五章・彼女の試験(2)
「あなたも同じことができるのですか?」
ロウバイの問いかけに、スズランはいいえと答えた。
「私のは主に“予知夢”なので眠らないと。たまに今みたいに起きている時でも発動することはあるのですが、断片的なイメージばかりで、モモハルみたいに任意で、かつ確実な予知はできません」
「けれど、今は何かを見たのですね?」
「はい」
彼女はモモハルに近付き、背中をバンと叩く。
「わっ!?」
「この子が無事合格する姿が見えました。なので、どんな試験でも遠慮せずやっちゃってください」
──はたして、その通りになった。
「うむ、モモハル、そなたは合格だ」
「わーい!!」
一本の短剣を手に跳び上がるモモハル。ロウバイの提案を基にルドベキア達が考案した試験は、彼の願望実現能力を試すため遥か遠くに置かれた施錠されている箱から中の物を触れずに取り出し、手に取るというものだった。
最初は苦戦していた。どれだけ唸っても何も起きなかったから。それもそのはず、モモハルに箱の中身は告げられなかったのだ。彼の予知もまた完全というわけではない。
けれど、そんな彼にスズランが何事か耳打ちした。すると次の瞬間、いつの間にか手にあの短剣が収まっていたのである。
「な、なんだ……」
「いったい何が起きたんだ……?」
ざわつく重臣達。彼等には今の試験がどんな能力を試すものだったのか、詳しくは伝えられていない。願望実現能力という危険極まりない力の存在を明かせる相手は限定されているからだ。この場で知るのはスズラン、クルクマ、ロウバイの他にルドベキアのみ。
「スズランさんが見た予知には、箱の中身のことも含まれていたのですね」
「それっぽいイメージがあったので、多分そうだろうなと」
彼女はモモハルに“かっこいい剣が入っていて、あれから取り出せたら貰えるのよ”と吹き込んだそうだ。
なるほど、この二人は互いの不足を補い合う関係性なのかもしれない。ロウバイはそう推察する。
はしゃぐモモハルに、ルドベキアはヒゲを撫でつけながら笑みを向けた。
「その剣はお前にやろう。我が国の名工が鍛え上げたものだ」
「やったあ!! ありがとうおじさん!!」
「こ、こら!! 王様なのよっ」
「モモぉ……」
慌てて駆け寄り頭を下げさせるスズラン。サザンカも卒倒しそうになって妻のレンゲに支えられる。しかして当のルドベキアはなんら気にしていない。
「よいよい、構わん。神子相手では王といえども、ただの人よ」
「陛下、流石にそれは卑下しすぎです」
気さくなのは主君の長所だが、時と場合によっては短所にもなる。重臣達の前なのだと暗に釘を刺すロウバイ。
本人は納得いかない様子で片眉を上げる。
「そうか? まあ、何はともあれ次はスズランだな」
「あ、いえ、せっかくですから」
「ん?」
ルドベキアの言葉に、スズランは何故か首を横に振り、モモハルの顔を強引に別の方向へ向けさせた。
何を? そう思った皆の前で彼女は質問する。
「モモハル、あそこに何か見える?」
「なんか丸いのがいっぱい」
「じゃあ、あっちは?」
「あれって大砲?」
「あそこに誰かいる?」
「魔法使いのおじさん」
「はい、上出来」
スズランが指差した先にモモハルが目を向けた途端、それまで常人には何も無いように見えていた空間に次々と言葉通りの物体が出現した。丸いのとは地面に並べられた砲弾のこと。その近くには大砲が一基。そしてそれらを隠蔽魔法で隠していた魔道士。
少年は高度な魔法を“見る”という行為一つで無効化してみせたのだ。
ロウバイもこれには手を叩く。
「お見事です」
スズランの感知能力を確認するための試験だったのだが、証明と同時にモモハルの力を示す駄目押しにも利用されてしまった。
「これでついでに、この子の“加護”も確認できましたね?」
「ええ」
「あ、あの、どういうことですか?」
「ああ、今のはですね」
何が起きたのかわからず戸惑うレンゲ達に、クルクマが説明を行う。重臣達も便乗して耳を傾けた。
「加護というのは、神と契約した人間だけが授かる特別な力のことです。基本的には害となる攻撃魔法や精神干渉の類が一切通じなくなります。教会の誇る最高戦力・聖騎士団は全員がこの加護を受けているため魔法使いの天敵と呼ばれていますね。
モモハル君のような神子の場合、魔法の無効化とは限りませんが、とにかく聖騎士よりさらに強固な加護で守られている上、先程披露した未来予知のような契約した神の特性に基づく別の力まで与えられています。彼のそれは見ることに特化した眼神の加護ですから、当然隠蔽魔法なんて通じません」
「な、なるほど」
「便利な力持ってたんだな、オメエ」
「そうなの?」
説明が難解だったのか、本人はきょとんとしている。とはいえ自分が特別な力を有していると自覚するきっかけにはなっただろう。今はそれで構わない。
さあ、それでは──
「わかったわかった。モモハルが特別な力の持ち主であることは、十分すぎるほど余にも理解できた」
そんなルドベキアの言葉を継ぐように、彼女へ呼びかけるロウバイ。
「あなたの出番ですよ、スズランさん」
「望むところです」
そう言って、小さくなってしまった“最悪の魔女”は身体の凝りをほぐすようにノビをしてみせた。
「スズラン、そなたの試験はこれだ」
「酒杯?」
ルドベキアが差し出したものはガラスの酒杯。底が浅く、一本の細い脚の先にある円い土台で自らを支える形のクープグラスと呼ばれる杯。
「おい」
「はっ、ただいま」
彼の指示に応え、傍で控えていた侍従が八分目辺りまで赤いワインを注いだ。目立つ色の酒を選んだのは、こぼれたことがわかりやすいから。
「スズランよ、聞くところによるとそなたは大陸最強の魔力の持ち主であり、魔力障壁の堅牢さでは他の追随を許さぬらしいな?」
「はい」
謙遜することなく彼女は事実を認めた。直後、ルドベキアの視線を向けられロウバイも頷き返す。桁違いの出力と魔力量を誇るスズランの魔力障壁は、間違いなく全魔法使いの中で最高の強度を誇っている。
けれど──
「今から、この杯に無数の砲弾を浴びせる。そなたはそれを魔力障壁で守り抜いてみせよ。ただし一滴も零さずにだ。できるか?」
「できます」
やはり一瞬の迷いも無く答えるスズラン。ひょっとすると彼女は自分の試験結果も予知していたのかもしれない。内容まで予知されていなければ良いのだが。
──いや、それはそれで彼女の予知夢がある程度の信頼性を持つことにはなる。案じたロウバイは、すぐにそう考え直した。
「では成し遂げてみせよ」
ルドベキアの指示で六十ヒフほど離れた場所に箱が設置され、その上にクープグラスが置かれた。侍従がワインのこぼれていないことを確かめて頷き、急いで離れる。
「さて、どうする?」
魔力障壁は極めて単純な魔法。されど、その使い方には術者によって個性が出る。探る目付きのルドベキアや重臣達の前で、スズランはただ右腕を持ち上げた。
「こうします」
次の瞬間、酒杯が台になっている箱ごと球形の障壁で包まれた。魔道士達から感嘆の声が上がる。
「おお……この距離で」
「並外れた出力だ」
たしかに、まずはそこに驚くだろう。しかしロウバイは別の点に着目した。
魔力の流れだ。以前よりも無駄が無く安定している。
「訓練は続けているようですね」
「良い先生に恵まれましたから」
「それって……」
「いやいや」
カタバミ達に見つめられ、自分のことではないと自嘲気味に笑うクルクマ。
「アイビー社長とナスベリさんですよ」
「アイビー様が、直々に指導を……?」
「なら、あの娘はロウバイ殿の妹弟子に当たるわけだ」
「なるほど……」
ロウバイの脳裏にも二人の顔が思い浮かぶ。アイビーはともかく、かつて魔法使いの森で出会ったあの少女までもがスズランの師になるとは不思議な縁だ。
「いけます」
「そうか」
スズランの言葉を受け、ルドベキアが将軍の一人に合図を送る。
顔に大きな傷跡を持つ老将は右手を掲げ、声を張り上げた。
「砲兵、用意!!」
命令に従い、数人の兵士が三つの砲口をグラスに向ける。それもかなり近くで。熟練の砲兵なら絶対に外さない距離。
「よいな?」
「いつでもどうぞ」
スズランの返事を聞き、再び将軍に合図を出すルドベキア。
将軍は高々と上げていた右手を振り下ろす。
「ッ撃てェい!!」