「村がそのまま存続できるかまでは、私にもわからない。けど、アイビー、なら……」
駄目だ。思考がどんどん鈍る。記憶の凍結が進んでいる。大好きだった少年の名を再び忘れてしまった。工房で可愛がっていた部下達の顔も思い出せない。
ああ、でも、必死で後回しにしている。彼女のことだけは、自分の脳も簡単に忘れたくないらしい。
「カタ……バミ、ごめん……あの時、黙って、いっちゃ……って」
最後に脳裏に浮かんだのは、村の子供達全員で恐怖に立ち向かった“あの夜”の思い出だった。
『しっかりしろカズラ! 疲れたんならオレがおぶってやる!』
『カタバミ! 走って走って! 早くっ!!』
『あああああああああああああもう! なんなのよ!? なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ!? 大丈夫あんた達!?』
『カタバミねえぢゃん、ありがどおおおおおおおおおっ!』
『死ぬかと思ったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!』
『死なねえよ! みんな、アタイについてこい! 絶対ここから出て、うちの母ちゃんをとっちめるぞ!』




