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一章・日々の幸福(1)

 ──二十五年前。


「おい、また始まったぞ!」

「ナスベリとカタバミの決闘だ! 急げっ!!」


 大陸東北部タキア王国。その外れ、南の国境付近に位置する広大な森林と小さな山々に囲まれたココノ村は娯楽に乏しい農村だ。だから当時の子供達にとって二人の決闘は数少ない楽しみの一つだった。

 もちろん全員がそうだとは言わない。例外もいた。たとえば今も必死に止めようとしている優し気な風貌の少年。彼の名はカズラという。


「駄目だよカタバミ! ナスベリもやめて、僕は気にしてないから!!」


 このケンカの発端は、カズラがナスベリの手で橋から突き落とされ、右手首を捻挫したことだった。彼の腕に巻かれた痛々しい包帯を見るたび、隣家の幼馴染カタバミの怒りはさらに激しく燃え上がる。


「あたしが絶対カタキをとる!」


 当時カタバミは同世代間で一・二を争うほど背が高く、いつも両親の畑仕事を手伝っていたことにより腕力も強かった。

 なのに、一度も勝てなかった相手がいる。それが因縁の宿敵ナスベリ。


「また泣かしてやるぜ、デカ女!」


 黒髪黒目。ボサボサ頭。少女なのにいつも男物の服を着て男子とつるんでいる変わり者。この日も背後に村の悪童達を従えて仁王立ち。自分より一つ下で背だって低いのに、常に生意気で偉そうな態度。それもカタバミにとって気に喰わない。


「やっちまえナスベリ!」

「連勝記録更新だ!」


 最年長で十五歳の悪ガキ軍団。それが当時九歳だったナスベリの取り巻きとして彼女を応援していた。対するカタバミの後ろにいるのは大半が女子。ナスベリ一派の悪逆非道の振る舞いに堪えかねた被害者の会である。


「がんばってカタバミ!」

「今日こそケチョンケチョンよ!」


 スカートをめくられる。着替えを覗かれる。カエルを投げつけられる。ぬいぐるみの顔にヒゲを描かれる。敵軍がここ数日だけで働いた数々の蛮行に対し、他の女子達の我慢も限界に達していた。

 大人に告げ口するという平和的な解決手段もあることにはあるが、実行までに長い時間を要することが多く、さらに男子とナスベリはどれだけ叱られたって懲りない生き物だとこれまでのことで証明済み。

 それに、やはり自分達の手でガツンとやってやらないと気が済まない。一度でも痛い目に遭わせてやれば、少しは相手も礼儀を弁えるようになるだろう。

 ただし集団戦はご法度。何故なら以前同じような状況で村中の子供が激突した時、激怒した大人達から数日に渡り説教を繰り返され、ナスベリ除く女子全員のトラウマになったから。あれだけは二度と繰り返したくない。

 なので、以降は揉め事が起きた場合、双方から代表を一名ずつ選出して決闘することになった。

 そもそも女子はただでさえ体力腕力の面で不利なのだ。男子達が徒党を組んでかかってきたら勝てるはずがない。

 けれど一対一に持ち込めたなら勝機はある。そう踏んでこちらから提案した方式だった。男の子はたいてい騎士の馬上試合や魔法使いの力比べに憧れる。だからこの案を拒絶する可能性は低いと思ったし、案の定、彼等は目を輝かせて話に乗ってくれた。


 いつもこう素直だったらいいのに。女子一同は揃って嘆息した。


 しかし、それでも多少の勝機が生まれたという話でしか無く、結局彼女達はまだ一度も勝てたことが無い。敵の代表がいつも決まってナスベリだから。女のくせに男達の味方をする小さな怪物。

 ナスベリは小柄ながらも運動神経抜群で、おまけに彼女にしかできない卑怯な戦法まで使って来る。それをどうにかしない限りカタバミ達に勝ち目は無い。

 つまり──


「今日は勝てる!」

「そうよ、絶対勝てるわ!」

「が、がんばって! ハァ……ハァ……」


 今回、カタバミには秘策があった。うちわで必死に扇いでくれる友人達の目も希望の光で輝いている。それだけ自信のある切り札なのだ。

「えっと、いいか……? じゃあ、はじめ!」

「いや、止めてよサザンカ!」

 カズラと同じく同世代の幼馴染サザンカは、わけあってこの両軍のどちらにも加わらず中立を保っていた。今この場にいないレンゲに嫌われたくないからだ。男子にも女子にも味方できず板挟みの立場で苦しんでいる。でも、それならせっかくだから公正な判定をしてくれと頼まれ、審判役に起用されてしまうことが多い。


 村の中央の広場、そこに全員が集まったのを確認してサザンカが合図を出す。子供達は一斉に主役の二人から離れ、共に輪を作った。これでもう決着がつく瞬間まで双方この場から逃げ出すことはできない。


「ヘッ、また暑苦しい恰好してやがる」

「あんたのせいでしょうが」

 だらだらと汗を流しつつ切り返すカタバミ。この夏の盛りに冬服を着ていて、さらには手袋マフラー耳当て帽子と防寒具まで完備している。事情を知らない人間が見たら正気を疑うだろう。けれど目の前のじゃじゃ馬と戦うにはこれだけの装備が不可欠なのだ。

「かかってこい!」

「いいぜ、お望み通り冷やしてやるよ!」

 吠えたナスベリの両手から白い冷気が立ち昇り始める。これこそが厚着の理由。彼女は母親から教わった“冷やす魔法”で相手の身体、特に腹部を集中的に冷却して戦闘不能に追い込む卑劣な戦法を用いるのだ。腹冷えで強烈な便意を催したら誰だってケンカどころではない。勝負を放棄するか降伏して便所に駆け込むことになる。そうやってナスベリは若干九歳の少女ながら、村の子供社会の頂点に立った。


 ついたアダ名は氷兇(ひきょう)の魔女。


「くっ……」

 夏の熱気と冷気がぶつかり合い、風が生じる。その冷たい突風はカタバミの冬服の裾をバタバタとはためかせた。周囲の女子達も慌ててスカートを押さえる。


「ぎゃああああああああああっ!?」

「何すんのよナスベリ!」

「自分だけズボンだからって!!」


 逆に男子達は大興奮だ。


「出たっ、ナスベリの“超極寒凍結地獄大魔法(すごくさむいやつ)”!!」

「あれを腹に喰らって無事だった者は一人もいないっ!!」

「でも、すずしー」

「夏にはありがたいねー」


 違う意味で喜ぶ子達もいた。たしかに最近やたらと暑いし、こういう時ならありがたい魔法かもしれない。一人だけ冬服のカタバミも楽になった。もちろん、感謝するつもりは無いけれど。

「ヘヘッ、これを見てもまだやる気か?」

「あたりまえでしょ!」

「ばかめ、アタイの“ぐんもん”にくだれば、毎日冷凍みかんを食わせてやるのに。じいちゃんの畑のみかんを好きに食っていいって言われてるからな!」

 魅力的な提案ではある。でも、今日は何を言ったって心が動かされることは無い。カタバミの頭だけはまだヒートアップしたままだから。

「うるさい! いいからまずカズラにあやまりなさい!」

 彼女がそう言って睨みつけると、珍しくナスベリは動揺した。

「な、なんでだよ! アタイは、ただアイツと遊んでただけで……」

「アンタが橋からおっことしたんでしょうが!?」

「いや、それは……その……」

 彼女が言葉に詰まったのを見て、取り巻きの一部が代わりに声を上げる。

「弱虫カズラが悪いんだろ! 他の男はみんなできるんだぞ!」

「そうだそうだ! 橋からの飛び込みはこの村の男なら絶対やらなきゃいけない“つーかぎれい”だって、うちの兄ちゃんも言ってたかんな!」

 すると彼等のその言い分にナスベリも便乗した。

「そ、そうだ! だからアタイは手伝ってやったんだ! おかげでアイツは一人前の男になれたんだぞ! 良かっただろ!」

「ふざけんな!!」

 もう頂点だと思っていた怒りは、それを聞いて臨界を突破する。

「そんなのあんたら馬鹿が勝手に決めた話でしょ! くっだらないことに、あの子を巻き込むんじゃないわよ! 怪我までさせやがって!」

 彼女とカズラは同い年。けれど、大人しくて可愛い彼は当時の彼女にとって大切な弟分だった。その弟分を傷付けられた挙句にこの物言い、到底許せるはずがない。

「それにカズラは弱虫じゃない、病弱なだけよ! 絶対あやまらせてやる!!」

「んなこたわかってらあ! ああもう、あいかわらずテメーはムカつく!! また泣かせてやんよ!!」

 走って正面から間合いを詰めるカタバミ。拳を構えて迎え撃つナスベリ。その構えからパンチが繰り出されると予測した瞬間、小柄な身体がくるりと回転して蹴りを放ってきた。ガンッという音が響き、双方の動きが止まる。

「よし、決まった!」

「カタバミ!?」

 腹にナスベリの靴がめり込んでいる。たしかに綺麗に決められてしまった。

 しかし次の瞬間、驚いて表情を変えたのはナスベリの方。

「なっ……なんだ!?」

「隙あり!」

 カタバミはすかさずナスベリの足を両手で掴み、力を込めて引っ張った。小柄な身体がふわりと宙に浮かぶ。そして、そのまま体重差と腕力に物を言わせて投げ飛ばした。

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