一章・彼女の疑問(3)
「しかし、いまだに話がよくわからんのだが、今度は何故イマリへ?」
眉をひそめるノコン。問われたスズランは言葉に詰まる。
「えっと……」
答えようにも答えられなかった。なにせ自分自身、ロウバイから招待された理由を未だ知らない。つい先日クルクマと共に村を訪ねて来た彼女は、大事な用件があるからイマリまで来て欲しいとしか言わなかった。詳しい事情は現地に着くまで語れないらしい。
おそらく自分やモモハルの運命にまつわる話なのだろう。とはいえ、それを正直に説明するわけにはいかない。だから周囲にはこう説明してある。
「多分、アイビー社長の指示じゃないかと。ロウバイさん、私の姉弟子だそうですし」
「ふむ、つまりまた修行なのかね?」
「だと、思います」
「……」
ノコンの表情にはありありと疑念が浮かんでいる。けれども、すぐにその表情を改めて頷いた。
「まあ、だとしたら心配はいらんな。あの御仁のことだ、悪いことにはなるまい」
「そうですね」
それだけはスズランも断言できる。アイビーが絡んでいるのだとすれば、けっして非道な真似はされない。夏から秋にかけてのあの体験を経て、今は“森妃の魔女”と呼ばれる彼女を深く信頼している。
ロウバイも同じ。以前、彼女の編み出した“繰糸魔法”を教えてもらう交換条件として互いの心の中を見せ合ったからわかる。聖実の魔女ロウバイは、その二つ名が示す通りの誠実な人柄だった。あんなに清らかで慈しみに満ちた心の持ち主は他に知らない。
二人の会話を聞いていたナスベリも朗らかに笑ってスズランの背中を叩く。
「そうそう、気楽に構えとけ。オメーら、一度も家族旅行したことが無えんだろ? なら、せっかくの機会なんだし楽しんで来いよ」
──いつ、その機会を失うかわからない。彼女は頭の中に浮かんだその一言を胸の奥へ沈めた。そんな縁起の悪いことを口に出す必要は無い。自分と両親のような悲劇は滅多に起こるものじゃないんだ。
話しているうちに村に着いた。ナスベリは昼食も村で済ませてしまおうと食堂へ向かい、その食堂兼宿屋を経営する夫婦の息子モモハルも、スズランに向かって手を振りつつ一緒に帰宅して行く。
「スズ、またあとでね!」
「いいけど、急いで食べるんじゃないわよ! ちゃんと噛んでゆっくりね!」
「うん!」
「はは、スズラン君はモモハル君の姉のようだな」
笑顔で弟子の背を見送り、直後、ノコンは雑貨屋の前で立ち止まった。本当は彼も食堂へ行くつもりだったのだが、何故かスズランに袖を掴まれ引き留められたのだ。
「……なにかな?」
「ナスベリさん、美人ですよね」
「うむ」
「どう思います?」
どうと言われてもな──少女らしい勘繰りを微笑ましく思いつつ、明確に彼女の想像を否定する。
「好人物だとは思うが、残念ながら異性として惹かれるかと言えばNOだ」
「でも、あんなに綺麗で素敵な人ですよ? 一人暮らしが長いので家事も得意だって聞きました」
はて? もしかしてこの子は村の老人達に影響されたのだろうか? ココノ村の住人達は気の良い人々なのだが、若い独身男に対して何かにつけ縁談を振ろうとするところが玉に瑕だ。衛兵隊の部下達もそこにだけは辟易している。
まあ、気持ちは理解できる。この村の子供はスズランとモモハル、そしてモモハルの妹ノイチゴだけ。他は老人ばかりなので、何も手を打たなければ三人が大人になる頃、村の人口は激減してしまっているだろう。
とはいえ、自分にはまだ身を固めるつもりも、この村で骨を埋めるつもりも無い。そも良縁とは神の導きによってのみ得られるものだと、そう信じている。信仰心に篤い方では無いのだが、こと恋愛に限り彼は運命論者でロマンチストなのだ。
つまり恋愛結婚がしたい。
「心配はありがたいのだが、私は見合いに興味が無い。できれば、村の皆にもそう伝えてもらえないだろうか?」
「わかりました」
スズランは別に老人達に言われて二人の縁結びをしようとしたわけではなかったのだが、似たような理由ではあったので、あえて訂正せずにおく。
ナスベリとノコン。この珍しい組み合わせが一緒にいるところを見て、以前アイビーが語っていたことを思い出したのが本当の理由。
『いっそ、あの子の人間関係の改善も貴女達への課題にしようかしら?』
言われた時には自分のことで手一杯だったため断ってしまったが、実際にナスベリと頻繁に顔を合わせるようになってからは気になり始めた。衛兵隊の兵士や工房の社員等、適齢期の男性に対し彼女がどこか身構えていると気付いたから。
多分、両親の結婚が悲劇的な結末を迎えたことで恋愛や結婚といったものに対し忌避感を抱くようになってしまったのだろう。だから、どうにかできるならしてあげたい。弟子としての恩返しも兼ねて。
するとノコンの口から興味深い情報が飛び出す。
「それにナスベリ殿はな……トピーに悪い」
「え?」
「あっ、いや、これは口を滑らせた。すまんが忘れてくれ」
「そうはいきません」
足早に去ろうとする彼の腕を再び掴むスズラン。
「詳しく聞いておきたいです。トピーさんって衛兵隊のあの人ですよね? 毎日毎日食堂でカウレパンを注文する」
「ス、スズラン君……部下のプライベートな事情は……」
「お昼なら我が家でご馳走します。だから、どうかお願いします。そのお話、うちの両親も興味を示すはずです」
言いながら強引に自宅へ彼を引きずり込むスズラン。
ノコンはノコンで困った顔をしつつ、強くは抵抗しなかった。
計算通りだからである。
(よし、これで当面、矛先はトピーへ向く)
奴に関心が集まっていれば、自分や他の部下達に縁談が持ち込まれることは減るだろう。それに、これはトピーのためでもあるのだ。
(皆さんに後押ししてもらって、いいかげんに勇気を出せ)
あの太っちょがナスベリに熱を上げていることなど、もはや隊の全員に知れ渡っている。つまり彼等は彼等でもどかしい日々を送っているわけだ。成功するにしろ失敗するにしろ、さっさと結果を出せ。これは衛兵隊一同の共通の願い。
しかもこの恋路には周辺一帯を治めるホウキギ子爵まで興味を示している。子爵と顔を合わすたび「あやつの恋の進捗はどうだ?」と尋ねられるこっちの身にもなって欲しい。
利害の一致。ノコンはそれを悟らせず少女を上手く誘導した。何も剣を振るだけが能ではない。彼は頭だってそれなりに切れる。
いつかは自分の恋愛でも、この頭脳を活かせればいいのだが。
今年で三十六歳。彼にも、春は未だ訪れていない。




