七章・流星の傷痕(2)
彼女は実は故郷の料理が好きじゃない。味付けが濃すぎる。それでどこの店に入ろうか悩んでいると、一軒のパン屋に目が留まった。
美味しそうな香りに強く引き付けられる。
(歩きながら食べられるし悪くないな)
そんなことを考えながら入店した。
すると、いきなり驚かされる。
「えっ?」
店内に他に客はいない。従業員も彼女の実年齢より少し上らしき女性が一人だけ。その女性が突然声を発した彼女の視線を辿っていき、得心したように頷く。
「お客さん、よその国から来たんでしょう?」
「え、あ、いや……はい」
本当はこの街の出身なのだが、このナリで三十一年ぶりに帰って来ましたなんて正直に答えても怪しまれそうだし嘘をつく。
いや、そんなことより──
壁に、しかも店の入口から見える最も目立つ場所に飾られている額。その中にあるのはヒメツルの指名手配書だった。
それ自体は大陸中どこに言ってもいまだによく見かける。しかし、ここではまるで宝物のようにわざわざ額にまで入れて飾ってある。しかも、そうすることが当たり前のように堂々と。
どうして?
「この子は世間じゃ悪者扱いされてるけどね、あたし達にとっちゃ恩人なの」
「恩人?」
「この辺りの者は皆、ヒメツルに感謝して同じように指名手配書を飾ってますよ。なんせあの戦争を終わらせてくれた張本人ですから」
「えっ!?」
クルクマが驚くと、パン屋の女将らしき女性はくすりと笑った。
「このことを教えると皆が皆、同じ反応をするのよね。まあしかたないか、もう大分昔のことになったとはいえ、あちこちで大暴れしてたみたいだものね……」
懐かしむように、少し日焼けしてしまった手配書を見つめる。表情から察するに本気で言っているようだ。
「あの、その話、もう少し詳しく聞かせてくれません?」
「構いませんよ。よく聞かれますからね」
カウンターの奥から椅子を二つ持って来て並べる彼女。クルクマに先に座るよう促したかと思うと、パンを一つ渡してくれた。
「これは?」
「お腹が空いてるんでしょ? サービス」
言われた途端、また腹の虫が鳴ってしまう。
「いやはや、お恥ずかしい……」
「いいのよ、お腹を空かせてる人を見ると、放っておけないから」
そう呟いてまた遠い目をした彼女は、遠い昔の話を語り出した。クルクマは貰ったパンを齧りつつ耳を傾ける。
「あの時期……革命を起こしてトップに立った軍の連中が勝手に隣国に攻め込んで戦争を始めた上、勝たなきゃ国が滅びるんだって言って、皆を脅して無理矢理戦わせ続けていた。五年は奮闘したかな。うちみたいな小国にしては頑張ったと思いますよ。
けどね、当然みんなボロボロになって、それでも軍の連中は諦めなかった。再三に渡る降伏勧告を無視して国内に立て篭もったんです」
しかし元々狭い国。しかもそれまでの長い戦いで疲弊しきっていた。周囲を完全に封鎖されてしまったため輸入にも頼れず、食糧は乏しくなり、残された僅かな糧さえ軍が接収していく。
「酷い有様でしたよ。戦えなくなって軍から追われた怪我人。戦闘で家を焼かれた家族に、身寄りを亡くした戦災孤児。大量の失業者。そのほとんどが浮浪者になって国中のいたるところで食べ物を探しては奪い合っていた」
「……」
クルクマは十数年前、師の代理として金の徴収に出向いた時のハナニラの姿を思い出す。ひどく疲れた表情だったのを覚えている。あれは多分、国内情勢が最も厳しくなっていた頃だったんだろう。
(それでも毎月きっちり取り立てていたのか……本当に鬼だな、あの婆さん)
才害の魔女への上納金だと言えば、宗主国にも止めることはできない。逆に言えばあれ以外に国の外へ出る機会が無かったんだとも考えられる。
彼はあの時、ひょっとしたら自分に助けを求めていたのかもしれない。虫の良い話だとわかっていて、それでも他に手立てが見つけられず。
「そうして何年が経ったか……幸い、あたしは食うには困らない仕事にありつけたおかげで無事生き延びていたけれど、ある時、その仕事もついにクビになってしまって浮浪者の仲間入り。それからは飢えと戦う日々。他人様の食い残しでも、生きるためにしかたなく食った。そんな生活が辛くて辛くてたまらなくて、いっそ身投げでもして楽になろうかと思っていた。
けど、周りでは最後の力を振り絞って軍に一泡吹かせてやろうという声が上がり始めていた。それを聞いたあたしも、どうせなら自殺するよりそっちの方がいいと思って堪えたんです。そして、いよいよ皆で軍のお偉方が集まっている場所、かつての大公様の城まで行進してやろうとした時、列の前にあの子が現れました」
『あそこにいる人たちが悪いの? ぜんぶ、ぜんぶ、あの人たちのせいなの?』
「大人達にそう問いかけて行進を止めたあの子の前に、今度は城からやって来た兵士達が姿を現した。あいつらはあたしらを剣や槍で追い払ってデモをやめさせようとした。その中に一人だけ、ホウキで飛んで来た魔道士がいたんです」
その魔道士はなかなか解散しようとしない群衆に向かって魔力弾を撃ち込んだ。威力を抑えた攻撃で威嚇のつもりだったのかもしれない。でも、それが絶対に触れてはいけない逆鱗に触れてしまった。
「次の瞬間、魔道士は地上に引きずり降ろされていた。何がどうなったのかはわからないけれど、あの子が『降りろ!』と叫んだ瞬間に地面に叩き付けられたんです。
そしてあの子は……ヒメツルは、そいつの乗っていたホウキを奪い取って城を真っ直ぐ睨みつけた。凄い迫力で誰も声をかけられなかった。あたし達も、兵士達でさえも」
『あの人たちが悪いなら……ぶっとばしてやる!』
「そう言ってあの子はホウキに跨ったんですが」
と、そこで女将は久しぶりに笑った。これまでの辛い記憶が一転して明るい思い出に変わったように。
「飛ぶのは初めてだったんでしょうね、もう無茶苦茶です。自分でもどこをどう飛んでるのかわからないみたいで、なのに速度だけは信じられないほど出ていて、まるで雷か流星だとみんなで口をポカーンと開けて見上げてました」
そして、それが起きた。
「突然、軌道が変わって城に突っ込んだんです。あたしは『危ない!』と叫んだんですが心配はいりませんでした。衝突する前にあの子の周りに、こう、ものすごく大きな光の壁が現れましてね。そのまま突っ込んだものですから、吹っ飛んで粉々になったのは城の方でした。文字通りあの子は、そこにいた軍の幹部連中をまとめて“ぶっとばして”くれたんです。
直後、自分の意志か偶然かわかりませんが、どこかへ飛んで行きました。あたしが見た最後の姿はそれです。その後しばらくして、それらしい小さな魔女の噂を聞くようになりました。でも、この辺りで見かけたことはありません。きっと辛い思い出がある土地には近寄りたくなかったんでしょう」
そこでまた、自らも悲しそうな顔をする彼女。
クルクマは、どうにもそれが気になった。
「あの、ちょっといいですか?」
「はい?」
「ここから少し離れた場所に古い集合住宅がありますよね? 実は私、そこで十数年前に発生した青い光の柱のことを調べてるんですが、何かご存知ありませんか?」
単なる直感で、外れていても別に構わなかった。しかし彼女の言葉を聞いた女将は顔を青ざめさせる。
この反応は当たりらしい。