四章・悪の産声(1)
来る日も来る日も掃除、洗濯、炊事。そして才害の魔女の身の回りの世話。脅迫されたようなものとはいえ、結果的に自分から頼み込んだ手前、反抗することも逃げ出すことも出来ず、アカネは唯々諾々と働き、ゲッケイの屋敷で十五年の時を過ごした。
もっとも、こちらから頼んだわけでなかったとしても、結局は同様の態度を取らざるをえなかっただろう。少しでも機嫌を損ねれば、途端にあの婆さんは残忍な牙を剥く。一度など朝食の支度が遅れたというだけの理由で両足を切断されたこともあった。
「お前のようなノロマに、足なぞいらんわな」
泣いて謝りながら元に戻してくれと頼んだ彼女に、ゲッケイは「胴体から下を馬の体にしてやろうか? そしたら素早くなるじゃろう」と言って高笑いで返した。
結局元には戻してくれたのだが、それも彼女の計画に必要な実験の一環として被験体にされただけの話だった。
ただ、そのおかげで師が何らかの目的のため“ホムンクルス”の研究を行っていることを知った。後々それが役に立つことは、もちろんまだ知らなかったが。
師の下で働き始めてから二年もすると、彼女の精神は疲弊しきってしまい、地獄同然の現実から心を保護するためもう一人の自分を作り上げた。ナスベリが両親の死を忘れ新旧二つの人格に分裂してしまったことと同じ。酷い目に遭わされているのは他の可哀想な子。そう思い込むことで自分を守った。
その第二人格の名が“クルクマ”である。
次第にアカネではなくクルクマと名乗るようになっていった彼女に、ゲッケイはなんら特別な関心を寄せなかった。彼女にとって弟子とは小間使いの別称。名前などどちらでも良かったのだろう。
一応、出会った時の約束通り最低限の知識と技術は叩き込まれた。しかしそれは生家で両親から教わったものと大差無い知識や技術でしかなかった。むしろ実家で受けた教育の方が高度な内容だったと言ってもいい。せっかく才害の魔女の弟子になったのに、新たに身に着いた実用的な技術といえば無詠唱魔法くらいのもの。それとて教えてもらって身に着いたわけではなく、見て真似をできることが他に無かったから練習した。結局そういう話なのだが。
何度か、もっと高度な教えを受けたいと頼んだことはある。勇気を振り絞り、罰を覚悟して行った上訴だったが、返って来る言葉はいつも同じ。
「お前みたいな出来損ないに、これ以上何を仕込めと言うんじゃ? そもそも技なんてのは教わるもんじゃない。自分で見つけるか盗み取るもんだよ」
だから結局、ゲッケイの下にいた長い時間の中で彼女から真っ当な指導を受けた記憶はほとんど無い。
ただ、十五年と半年が過ぎたその日、彼女はついに見つけ出した。
自分の中に隠れていた才能、否、異能を──
「で、できた……」
一番驚いたのは自分自身だった。なにせ他の誰も見ていなかったのだから。ゲッケイの屋敷の一部屋。寝室として与えられた物置未満の狭い空間でのことである。時刻は深夜の零時を過ぎており、師は老人らしく早々に床についていた。なのでこっそりと実験をしてみたのである。
ゲッケイは実験のため虫や小動物を捕まえて来いと命令することがあった。金を渡して街の商人から買って来いと言う場合もあったけれど、そういうのはよっぽど希少な種類を使う時だけで、手近で手に入るものは手近で調達して来いとぬかすのが常。
その度にクルクマは網を手に持ち、走り回ったり、罠を仕掛けて獲物がかかるのを待つことになる。金をケチッたのは自分のくせに、調達が遅れると怒られるのだからまったく堪ったもんじゃない。
この頃になると、流石にもう多少の折檻には慣れていたが。
そして、ある日ふっと頭に浮かんで来た。魔法で捕まえればいいんじゃないかと。
師は実際にそうしていた。魔法で麻痺させたり、魔力障壁を変形させて大量に掬い上げたり。
クルクマが真似しても、なかなか上手くいかなかった。技量だけの問題でなく、やはり魔力の弱さに足を引っ張られてしまう。
いっそ相手の方から来てくれるような魔法があれば──そう思った瞬間、頭の中で式が組み上がった。生家で教育されていた時、動物に暗示をかけて動かす魔法を教わっていたのだ。それをベースに少し改良を加えた術。思い付きなので、半分冗談のつもりで唱えてみた。
ところが、予想以上の成果が出た。
「な……え、ええ?」
生まれて初めての感覚に戸惑う。すぐ目の前にいる一匹のコオロギ。そのコオロギの目を通して自分を見ている。
いや、コオロギの目は大した機能を持っていない。これはおそらく触覚を通じて周囲の状況を認識しているのだ。その証拠に正面だけでなく全方向を同時に知覚している。コオロギはたしか尾部に触覚と同様の感覚器官があったはず。それからの情報も統合した結果ではないか。
そして、術を通じて送られて来た情報は自分の脳内でさらに立体的なイメージへと変換される。これもやはり人体の五感から得た情報を統合しているからだろう。
「なんで……どうして、こんなことができるの?」
さらには相手の思考も完全に支配している。土台となった術では直接手で触れる必要があったのに、それすらもいらない。かける段階から遠隔で可能なようだ。
試しに一歩後ろへ下がった。人間の体とコオロギが両方後退する。
自分では前に出つつ、コオロギにはもう一歩だけ退がらせた。
何の問題も無くそれができた。
「ええ……?」
次第に怖くなってきた。人体と全く構造・感覚が異なる生物を、どういうわけか自在に操れ、それでいてなんの違和感も覚えない。だから彼女は自分のその力を“才能”ならぬ“異能”と名付けた。明らかに異常な能力という意味で。
ただ、色々試すうちにこの術にもいくつか問題があることがわかった。第一に何故だか操れる生物と操れない生物がいた。
その理由はほどなく判明する。彼女は師の実験の手伝いでコオロギの解剖をしたことがあった。実はそれが鍵。操ろうとする生物の“中身”を見なければいけない。
数日後に今度はカエルの解剖を行った。直後にカエルならどうだろうと実験したところ、操ることができた。条件に気付いたのはそれがキッカケ。もしやと思ってネズミを捕獲し、操作不能なことを確認してから解剖。すると次のネズミからは操作可能になった。異能の発動条件が確定したわけである。
気が付いて以来、彼女は虫や小動物を次々に解剖した。猟奇的趣味に目覚めたわけではなく実益のためである。少しでも種類を増やしておきたかった。操れるようになった生物の有用な使い道を知るため、おつかいの時に渡された金を少しずつ横領して蓄えた貯金をはたき、図鑑も買った。屋敷には師の蔵書が大量にあったけれど、一切触らせてもらえなかったから。
次に判明した問題は数だ。どうもこの術はベースになった“暗示”と同じで知性の高い生物ほど多くの魔力を必要とするらしい。
クルクマの魔力は少なく、出力も低い。同時に操れる数は最も消費の少ない虫達で百匹程度が限界。それも一時間と保たず力尽きる。
百匹という数を同時に、かつ、それぞれ別個の動きを取らせることが可能な自分の異能にはやはり驚かされた。けれど、これっぽっちの数では魔法使いの相手をさせるのに全く足りない。多少魔力の強い術者なら一瞬で焼き払われてしまう。
しかし図鑑を読み漁り、直に触れ、解剖して、時には味わってまで虫や小動物の生態を研究し続けた彼女は、やがて解決策を思いつく。