四章・彼女の家(1)
「でっけえええ……」
「ここが……」
「ロウバイさんのお屋敷、ですか」
「ええ、そうです」
門前で建物を見上げながら驚く一行にロウバイは小さく頷き返した。目の前には貴族の邸宅もかくやという大きな屋敷がある。ここは彼女の生家であり人生の大半を過ごした場所。
そして、今では──
「先生!!」
しきりに窓から外を見て確認していたのか、一人の青年が玄関から飛び出して来た。
いや、すぐにスズラン達は気付く。彼ではなく彼女だと。背の高いロウバイよりさらに頭一つ分ほど長身で城仕えの武官の制服を着ている。しかし男装しているだけで実際には線の細い優し気な風貌の女性。色の薄い金髪をうなじで束ね、菫色の凛々しい瞳をロウバイに向ける。
『あの方……』
「魔女だねぇ」
スズランとクルクマが感じ取ったのは、それなりに強い魔力。ゲッケイや本来の肉体のロウバイに比べれば格下だが、クルクマよりは数段上。見た目通りの城仕えなら技量次第で高い役職に就けるだろう。
ロウバイの前で立ち止まった彼女は涙を浮かべて喜ぶ。
「おかえりなさいませ! よく、よくぞ御無事で!」
「先生!」
「おかえりなさい!」
他にも数人の子供が現れ、次々にロウバイへ近付く。あっという間に取り囲まれた彼女は苦笑を浮かべた。
「皆、大袈裟ですよ。先日も帰宅したばかりでしょう?」
「その前は八ヶ月も行方知れずだったんですよ!?」
「たしかにそうなのですが、それにしてもこれは、あまりに無作法ではなくて?」
一転、眼差しが鋭くなる。男装の魔女と子供達の笑顔が凍りつき青ざめた。
「わたくしを案じてくれる気持ちは嬉しく思います。けれど、あなた達には今そのようなことより先に果たすべき礼儀があるはず」
「あっ……」
そこでようやく来客の前だと気付いた彼女達は、慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません! タキア王国からいらした方々ですね。私はスイレン、ロウバイ先生の弟子です」
「えっ……」
「スイ、レン……?」
驚いたのはスズランと四人の大人達だった。
スイレンは小首を傾げる。
「あの、私の名前が何か?」
「あ、いえ……」
「家内の弟と同じだったものですから。それだけです」
カズラの言葉に「なるほど」と頷くスイレン。相手の表情からおおよその事情を察した彼女は、あえてそれ以上は聞かないことにした。カタバミ達も、地震で命を落としたなどという縁起の悪い話をしては悪いと思って口に出さない。
「ほら、お前達も」
スイレンの後ろに隠れていた子供達は、彼女に促されて前に出た。
「はじめまして、ツバキです!」
「キンセンカです」
「僕は、シャガと申します」
丁寧にお辞儀した彼等に応じて、ココノ村の子供達も頭を下げる。
「モモハルです!」
「ノイチゴです!」
『スズランです』
「え!? ぬいぐるみじゃなかった!?」
「喋った!!」
子供達が挨拶と自己紹介を終えたのを見計らい、ロウバイはスイレンの背中に触れて前に押し出す。
「な、なんですか先生?」
「スズランさん、彼女もあなたに会わせたかったうちの一人です」
『え?』
「この子に? というか、どうしてこんな着ぐるみを?」
揃ってこちらを見つめた二人に対し、ロウバイは居住まいを正して厳しい表情を向ける。刃のような気配を感じ、スズランとスイレンは共に気圧された。
「明日、あなた達には戦ってもらおうと思っています」
部屋に案内され、荷物を置き、食事に招かれ、たっぷりの湯に浸かり──カズラとサザンカはイマリに来て以来、初めてホッと息をついた。
同時に、ロウバイの人となりも次第に掴めて来たと実感する。
「大した人みてえだなあ、あの姐さんはよ」
自分の宿の裏手の風呂。その全体より広い浴槽に胸まで浸かり、手ぬぐいを頭に乗せるサザンカ。
隣で肩まで浸ったカズラが頷く。
「そうだね。ここへ来るまで半信半疑だったけれど、まさか本当にあの“聖実の魔女”様だったなんて……」
「そんな有名な人なのか?」
「ヒメツル達“悪の三大魔女”と対になってる“善の三大魔女”の一人だよ。それに僕とカタバミは昔……」
「昔?」
「いや、これは忘れてくれ。スズの前では話題に出さないことにしてるんだ」
「なんだかわかんねえが、まあ、オメエがそう言うんなら了解だ」
ちょっとのぼせてきた。そう思った二人は一旦湯船から上がり、浴場の隅に設置されているベンチに腰掛けた。ここは外から風が吹き込んできて涼しい。まさか個人の家でこれほど大きな風呂に入れるとは思わなかった。トナリの街の銭湯より広いかもしれない。
「へ~、じゃあモモハルの家は宿屋をしてるんだ」
「そうだよ、おとうさんは料理人で、おかあさんはおかみさん」
「いいな~、宿屋になるのも面白そう」
湯舟では、まだモモハルが屋敷の子供達と楽しそうに話している。サザンカは口に手を当て呼びかけた。
「おい、あんまり長湯すっとのぼせちまうぞ。ほどほどにしとけよ」
「あっ、はい、わかりました」
「ありがとうございます」
「そろそろあがろっか、モモくん」
「うん」
屋敷の子供達の礼儀正しい返答と素直な態度に、サザンカはかえって鼻白む。
「よく躾けられてんなあ……うちの悪ガキどもとは大違いだ」
「ロウバイさんは篤志家としても有名なんだ。昔この地域で紛争が繰り返されていた頃に戦災孤児を大勢引き取って育てたらしい。今でも親のいない子供や家庭の事情で親元から離された子を受け入れて養育してるんだよ」
「なるほど。しっかし、それにしたって子供だらけだと思わねえか?」
「それについても、さっきスイレンさんから聞いた。ロウバイさんが積極的に独り立ちを促していてね、だいたいの子がこの国の法律で成人と認められる十六歳になるよりも先に職を見つけて出て行くんだそうだ」
「そりゃ意外と厳しいな」
「そうだね……十六なんて僕らの国ではまだ子供だ。もしもスズがそんな年齢で家を出ることになったら、僕には送り出してやる自信が無い」
「オメエもたいがい親馬鹿だよな」
スズランを一番溺愛しているのは間違いなくカタバミだが、カズラはカズラであの子を相当可愛がっている。