五章・夢中の茶会(2)
──そうか、その通りだ。言われてようやく気が付いた。カタバミの目から涙が溢れる。
自分達はいつの間にか、まだ八歳の子供に依存していた。大きな力を持つこの子に任せようとしていた。故郷が、思い出が失われてしまうかもしれないその時に、命運を彼女に託そうと頭のどこかで考えていた。
カタバミは屈み込んだスズランの肩に腕を回し、抱き寄せる。
「ごめんねスズ……その通りだわ。今回はあたし達が、ナスベリを傷付けてしまった大人が勇気を出さなきゃいけなかったのよね」
そんなカタバミの背中に手を回し、スズランも母を抱く。
「大丈夫、お母さまはちゃんと気が付いていました。聴こえてたんですよ皆に怒った時の言葉。誇らしかったです。私は貴女の子になれて良かった」
次の瞬間、カタバミの意識は急に何かに引き寄せられ、スズランから離れた。
「スズッ!?」
「怖がらないで、ただ目を覚ますだけ。それに夢ですもの、ここでのことは目を覚ました途端に忘れてしまいます。でも、これだけは絶対忘れないで。お母さまはそのままでいい。きっと、そんな貴女だからナスベリさんのことも救えるはず」
救う? 救うべきはココノ村ではなく、あの子の方?
「同じことです。だって、私達は──」
スズランが何か言いかけたその時、しかしカタバミは完全に白い世界から弾き出されてしまう。
残された彼女は憤慨した。
「ああもう、残り一言分の時間くらいくださいな」
まあ、しかたがない。この世界に来られるのは本来、あの未来予知の魔導書を解読した人間だけ。そのルールを曲げて強引に呼び込んでもらったのだから。
それに、伝えたいことはきちんと伝えられた。
『いいのか?』
頭上からの声に振り返るスズラン。そこには巨大なガラスの目玉が浮いていた。
眼神アルトライン。過去現在未来の全てを見通す力を持ち、未来予知の魔導書を読んだ者に神託を授ける神。さらに言えばココノ村のモモハルを祝福し、願望を実現する厄介な能力を与えたのも彼である。
スズランはそんな神の姿を見上げ、小さく頷いた。
「ええ、お母さまに言った通り、私は今回裏方に徹します。親切に解決法を教えてくれた貴方には悪いと思いますが」
『それは構わない。君は以前にも言った。自分のやりたいようにやると。私もそれを容認した。しかし、この選択は……』
「成功率が低い……ですか?」
『低いのではなく、皆無だ。彼女達に今回の一件を解決することは──何?』
急に驚く彼。そして瞳孔を拡げ、目の前の少女に畏怖の眼差しを向ける。
『未来が変わった。結末のわからない不確定な状態へと。こんなことは“崩壊の呪い”に関わる予知以外では初めてだ。君はこうなるとわかっていたのか? いや、そもそも何故こんな現象が……』
「わかるはずないでしょう? 私の未来予知は、あくまで貴方の力を借りたもの。貴方が知らない未来なら私だって知りません」
『たしかに。だが、どうして……」
「もしかしたら、信じているからかもしれませんね」
『信じている?』
「魔法使いにとっては、それが一番大切なのです。たかが呪文と魔力だけで奇跡を起こすには意志を強く持たねばなりません。より深く、もっと強く自分や誰かの可能性を信じてあげられた者だけが“彼”に願う資格を……あれ?」
スズランは急に額に手を当て、何かを振り払うように頭を振る。
『どうした?』
「いえ、夢の中だからでしょうか、私も少し思考が散漫になっているようです。おかげでわけのわからないことを口走ってしまいましたわ。
ともかく、そういうこと。私はお母さまを信じています。もちろんお父さまも、レンゲおばさまやサザンカおじさまも、村の皆を信じられます。だって、この“最悪の魔女”を愛し、八年も見守ってくれた人達ですもの」
ココノ村の住民全員が、すでに自分を“最悪の魔女の娘”だと知っている。正確には娘でなく本人なのだが、今はそんなことはどうでもいい。
大切なのは彼等が、ずっと昔からその設定を知っていた事実だ。
ゲッケイの一件の後、クルクマも交えて村全体で話し合いを行った時に知った。三歳になった頃には気付かれていたらしい。それはそうだ、ヒメツルの手配書は大陸全土に配布されている。成長して顔が似て来たら自然とわかる。
誰も確信はしていなかった。でも万が一のために口裏を合わせていた。最初に気付いたのはノコンの前任の衛兵隊長で、彼は部下達にけっして外部へ情報を漏らすなと緘口令を敷いたという。
さらに後任として王都からやって来たノコンにも事情を打ち明け、頼み込んだ。
『親が何者だろうと子に罪は無い。だからあの子をそっとしておいてやってくれ』
ノコンはその願いを聞き入れ、引き継いだ隊の仲間と協力し、引き続きスズランの正体が露見しないよう手を回してくれていた。配布された手配書を隠し、外から来た人間には常に目を光らせ、観察した。幸いにも誰かに気付かれたことは無いらしい。何か不思議な力が働いているかのように、誰もスズランの正体を知ること無く立ち去って行く。例外は元々ヒメツルと関わりのあったクルクマと、半月前に現れた怪物だけ。
もちろん村人達も手を貸した。彼等も衛兵隊と団結し、今の彼女の生活を守ってくれていたのだ。当人には何も悟らせることなく。
だからそう、ココノ村で過ごした八年の幸せな時は全て彼等の善意によって成り立っていたと言っても過言ではない。
「私は、めいっぱい村の皆を愛しているつもりでした。でも、まだまだ足りません。この程度では、あの人達から受けた愛情の万分の一も返せていません」
そんなにも愛してくれた人々が困っているのだから、できれば助けてあげたい。けれど、時には不必要に手を出さないことも愛情なのだと今は知っている。
「モモハルとの出会いも無駄ではありませんでしたね。あの子は本っ当に手がかかりますもの、世話を焼く私の方も成長できましたわ」
『役に立てたようでなによりだ』
「今のは皮肉です、元凶」
『こちらもだ』
やれやれ、この神様も口が減らない。肩を竦めるスズラン。流石はゲッケイと長年やり合ってきただけある。
彼によると天国と地獄は実在しているらしい。創世神ウィンゲイトが死者の魂に人生を振り返る時間を与え、場合によっては更生を促すべく創り出したそうだ。
ところが八年前、死んで地獄に落ちたゲッケイは我が物顔でそこに居座り続けているという。神の権限で力を奪おうとしても必ず何かしらの抜け道を見つけ出して回避するものだから他の罪人達と同じように苦役を与えることもできない。
『毎回、どの並行世界でも一番私を苦しめるのは彼女だ……』
こんな調子で他の世界のゲッケイの同位体が死ぬたび、その並行世界が天国や地獄ごと消滅してしまうまで、あの老婆の扱いに頭を悩ませているらしい。少し同情する。
「ま、そういうことなんで貴方も信じて見守っていてくださいな。うちの村の皆はきっとやってくれます」
それに信じると言った手前、若干言いにくいことではあるが、村が無くなったって自分は別に構わない。たしかにたくさんの思い出がある土地だから名残惜しくはある。けれど本当に大切なのは土地でなく人だ。
皆と一緒にいられるなら、スズランにとってはその場所こそがココノ村なのである。
奇しくもその結論は村の最長老ウメと同じものだった。彼女達は血の繋がりこそ無いが、案外似た者同士なのかもしれない。
「じゃ、そろそろ私も目覚めます。また機会があったら会いましょう。ゲッケイにもよろしく言っといてください」
『気を付けろ、彼女は今も君を狙っているぞ』
「ふん、何度でも受けて立ちますとも。でもその前に、まずは最古の魔女との決着を付けませんとね」
スズランはいつものように、明るく笑ってみせた。