三章・災呈の決意(1)
驚いた。魔法使いグロニアは心の中で相手を賞賛する。ゲッケイの弟子は思った以上に優秀だ。即座に評価を改める。
彼は彼女を外見で見下していたわけではない。数日前からじっくり襲撃の機を窺いつつ、同時に魔力の強さを見極めて、それを理由に弱者だと断定した。実際外れてはいなかった。出力は彼の見立て通り貧弱極まりない。
ところが少女は出力の低さを魔力量と技術によって補っている。この魔力でここまでの実力を身に着けるには並大抵ではない努力を重ねたはずだ。
しかも、この甲高い音。これが聴こえ始めてから急に魔力が強くなったようだ。普通はありえないこと。しかし現実に起きている。
認めよう。その上で知りたい。いったいどういう仕掛けだ?
(さっき腰の後ろに手を回したのは短剣を捨てるためでなく、あの位置に隠している別の何かに触れるため……だな)
こちらの攻撃を立て続けに防いだ直後、もう一度同じ動作をしていた。おそらくそこに隠されている何かが、この強さのもう一つの鍵。
(魔力量の突発的な増加……まさか、あれか?)
世に数多く出回っているビーナスベリー工房の製品。その中に謎の部品が隠されていることには世の魔法使いの大半が気付いている。
──あの会社の魔道具だけが持つ大きなアドバンテージ。それは外部からの魔力供給を必要としないことだ。呪物を仕込むことで同等の機能を持たせた製品も世には存在しているが、大きな危険を伴うため市場には出回っていない。しかもビーナスベリーの製品から呪物の気配は一切感じられない。
だからこそ不思議なのだ。金さえあれば誰にでも気軽に買える市販品なのに、あの会社の魔道具は全てが常識外れなオーパーツだと言える。
何故そんなことが可能なのか。誰にもまだ謎は解き明かせていない。おそらくその機能を担っているであろう装置はどの魔道具を調べてみても厳重に封印されており、無理矢理こじ開けようとすれば自壊機能が働き、復元不可能な状態になってしまう。
本来それがあるべき特許庁にも資料は存在していない。おそらく社長のアイビーが神子の権限を使って秘匿しているからだ。つまりそれは、彼女がそこまでしなければならないほどの重大な秘密。
その秘密を掴んだのか? この小娘が、本当に?
「ならば重畳!」
仮にこの娘がゲッケイの遺産の在り処を吐かなかったとしても、あるいは知らなかったとしても、ビーナスベリー工房の魔道具の秘密が手に入るなら十分な成果。
「それも貰うぞ、ゲッケイの弟子!」
掲げた右手の平を標的の動きに合わせて横滑りさせる。彼の得意技は風の操作。相手がいくら魔力障壁を巧みに使い熟そうとも、変幻自在に形を変える気流の刃は防ぎ切れまい。
「そこだ!」
「くっ!?」
クルクマが方向転換しようと速度を落とした一瞬を狙い、術を放った。烈風が幾重にも張られた障壁の隙間を掻い潜って柔い肌を切り裂く。本当は手足を切断するつもりだったのだが、これまた巧みに避けられた。あの動き、どうやら体術にも長けているらしい。
だがこれでいい。自分の仕事は足を止めさせること。
「クソッ!?」
全方位に障壁を展開する彼女。たしかにその方法なら風の刃は防ぎ切れる。
しかし──
「ははは! 私の妻をお忘れかな?」
雪原から奔ってきた閃光が再び障壁を破砕した。魔力障壁は広く展開するほどに強度が落ちてしまうもの。ゆえに自分と妻の連携攻撃は防げない。ビーナスベリー工房から得た何かで魔力を強化しているのだとしても、こちらは同格以上の敵を同じ方法で幾度も始末している。どのみち結果は同じこと。
だが、またしても彼女は深手を免れた。今の攻撃をも予期していたらしい。これまでの狙撃から正確な位置を割り出して射線を絞り込んだのだろう。回避のタイミングも完璧だ。どこにでもいる小娘のような見た目に反し、戦闘経験は豊富と見える。
もっとも、それならもう理解できているはず。これだけ力量差がある以上、二対一では絶対勝ち目は無いと。ならその気持ちを後押ししてやろうじゃないか。全身から出血したなおも走り続ける彼女に対し、立ち止まって語りかける。
「わからんね、お嬢さん。どうしてそんなに頑張る? 君も、あんな傲慢なクソババアに義理を通しているわけではないだろう?」
才害の魔女ゲッケイは人格者ではない。むしろその逆。万民を蔑み、万民に恐れられる邪悪な存在だった。あんな老婆の遺産、命を賭けて守り通すほどのものではない。これは本心からそう思う。
「ひょっとして金に換えたいのか? だったら約束しよう。我々に協力してくれれば君にも相応の報酬を出すよ」
ゲッケイの遺産ならその価値は計り知れない。きっと国を二つ三つ買ってもまだ余裕があるほどの代物だろう。世に出ていない新技術。古代の魔導書。かの有名な才害の魔女が使っていたというだけで椅子一つに高値を付ける馬鹿もいるかもしれない。
だから知りたい。
「君はあの屋敷から、どこへ遺産を移したんだ?」
──少し前、季節が秋にさしかかる頃、魔法使いの森南東部で異変が起きた。青い光の柱が出現した後、忽然とゲッケイの屋敷が消えてしまったのだ。残されていたのは地面の大穴と地下迷宮の一部のみ。
ゲッケイの訃報を聞いて以来その遺産を狙っている者は多い。だが侵入者の大半は罠にかかって命を落とし、逃げ帰ることができた一部の者達も怯え切って口を閉ざすか挑戦を諦めてしまう。だからいつしか自力で屋敷の罠を突破するより、誰かにそれを任せて成果を横取りしようという考えが主流になっていった。
もちろん、ゲッケイの弟子である彼女に口を割らせようとした者も多い。しかし誰一人帰らなかった。だからクルクマの名も才害の魔女の遺産を狙う者達の間では恐怖の象徴になっていたのだが……。
グロニアは内心首を傾げる。
(どうしてこれまで誰もこの程度の術者を下せなかった? 身の安全と引き換えに遺産の一部を渡すことで見逃してもらっていたのか? いや、それなら拷問でもして保管庫への侵入方法を聞き出し総取りすれば良い話だ)
やはりおかしい。この娘は実力も無く、いったいどうして今まで生き延びて来られたと言うのだろう? 彼女を狙って戻って来た人間がいないので真相は未だ闇の中。
(いや、待て、この娘は囮だという可能性も……)
彼女が生存している間、遺産を狙う者達は彼女を優先的に狙う。そのためだけに今でも生かされているのかもしれない。
なんにせよ生け捕る必要があることは同じか。グロニアはクルクマが散発的に放つ攻撃を防ぎつつ、自らも反撃してダメージを蓄積させ徐々に追い詰めていく。できれば精神的に追い込んで諦めさせたい。その方が楽でいい。
「わかったよ、お嬢さん。根気強い君のため譲歩しよう。君のお仲間や我々と同じ狙いの人間がいつここに来るかわからない。ここは話したくなるまで、一緒に行動するとしようじゃないか」
つまりは拉致するという意味なのだが伝わったかな? 保護だと曲解してくれても構わない。どっちみち結末は同じだから。用が済んだら消してやる。優しい笑みを浮かべつつ歩を進めるグロニア。女子供を懐柔するには紳士的な態度を見せるのが一番だろう。
だが──
「いひッ」
──笑っているのは、相手も同じだった。